公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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漫画「民主主義という病」小林よしのり

2016-08-23 08:56:30 | 今読んでる本
漫画であるが、丁寧に用語説明されているので、政治入門書としておすすめである。私が紹介するまでもなく著者小林よしのり氏自身が自画自賛している。


啓蒙書だからフランス革命を中心に民主主義が描かれているのは、しかたのないことだが、そろそろフランス革命も古臭くなってくる。「共和制」などと自称する政治家は世界にはヨーロッパぐらいしか無いだろう。しかしそれを丁寧に歴史事象との対応で説明してゆくと、共和制は代議制という代表形式にすぎないということがよく分かる。ナポレオンが皇帝になったように、王政や貴族制あるいは天皇制であっても共和制とは矛盾しない。なによりも代表制ということの本質を忘れていると「小林よしのり」は述べている。彼は私とは5歳上ながらも、ほとんど同世代で、精神的遍歴も影響を受けものも当然に似てくる。調べずにはいられないオタクな性質も私と同じである。

昭和の40年代から漫画というメディアの可能性は注目され。カムイ外伝の白土三平をはじめ、光る風の山上たつひこなど左翼的=反権力的表現者は、赤塚不二夫もジョージ秋山らもそうだが昔から漫画家に多かった。




小林よしのり氏が切り拓いた個を中心としたゴーマニズムという傲慢宣言、逆説的な自己命名のその内実は謙虚な検証漫画はネット社会になるまえからファン層にはネット的なサブカルの様相があった。つまり個の自立を揺籃するメディアがネットでありゴーマニズムというサブカルだった。

とまれ、本題にうつると、7
代表制は、大統領制であれ、議院内閣制の議会制民主主義であれ、正規の手続きと国家の目的に従って代表者の政治判断に命を預けるということにほかならない。だから米国にもアーリントン墓地があり英霊として顕彰され眠っている。日本人の民主主義観は戦前の帝国憲法をまるごと否定してしまったので、不戦の憲法のもとに正当な代議制の権力理解が妨げられている。

日本は戦前も戦後もどんな自衛発動も権力の行使無しには実現しなかったし、現在も同じである。盧溝橋事件から通州虐殺事件後に至る自衛戦は、軍部の暴走による侵略と教科書に書いてあるから、権力の本質が侵略的な物という狭い見方しかできなくなっている。実際の軍は攻撃までして勝たなければ首がとぶ。だから戦前も戦後も明白な勝利をおさめるまで進まざるえない怖さを知っている。これが自衛権発動の抑制になっているのだ。

どんな国の歴史を見ても統治とは平和を目的としたものではなくPAXの名のとおり辞書的に平定=支配なのだ。Pax Romanaはローマによる支配ゆえの平和である。だから平和を前提とする代議制のもとでは代表者の判断に命を預け、支配を確立することで平和が衞られているという権力構造を無視すると、平和が単に戦争をしていない状態という浅薄な理解になる。戦争を定義せずに平和を賞賛する阿呆はただの阿呆である。

漫画を買って読めばわかることだから、
全部説明する必要もないが、戦争はドンパチだけの問題ではない、平時の情報戦、文化戦、技術戦、破壊工作戦は目に見えなくても常に国内侵攻している。このように国民国家の未来の国力を失わせる可能性のあるあらゆる政治工作と戦うことが既に戦争であり、例えば"もんじゅ"に見るような重要インフラの不作為の故意による危険放置や国内に外国人が不動産を取得して破壊工作の拠点をつくる外患誘致も、それが起こる前から安全保障の司の管理下に置かれているのが国際的常識である。

バカほど定義のないものに四方八方から飛びつき勝手に解釈して燃え上がる。古くはプロレタリアート、構造改革、金権政治、友愛の海。AIIB。。。最後の2つは定義できないバカ

まあ漫画を買いなさい。公心と彼のいうものは歴史的には「正しい気の上に乗っていなければ、人の道の条理は実現せず、ましてや連綿千年余も継承されない。」と山崎闇斎が確立した理気論と根っこが同じである。

ところが棲息を自己目的としている平和主義者は、平和という状態を戦争の記憶に頼りすぎているから、公によって平和が成り立っていることが理解できていない。ナポレオンの研究者であった石原莞爾中将はナポレオンの次の言葉を抜粋している。すなわち「戦争は政務と等しく、主として機知によって定まる」「戦争では精神上の要素と世論とが戦闘の半ばに当たる」戦争はこの言葉のように精神と機知とが世論を味方につけてすでに50%の目標を達成するという実践家(国民軍創設者)の言葉は重い。

戦争を連想させるものになんでも噛み付く連中ほど戦争の内実を定義せずに、ただドンパチのない状態を平和と云う戦後に出てきた阿呆である。更に支配を肯定せずに代議制を主張する連中は議院内閣制の権力独占さえ肯定しない立場でありながら、今はなき民主党のように一旦<万能の民意で>政権をとったら悪者の藁人形《公共事業=コンクリート》を担ぎ出して一方的に強烈な裁可を下し独裁支配を行う。

小林よしのり氏の漫画そのまま革命テロとテルミドールのクーデターの歴史が教えるとおりだ。歴史のここを教えなければ、代議制に王族や皇帝や貴族、皇族や天皇が併存してことをちゃんと理解させることができない。小林よしのりはここを格そうとしている。

小林よしのり氏は帝国憲法についても、普通の学者以上に勉強している様に見えるが、一つも国際主義を批判していない。槍玉にあげるのは小者ばかりなのはどういうことなのだろう。明治の国際政治を一目見れば、なぜ二国間紛争が世界戦争になったかは明白であるにもかかわらずだ。

民主主義の二枚の写真を見てみよう。





これらの写真がなぜ重要かというと、権力を持たない人間の殺人はテロで、権力を持つ人間の殺人は処刑でであることを確信させるからだ。民主主義は代議制である限り命令による殺人を肯定する。個人の判断による計画的殺人はどんな政治制度体制でも禁止されている。死刑制度も含め殺人委託を前提とするのが支配というものである。だから権力委託の納得のない階層にとって、民主主義は格好のテロの温床という見方もできる。

自衛の殺人はその切迫性と他の選択ができない条件の下で許される。ちなみに処刑者は戦闘で足を失ったが、民主主義によって罰せられることもなく、亡命後米国でピザ屋を開店した。

「ロシアの治安機関は、モスクワとサンクトペテルブルグにある宗教団体「オウム真理教」のメンバーの住宅を家宅捜索し、拘束した。」この意味を考えれば、潜在的戦争のほう芽となるテロは日本支部で始まりつつある。

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