NHK西口前の桜である。「NHKの堀潤アナウンサー(35)が4月1日付で退職することが19日、分かった。」次の出番は「きょうの料理」の予定だった。
最近火曜日は定期的にNHK西口職員通用口あたりが騒がしい。中国のCCTVの支局がNHK内にあるということに抗議している。毎週のことだから職員は何も感じていないようだが、仕組みに疑問を感じている職員もいるのだろう。
倉本聰がNHKを辞めて出て行ったのも西口職員通用口だったと本人が述懐している。気がついたときは北海道富良野にいたという(正確には「気がついたら千歳空港にいた。」)。思い出せるのは西口職員通用口を出た時までらしい。
組織を個人の資格で離れるとき、離れるものにしかわからない自己暗示のような空白体験がある。自分の体験でもこの空白は何年たっても埋めることができない。
過去の自分を支えていたものが失われるときは体験が自動運転のようになる。振り返ってみても経験が発見できないのだ。繋がっていないと”記憶”された経験がそこを挟んだ自己の再生を邪魔している。この空白を埋めるかのように個人は戦いを始める。倉本聰の場合それは創作であり、堀潤の場合新しいメディアからの国民が今知るべきことの発信なのだろう。
自己暗示というにはあまりにも客観的な空白なのでそれを宿命として受け入れる。わからないだろう、出たことのない者たちには。