公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

真摯さの欠如

2010-05-05 12:53:09 | 日記
「真摯さを定義することは難しい。しかし真摯さの欠如は、マネジメントの地位にあることを不適とするほどに重大である。」

   ドラッカー
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「不正義があっても秩序ある国家と、正義があっても無秩序な国家どちらを選べと言われれば、私は前者を選ぶ。」

   「手紙」
   マキャヴェッリ
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(わたしの考え)
 真摯に関してドラッカーは定義が難しいと言っているが、真摯とは事業(国家)目的秩序の維持を個人的優先度の上位におくという人間の質であると思う。マキャヴェッリの言われる秩序と分離した正義とはなんだろう。
<正義か秩序か>
 思うに公正公平が秩序と一致するのが理想状態ならば、そこからの逸脱と差異が現実の人間の関わる生身の実態だろう。もちろん公正であるべきとは思うが、人間はどう改造しても怠惰で貪欲である質を失う事は無い。人類の進歩はむしろますます怠惰で貪欲である状態を強くしている。だから見切るのならば、正義を見切るのが賢明な選択だ。逆に正義があっても秩序が無く、その質が真摯でないという教条的で移り気な指揮官の精神状態ほど国家に敵と危険を呼び寄せる状態はない。


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