公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

ものぐさな店

2010-05-15 22:39:25 | 日記
「というわけで、合理的でない客などというものはいないんだ。ものぐさな店があるだけだ。客がこちらの思ったような行動をとらなかったとしても、不合理だなどといってはいかん。」

   ドラッカー 『傍観者の時代』p.236 1979年 ダイヤモンド社

「成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。 」
   ドラッカー 『非営利組織の経営』p.216より

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「君主となっている場合は、気前よさは危険ですが、君主になる途上であれば、気前がよいと思われることは、とても必要なことなのです。カエサルはローマ帝国の卓越者になろうとした人たちの一人でしたが、もしそうなった後も生き長らえ、その出費を抑えていなければ、その統治は破滅したことでしょう。」
   マキャヴェッリ『君主論』 第16章 「気前よさとけちくささについて」
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 大衆の好みがたとえ正義でなくとも適法適正であるならば、事業は応えざる得ない。
 考えが合理的であれば、損はしたくないそれがお客というものだ。
 しかしそれが常に底値で買いたいと思っていることと同値なわけではない。パンとサーカスにも飽きがくる。大衆エネルギーの上昇期には満足度の方が上位にある。
 上昇期か下降期かということも重要な問題。満足も不足の中の満足と充足の上にのせる満足は異なるし、期待値が高まれば今日の満足は明日の不満足になる。買ったばかりなのに、すぐ後に新製品が出ると損をしたと思う。しかし同じ上昇トレンドの中にあってはiPhoneでもiPadでも満足を維持する。
 上昇期のこの錯覚が判断を誤らせる。
 <習慣的姿勢>とは組織&マーケティングの最適化&合理化をどういう思考で選択するかということで、マニュアルではない。マニュアルの背景にある考えの事だ。
 ものぐさな店とは、努力の無い店ではなく組織&マーケティングの最適化&合理化に関する考えの無い店だ。
 
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