公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

公共の福祉

2010-05-23 09:10:54 | 日記
憲法 第二十二条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。2  何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

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 意外な事に、国籍について憲法の中では定義されていないが、(第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める)。
 あらためて読んでみても、いきなり国籍離脱の自由があると規定するのは不思議があると思った。たぶん個人の立場で國の主権を拒否する=亡命するということを想定しているのだろうが、憲法案が策定される時点で国籍は定義するよりも自明なものだったと考えるしかない。
 ここに言う国籍とは単に國の記録ではなく國の施政の一部として國に帰属する個人の自由を制限するものと考えられる。従って1項の公共の福祉に反しない限りという限定の影響下にあると思われる。公共の福祉とは人権と人権の対立を調整する概念で、積極的定義は難しい。
 たとえばある個人の表現の自由が、特定の個人の生存権と対立する場合、権利を侵されたと思う立場の者が救済を求める調整根拠が公共の福祉であり、あまりに幅広く公共の福祉それ自体に客観的境目が無い。
 これはプログラムのバグのようなもので、無限に悪用可能な入り口となる可能性がある。
 例えば外国人の個人的生活圏で第三者に日本語使用を強制されたという場合が最近あった。日本語で表現する側の自由によって、日本語では生活できない生活圏をもつ外国人が人権を侵されたと感じることを救済するという判決事例である。比較のために事例を挙げると、テレビ映像に埋め込まれたサブリミナル宣伝がある。サブリミナルは、視聴相手の合意無しに個人の生活圏に無自覚に忍び込む人権侵害だが、判決事例と比べると公共の福祉はかなり拡張されている。
 念のため付け加えておくが、公共の福祉は公序良俗とは違う。そのように直感的に決められる概念ではない。今後も通信映像技術の発達とともに新たに生じてくる人権衝突とともに変化する。
 憲法の不思議は解けなかった。ただ定義もせずにその否定命題を立てるということは、国籍自体が作業仮説で、他の法律と体系が矛盾してなければ、仮定存在は正しいと荒っぽく言う事は出来る。しかし調整概念に過ぎない公共の福祉は、國自体が個人の生存権を侵す増税を強いた場合には国籍を離脱する権利を留保している関係性を忘れてはいけない。
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