公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

1989年何が起きていたのか理解できない年だった

2018-06-05 20:39:00 | グレートリセット

1月7日 - 昭和天皇が崩御。日本での元号「昭和」の最後の日となった。




天安門広場の抗議デモは、6月4日軍の派遣まで7週間続いた。

6月4日 公式に319人実はその百倍殺害された。中国共産🇨🇳は潰した遺体を燃やし灰を下水に流して証拠を隠滅した。ネットもなかったのでメディアを信じていた。


1989年6月18日に一部不完全な自由選挙ポーランドで、非労働党政党「連帯」が上院過半数を占める。普通選挙により、ポーランド統一労働者党ならびにポーランド人民共和国は解体され、多党制に基づくポーランド第三共和国が樹立された。

11月9日
中国共産党中央委員会第5回全体会議、鄧小平中国共産党中央軍事委員会主席の辞任、および後任として江沢民中国共産党総書記の就任を発表。併せて、天安門事件で失脚した趙紫陽第一副主席の後任として楊尚昆の就任を発表。
東ドイツが、中央ヨーロッパ時間18時に行われた記者会見におけるギュンター・シャボフスキーの勘違いによる発言に基づき、直ちに一般東ドイツ市民のベルリンの壁を含む国境線の通行を自由化。

11月10日 - ベルリンの壁崩壊。ブルガリアで共産党書記長のトドル・ジフコフが失脚。これを機にブルガリアでも民主化が始まる。

12月29日 - 日経平均株価が史上最高値の38,957円44銭(同日終値38,915円87銭)を記録。

1989年はバブル期の日本にも世界の世の変化にも全然ついて行けなかった昭和最後の年64年&平成元年。






そしてどうなってしまったかはだれかがまとめた当時の時価総額トップ100社のとおり




ベルリンの壁崩壊の年1989年にはEUがホルモン剤を使用した米国産食肉の輸入を禁止した。これはホルモンの壁の設置

そして10年後の1999年コソボ空爆の年
そして同年5月7日、米軍のB-2爆撃機がベオグラードの中国大使館 に誤差2㍍という高精度の飛行爆弾JDAMを着弾させ、29人の死傷者 を出した。
 米国は中国に対し、誤爆だとして謝罪するとともに、責任者のウィリア ム・J・ベネット中央情報局中佐を解雇した。だが専門筋では、米国は敢 (あ)えてナイトフォークの残骸を集積していた中国大使館を標的にした とする観測が専らだ。
 それから10年後の2009年3月22日、ベネット氏は米国で何者か によって殺害される。同年4月の米誌『フォーリンポリシー』は、ベネッ ト氏の過去の経歴が関係している「暗殺」だったと報じた。


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