公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

肥やしになるのさ

2013-05-12 17:14:23 | 日記
たまたまこうして生きていることの質料的意義は、結局、次世代の肥やしになることに尽きる。人間いつかは死ぬに決まっているし、余程の悪人でない限り後の世に名を残すということもない。大方の人間の誕生の意義はやがては影も形も亡くなることによって成就される。

生成消滅の大きな枠組の中で考えれば、人間が仮初にも生きている間に何かをしなければならないことが明確で、要はどうやったら自身が次世代の肥やしになれるかちゃんと考えて、肥やしになることを肝に据えてかかるということだ。

元肥であろうが追肥であろうが、自分自身を形作るために前の世代に費やされた質料を出来る限り次の世代に渡す努力ばかりでなく、形ある何かを渡そうとする必要など誰も求めてはいない。そういう執着は何かを残そうとする意地は我執にすぎない。影も形もない肥やしに私はなりたいのだ。



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