公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

機会と成果に割り当てる資源

2010-05-22 12:13:34 | 日記
「知識労働者たる者は、企業のエグゼクティブとして、自らの管理下にある唯一最大の資源、すなわち自分自身を、機会と成果に割り当てるという責任を果たさなければならない。」


     ドラッカー 新訳『創造する経営者』1964年ダイヤモンド社
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「ドイツの諸都市は完全に自由で、周辺にほとんど領土を持たず、自分たちに都合がよければ皇帝に服従しますが、そうでなければ、皇帝も近隣のいかなる諸勢力も恐れません。なぜなら、これらの都市を攻撃して手に入れるは厄介で困難だと、誰もが思うようなやり方で防備を固め、適切な溝や城壁を備えており、十分な火砲を持ち、公共倉庫には常に一年間分の食糧、飲料、燃料を備蓄しているからです。さらにそれ以上に、人々を平静に保ちながら国家が損失を蒙らないよう、都市の生命にして活力である労働者に公共作業を与えるという手段を持ち、それで人々が生活の糧をまかなうようにしているからです。また軍事教練を名誉あるものにし、その上、こうした教練を維持するために多くの法令を用意しているのです。」

     マキャヴェッリ君主論 第10章 『あらゆる君主国の兵力をどう測るべきかについて』

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資源を機会と成果に割り当てるという重要なマネージメントは資源の有限、つまり物理的有限ばかりでなく、統治可能な資源、知識労働者自身においては自分自身、君主においては都市の備え、労働力の限界を見定める事から始めなければならない。1日何時間取り組む事が出来る課題かということでほとんどの成果は決まってしまう。ついこのあいだまではそれでおしまいだった。テクノロジーは非常に短い時間を活用する手段を提供している。従って現代においては残された機会を細分化された時間をつかってうまく成果に結びつけるという配分もわすれてはいけない。ビジネスでは思わぬところから機会がやってくる。
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