赤穂の武士の討ち入りはその月の内に芝居本になったという。なにせ近松は長州藩屋敷に幽閉されていた実行犯に突撃取材している。梨元勝並の行動力で本にしている。近松によってすぐに義挙として描かれたという不思議な事件だ。これは江戸の庶民に浸透していた義挙の予定調和だったとも言える。なぜならば、元禄赤穂事件は仇討ちの体をなしていないからだ。仇討とは子による親を殺された仇を届け出て伐つものであったが、起こったことはまったくの私闘であり、お上の法治処断に対する反逆のあてこすりでもある。
だが一旦義挙となってしまうと、義挙には反論できない。その政治的に適切だが違法であるという義挙を認める社会は大変危険な社会だ。日本人は論理と情緒が共存しているので、時々そういう危うい情緒を通じて義を腹の底から信じてしまう伝統がある。
小林秀雄は浅野内匠頭の辞世の句の真偽について、史実自体の吟味を、議論することさえ軽く葬っている。なぜならば、
「伝説という言葉は、これを必要とした現実の人の心を思わずしては、意味をなさぬ言葉である。」と考えているからだ。
更に小林秀雄は元禄時代が危うい文化の時代と見ていた。理を突き詰め、美を突き詰めると、あとは断崖絶壁しか無い。この頃の小林秀雄の評論は、現代の学者に個々の感受性を基準においた心眼がなくなったと嘆いている。もともと事実の証明に限界のある歴史分析に必要なことは、今を見るための心眼である。と強調している。
**風さそう花よりも猶我はまた、春の名残を如何にとかせん 伝浅野内匠頭長矩
今もなお、小林秀雄の言うとおり、心眼と情緒は日本人から失われ滅びつつある伝統的智力である。
心眼は脳の内側から前頭葉の論理を照らすということであろう。暗闇に論理を以って見ようすることが真実の認識を遠ざける。真実は心眼、すなわちビジョンとインスピレーションによってはじめて輪郭を現す。反証可能なものだけが科学的真実の言明ではない。反証可能な形に記述するという作業をビジョンとインスピレーション、つまり心眼が措定し実施するだけのことだ。義挙は事前の義の言明によって起こされるものであるが、暗闇となった世で、心眼が失われていては、反証可能な義挙の客観性取得さえおぼつかない。
ディズニーランドで楽しくなるのもいいが、見るべきものはもっと近くにある。伝統美術品にかぎらず、古くから日本人が大切にしてきた、道具、方言、風俗、里山、伝説あるいはそれらが詰まった自分自身をじっと見つめるそういう作業が大切だ。内匠頭を思い出さずとも春の名残はだれにでもそこあるのだから。
福沢諭吉は
『昔、徳川の時代に、浅野家の家来、主人の敵討ちとて吉良上野介を殺したることあり。世にこれを赤穂の義士と唱えり。大なる間違いならずや。この時日本の政府は徳川なり。浅野内匠頭も吉良上野介も浅野家の家来もみな日本の国民にて、政府の法に従いその保護を蒙るべしと約束したるものなり。しかるに一朝の間違いにて上野介なる者内匠頭へ無礼を加えしに、内匠頭これを政府に訴うることを知らず、怒りに乗じて私に上野介を切らんとしてついに双方の喧嘩となりしか』
と言っている。
ちなみに。。
荻生徂徠は「徂徠擬律書」の中において義士切腹論を主張した。
「義は己を潔くするの道にして法は天下の規矩也。礼を以て心を制し義を以て事を制す、今四十六士、其の主の為に讐を報ずるは、是侍たる者の恥を知る也。己を潔くする道にして其の事は義なりと雖も、其の党に限る事なれば畢竟は私の論也。其の所以のものは、元是長矩、殿中を憚らず其の罪に処せられしを、またぞろ吉良氏を以て仇と為し、公儀の免許もなきに騒動を企てる事、法に於いて許さざる所也。今四十六士の罪を決せしめ、侍の礼を以て切腹に処せらるるものならば、上杉家の願も空しからずして、彼等が忠義を軽せざるの道理、尤も公論と云ふべし。若し私論を以て公論を害せば、此れ以後天下の法は立つべからず」
