公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

『嗚呼!!明治の日本野球』 横田順彌

2016-10-05 20:22:48 | 今読んでる本
早慶戦の発祥が面白い
吉岡信敬(早稲田側)の記述であるが、押川春浪の孫引きである。
吉岡 信敬(よしおか しんけい、1885年(明治18年)9月1日 - 1940年(昭和15年)12月7日)は日本の応援団員。早稲田大学の応援隊長として「虎鬚彌次将軍」の通称で知られ、当時は乃木希典、葦原金次郎と並んで「三大将軍」と呼ばれたほどの人気者だった。
なお、名前の正式な読みは「のぶよし」であるが、一般的には「しんけい」と呼ばれており、また本人もそう称していた。
押川 春浪(おしかわ しゅんろう、1876年(明治9年)3月21日 - 1914年(大正3年)11月16日)は日本の冒険小説作家、SF作家。愛媛県出身、本名は方存(まさあり)。冒険小説のジャンルを定着させ、雑誌『冒険世界』『武侠世界』で主筆を務めて多くの後進の作家、画家育成に尽力した。
ともにバンカラのモデルである。

人気は事件とともに生まれた。その後の不戦期間は大学野球のタブー歴史となっている。

第三試合は中止となる。

明治三十九年には、マジですか?とは言わずに マッタク(真実)ですかと言った。マッタクだ。という言い方は今も残るが、この手の副詞は流行に弱い。
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