公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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書評 「働く者の資本主義」 出光佐三

2015-01-15 21:32:13 | 今読んでる本
つまみ食いは恐れ多いが、日本人ならば知っておくべきこととしてメモすると。

『前にもお話したように 、出光は 、内池先生の生産者と消費者の間にただ一つ介在して 、両者のために尽くすという教えから出発しています 。出光の事業の社会性とは 、消費者にいいものを安く提供する 。いかなる場合にも 、石油は私どもにまかしておいてください 、けっしてご心配はかけませんという供給の安定にある 。これがほんとうの社会性だと思うんです 。その社会性を実行するためには 、自分が放漫な経営をやっておっては駄目であるから 、真剣に真面日に努力して利潤を得なければならない 。私は利潤と社会性は対立しないと思いますよ 。』

尊崇するビジネスと実践の師匠である出光佐三は、大地域小売業という中間に掠めとりのない商売を理想として立てた。投機や買い占め、売惜しみによる利得を憎んだ。

『先生から 「商売は金もうけではない 。お互いのために働くことが商人の使命である 」と教えられた 。内池先生が商売は金もうけではないと言われたときは 、びっくりしましたよ 。投機や買い占め 、売り惜しみをやって金もうけをしてはならないと言われたんですが 、私どもの学生時代は 、そういうことが商売だったんです 。買い占めておいて値があがったときに売ってもうけるという 、そういう見通しのきくのが事業家としては最高のものだったんです 。先生はそれを戒められた 。そして金の力によって中間搾取をするような問屋業はいけないと言われた 。私はその話を聞いて 、自分の進むべき道はこれだと思ったですね 。だから出光商会を創立したときに 、 《生産者から消費者へ 》という営業方針をかかげたわけです 。現在は出光自身が生産者になったので 、 《消費者本位 》という言葉を使っていますが 、全国に支店出張所をおいて出光自身が消費者に直面してやっております 。この形を私どもは 《大地域小売業 》と呼んでいます 。いまから十数年ほど前ですが 、内池先生の住所がわかったので 、下落合のお家に弟の計助 (現社長 )といっしょに訪問しました 。そして私が神戸高商の学生時代に先生のこういう話を聞きましたがと言ったところ 、先生は 「たしかに言った 、いまでもその考えは変わらない 」と言われたんです 。それで私が出光の大地域小売業のことをくわしく話したところ 、先生はびっくりされると同時に 、非常に喜ばれましたね 。そして 「出光のような大きな組織でそんなことができるかね 」と聞かれた。』



石油業者として輸入の大元は抑えられ、一次、二次、地域配達を通じて流通していた石油類販売を、出光商会の立場で<大地域小売業>という大きな野望はあり得ない。問屋に睨まれたらおしまいだからね。しかし一企業の努力で実現し、やがては石油メジャーとも資本主義の範囲で戦った。しかしビジネスの戦いには対立関係の抑制が自動で働く。
取り引き継続とエコシステムの維持のため、知恵と先取の競合という見えない戦いがほとんどだから(裁判に訴えるなど下の下策)本質的に利害対立関係の抑制と解消がある。だからこそ出光佐三は勝者と敗者で社会内部の対立関係を色分けする教育を憎んだ。

ピケティが<はしかかぶれ>のように書店に並んでいるが、社会システムを疑うという視点はピケティと佐三とは共通する。資本主義社会というシステムの中では、良い会社というのは、効率よく資金を回転させて、効率よく収益を上げる会社が今でも常識で、有名かどうかとか、時価総額が大きいとか、業界で何番目かというのは派生的指標に過ぎない。

だから、大きな設備投資を決断して、投資回収までに時間のかかる事業を成功させるという事業プランは、銀行家や証券業者には理解され難い。理念に理解が伴走していなければ資金が調達できずに紙の上の話になる。これを徳山プラントでやり遂げた出光佐三や「コンテナ物語」(マルク レビンソン著, 村井 章子訳)に出てくるマルコム・パーセル・マクリーン(奇しくも創業のきっかけは出光佐三と同じガソリン、輸送燃料だった)は、物流という社会システムと内側から闘った日本と米国の英雄だろう。
新しい社会システムの誕生にモデルがあるとしたら、やはり日本社会が<無意識に継承している>最適化志向と和合志向の調和に帰すると思う。言わなきゃわからないこと、無意識に継承できない価値観は後々、教育で必ず歪められる。

『私は神戸高商在学中から 、学問も大切だが何よりもまず人間が大切である 、学問の奴隷になるな 、という考えで 、卒業後 、丁稚奉公したが 、これは自分の一生にとって非常に良かったと思っている 。だから私は会社の入社式の時に必ず 「卒業証書を捨てよ 。真裸の人間になって鍛練せよ 」と言うことにしているが 、これは学間にひきずりまわされずに 、学問を活用する人間になれということである 。要するに 、一国の教育は百年の計を立ててやるべきものである 。』

私は義務教育無用論者だから、卒業証書を捨てるまでもない。基礎は親が教えられる小学4年生まででよろしい。そのあとの公的学校教育は不要、卒業資格という人品の品質管理も捨てるべきだと思う。最新のAO入試で入学した若年層は間違った教育で今になって社会に歯が立たなくて苦労している。社会は常に変化しているのだから鍛錬は社会ですべき。





三島由紀夫が生きていれば昨日が90歳の誕生日だった(45歳で止まった時)
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