だが一旦義挙となってしまうと、義挙には反論できない。その政治的に適切だが違法であるという義挙を認める社会は大変危険な社会だ。日本人は論理と情緒が共存しているので、時々そういう危うい情緒を通じて義を腹の底から信じてしまう伝統がある。
小林秀雄は浅野内匠頭の辞世の句の真偽について、史実自体の吟味を、議論することさえ軽く葬っている。なぜならば、
「伝説という言葉は、これを必要とした現実の人の心を思わずしては、意味をなさぬ言葉である。」と考えているからだ。
更に小林秀雄は元禄時代が危うい文化の時代と見ていた。理を突き詰め、美を突き詰めると、あとは断崖絶壁しか無い。この頃の小林秀雄の評論は、現代の学者に個々の感受性を基準においた心眼がなくなったと嘆いている。もともと事実の証明に限界のある歴史分析に必要なことは、今を見るための心眼である。と強調している。
**風さそう花よりも猶我はまた、春の名残を如何にとかせん 伝浅野内匠頭長矩
今もなお、小林秀雄の言うとおり、心眼と情緒は日本人から失われ滅びつつある伝統的智力である。
心眼は脳の内側から前頭葉の論理を照らすということであろう。暗闇に論理を以って見ようすることが真実の認識を遠ざける。真実は心眼、すなわちビジョンとインスピレーションによってはじめて輪郭を現す。反証可能なものだけが科学的真実の言明ではない。反証可能な形に記述するという作業をビジョンとインスピレーション、つまり心眼が措定し実施するだけのことだ。義挙は事前の義の言明によって起こされるものであるが、暗闇となった世で、心眼が失われていては、反証可能な義挙の客観性取得さえおぼつかない。
ディズニーランドで楽しくなるのもいいが、見るべきものはもっと近くにある。伝統美術品にかぎらず、古くから日本人が大切にしてきた、道具、方言、風俗、里山、伝説あるいはそれらが詰まった自分自身をじっと見つめるそういう作業が大切だ。内匠頭を思い出さずとも春の名残はだれにでもそこあるのだから。
福沢諭吉は
『昔、徳川の時代に、浅野家の家来、主人の敵討ちとて吉良上野介を殺したることあり。世にこれを赤穂の義士と唱えり。大なる間違いならずや。この時日本の政府は徳川なり。浅野内匠頭も吉良上野介も浅野家の家来もみな日本の国民にて、政府の法に従いその保護を蒙るべしと約束したるものなり。しかるに一朝の間違いにて上野介なる者内匠頭へ無礼を加えしに、内匠頭これを政府に訴うることを知らず、怒りに乗じて私に上野介を切らんとしてついに双方の喧嘩となりしか』
と言っている。
ちなみに。。
荻生徂徠は「徂徠擬律書」の中において義士切腹論を主張した。
「義は己を潔くするの道にして法は天下の規矩也。礼を以て心を制し義を以て事を制す、今四十六士、其の主の為に讐を報ずるは、是侍たる者の恥を知る也。己を潔くする道にして其の事は義なりと雖も、其の党に限る事なれば畢竟は私の論也。其の所以のものは、元是長矩、殿中を憚らず其の罪に処せられしを、またぞろ吉良氏を以て仇と為し、公儀の免許もなきに騒動を企てる事、法に於いて許さざる所也。今四十六士の罪を決せしめ、侍の礼を以て切腹に処せらるるものならば、上杉家の願も空しからずして、彼等が忠義を軽せざるの道理、尤も公論と云ふべし。若し私論を以て公論を害せば、此れ以後天下の法は立つべからず」