公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

『檸檬』梶井基次郎

2019-08-24 11:39:00 | 日本人
実に短い絶望、落魄(おちぶ)れた私の文章 梶井基次郎の「檸檬」

その中で、美は別次元であった。
《私はまたあの花火といふ奴が好きになつた。花火そのものは第二段として、あの安つぽい繪具で赤や紫や黄や青や、樣ざまの縞模樣を持つた花火の束、中山寺の星下り、花合戰、枯れすすき。それから鼠花火といふのは一つづつ輪になつてゐて箱に詰めてある。そんなものが變に私の心を唆つた。 それからまた、びいどろといふ色硝子で鯛や花を打出してあるおはじきが好きになつたし、南京玉が好きになつた。またそれを嘗めて見るのが私にとつて何ともいへない享樂だつたのだ。あのびいどろの味ほど幽かな凉しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなつて落魄れた私に蘇つて來る故だらうか、全くあの味には幽かな爽かな何となく詩美と云つたやうな味覺が漂つてゐる。》
南京玉は懐かしい。まだ四つくらいの頃、祖父母の家の縁側を転がしていた。思えば生まれてはじめての手の中の美であった。

『櫻の樹の下には』から削除された部分

――それにしても、俺が毎晩家へ帰つてゆくとき、暗のなかへ思ひ浮んで来る、剃刀の刃が、空を翔ぶのやうに、俺の頚動脈へかみついてくるのは何時だらう。これは洒落ではないのだが、その刃には、

 Ever Ready (さあ、何時なりと)

と書いてあるのさ。— 梶井基次郎「櫻の樹の下には」(『詩と詩論』第2冊掲載)

【肺尖カタル】
肺尖部の炎症。特に、結核性の炎症。肺結核の初期と考えられていた。肺尖炎。
カタル(英: catarrh [kəˈtɑːr])とは、感染症の結果生じる粘膜腫脹と、粘液と白血球からなる濃い滲出液を伴う病態のこと。カタルは通常、風邪、胸部疾患による咳に関連して認められるが、アデノイド、中耳、副鼻腔、扁桃、気管支、胃、大腸に出現することもある。カタル性滲出液は排出されることもあるが、狭窄とともに管腔を閉塞させたり、慢性化したりすることもある。

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