君主論 第26章 「イタリアを蛮族から解放せよという勧め」
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イル・タロの戦闘は1495年、アレッサンドリアは1499年、カプアは1501年、ジェノヴァは1507年、ヴァイラは1509年、ボローニャは1511年、メストリは1513年に起った。
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今となっては誰ももう振り返らないようなイタリア人の敗戦を並べると、この時代はちょうど500年前に相当する。イタリアは時代を映した。
これらの戦いの原因は何か。教皇庁の財務管理を一手に行っていたメディチ銀行の破たん。金融が契機となり、一連の変化が始まる。1494年フランスの進撃でメディチ家はフィレンツェを追われる。タロの戦いはイタリア側が3千以上の死者、対してフランス側は2百程度と伝えられる。本当に大量の死者が出た戦いとしては久しぶりのものだったらしい。
レオナルド・ダビンチも同時代.教皇軍総指揮官チェーザレの軍事顧問だった。
マキァヴェッリはフィレンツェ政府により派遣され交渉人としてチェーザレに会うことになる。政治的には大変難しい時代だった。1499年チェーザレはチェーザレ・ボルジア・ディ・フランチアと名乗りフランス軍と共にミラノへ入城している。ここに教皇の政治的権威は完全に崩壊した。やがて教皇もチェーザレも旧勢力となる。ルネッサンスとは新旧交代の旧勢力の輝きにすぎない。
しかし新たな精神秩序に向けて何かが始まろうとしていた時代でもあった。
ミラノ入城を遡ること20年前から、美のよりどころはプラトン主義に回帰しようとしていた。地上のビーナスと天上のビーナスがしっかりと意識されたボッティチェリの春(1477-78)とヴィーナスの誕生(1485-86)は絵画の秩序は聖俗の論理と結び付けられていた。単純にギリシャの価値観の復活にとどまらない。世俗からの天上再構築がまさにこの時代だった。しかし地上はその前に滅びた。16世紀に入ってから60年近くイタリアは侵略を受け続ける。
前にもどこかに書いたが、1517年マルティン・ルターによりヴィッテンベルクの教会の扉に論題が張られた。500年後の2020年ころには新たな精神性の時代が始まると期待する。
500年周期のキリスト教社会の聖俗周期は現時点でその中間点を超えて、聖典本位の体系へ動き始めている。
500年前のイタリアは歴史の偏曲を映す鏡であった。世俗化は金融機関化した教皇庁、商品化した聖跡をもたらし、免罪符をうりまくった姿は、今日のサブプライムローンやゴールドマンサックスとギリシャ政府の関係に相似している。
ちなみに16世紀フランスは血みどろの宗教戦争を始める。パリ1572年9月11日、大虐殺の記念日としてローマ教皇はパリの虐殺を神の怒りの現れと讃えたが《聖バルテルミーの虐殺あるいは(英語表記から)聖バーソロミューの虐殺》、信長が足利義昭を畿内から追放した年、日付けは偶然にも9月11日が現在何の日かはだれもが知る。
現代は世俗から天上を再構築するという宗教とは一見無縁に思える。しかし金融の無制限成長が思い上がりと気づき始めた草の根のキリスト教をアイデンティティーとする人々は、神の意志と聖典を意識し始めている。資本主義の行き過ぎた強欲は若い世代によって革新される必然の途上にある。そのエネルギーの源泉は、500年前と同じ富の偏在と驕慢なセレブに対する憎しみである。
500年後の明日、キリスト教社会の最も大きな倫理的矛盾、拝金主義と結びついた背徳的経済活動によって生じた債務の帳消しを政治的よりどころとして、21世紀のマルティン・ルターが現れ、ヴィッテンベルクの教会の扉に再び貼り付けられることだろう。この周期は人類の歴史の呼吸のようなもので、数十年のずれはあっても、周期と振幅を避けることはできない。
今も何かが始まろうとしている。しかし歴史の中にいる我々にはそれを感じ取ることができない。それでも若年の世代にはわれわれよりも長く生きるチャンスがある。何かを予測するのではなく、それを始めるべきだろう。
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「急激な構造変化の時代にあっては、生き残れるのは、自ら変革の担い手、チェンジ・リーダーとなる者だけである。」「したがって、このチェンジ・リーダーとなることが、あらゆる組織にとって、21世紀の中心的な課題となる。チェンジ・リーダーとは、変化を機会としとらえる者である。変化を求め、機会とすべき変化を識別し、それらの変化を意味あるものとする者である。」
ドラッカー「チェンジ・リーダーの条件」