岡潔は「頭頂葉に火をつける」と言う。なかなかにわかりにくいことですが、仏教で言う第九識・霊のことです。これが教育の根幹、感化であると言いました。仏教では不一不二*という段階の意識である第九識・霊は人間同士が直接に他者とつながるところとされています。
この扉があるから、意識せずとも人に惻隠の情が生まれ、精神は共感し、分裂し、他のものとなって、やがて帰還する。生命の利他性の根拠がここにある。これを岡潔は「頭頂葉に火をつける」と言ったわけです。「仏陀、エックハルト、そしてこの私は、本質的には同じことを教えている」 アルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)こう証言している哲学者もここまでは気づいていない。
ここには明治維新は吉田松陰のこの感化の働きによって日本の精神を代表した人物を生み出したという岡潔の強い主張がある。この文は彼が正式に教育改革案として提出したものであるから、よほどに確信があったに相違ないのでしょう。しかし当時の政府はこれを無視したようです。自然科学に依存した教育批判を主張していたから、文部省の真反対の方針だったからでしょう。さらに岡は真っ向からデューイを批判しています。これでは無視されるのも無理の無い話と思います。なぜならデューイ説は教育課程の前提である性善的人間発達に棹さすスキームに取り込まれていた(米国が与えた)からです。出光佐三が言うとおり、占領下の7年で日本の官僚はゴマすりだらけになってなってしまったことには岡潔は気づいていなかったようです。どちらかというと日教組と共産主義と物質主義が悪いという論調になっています。
岡は、「一口で言えば五感でわからないものは無いという仮定は、全く原始人的仮定である。」とまで言っている。心を通じた感化の存在を信じるならば、相互作用しない精神は無いと信じるべきでしょう。
岡からしてみれば原始人の育成にみえるほど、当時の日教組の掲げる教育の理想と政府の方針は、日本民族の精神の扉を通じた感化機能を破壊する役割を持っていた。岡いわく昆虫のような即物に直反射するだけの人間をつくるには側頭葉に知識を詰め込めば出来上がるとのことです。
さて時は流れて......。44年後の今、側頭葉に知識を詰め込んだ昆虫のような官吏が大量生産されて、何らの惻隠の情、生まれてもいない罪なき未来の日本人の痛みを、心で感じない人々によって原子力災害の根本問題(廃棄物問題)が先送りされている。惻隠のインスピレーションのないエリート、情のない官吏・感受性のない無能な監督者が当たり前のように特権を貪っている***。
幸いなことには、今から何年か後に、日本人はもう一度維新に立ち会えるということです。その時は昆虫人間は絶滅するでしょう。
続く
「日本民族の危機 葦牙(あしかび)よ萌えあがれ!」復刻記念講演
**補足
不一不二とは、個人も社会も時代も超えた、絶対的精神ということです。対立概念のない精神世界であるから、自分と他人の区別も当然にない。簡単に例えると、死の世界にあって死を恐れることがないように、不一不二の世界にあってはあらゆるものを照らす根源しか無い。
***補足
あくびはグループ内で共感を生む可能性もある。あくびは人から人へうつる傾向があるとみられるが、あくびが「うつる」かどうかは、あくびをしている人に、それを見ている人が共感できるとか、親近感を持てるといった能力によることが、「International Journal of Applied Basic Medical Research」(インターナショナル・ジャーナル・オブ・アプライド・ベーシック・メディカル・リサーチ)に公表された2013年の研究報告で示されている。
この扉があるから、意識せずとも人に惻隠の情が生まれ、精神は共感し、分裂し、他のものとなって、やがて帰還する。生命の利他性の根拠がここにある。これを岡潔は「頭頂葉に火をつける」と言ったわけです。「仏陀、エックハルト、そしてこの私は、本質的には同じことを教えている」 アルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)こう証言している哲学者もここまでは気づいていない。
ここには明治維新は吉田松陰のこの感化の働きによって日本の精神を代表した人物を生み出したという岡潔の強い主張がある。この文は彼が正式に教育改革案として提出したものであるから、よほどに確信があったに相違ないのでしょう。しかし当時の政府はこれを無視したようです。自然科学に依存した教育批判を主張していたから、文部省の真反対の方針だったからでしょう。さらに岡は真っ向からデューイを批判しています。これでは無視されるのも無理の無い話と思います。なぜならデューイ説は教育課程の前提である性善的人間発達に棹さすスキームに取り込まれていた(米国が与えた)からです。出光佐三が言うとおり、占領下の7年で日本の官僚はゴマすりだらけになってなってしまったことには岡潔は気づいていなかったようです。どちらかというと日教組と共産主義と物質主義が悪いという論調になっています。
岡は、「一口で言えば五感でわからないものは無いという仮定は、全く原始人的仮定である。」とまで言っている。心を通じた感化の存在を信じるならば、相互作用しない精神は無いと信じるべきでしょう。
岡からしてみれば原始人の育成にみえるほど、当時の日教組の掲げる教育の理想と政府の方針は、日本民族の精神の扉を通じた感化機能を破壊する役割を持っていた。岡いわく昆虫のような即物に直反射するだけの人間をつくるには側頭葉に知識を詰め込めば出来上がるとのことです。
さて時は流れて......。44年後の今、側頭葉に知識を詰め込んだ昆虫のような官吏が大量生産されて、何らの惻隠の情、生まれてもいない罪なき未来の日本人の痛みを、心で感じない人々によって原子力災害の根本問題(廃棄物問題)が先送りされている。惻隠のインスピレーションのないエリート、情のない官吏・感受性のない無能な監督者が当たり前のように特権を貪っている***。
幸いなことには、今から何年か後に、日本人はもう一度維新に立ち会えるということです。その時は昆虫人間は絶滅するでしょう。
続く
「日本民族の危機 葦牙(あしかび)よ萌えあがれ!」復刻記念講演
**補足
不一不二とは、個人も社会も時代も超えた、絶対的精神ということです。対立概念のない精神世界であるから、自分と他人の区別も当然にない。簡単に例えると、死の世界にあって死を恐れることがないように、不一不二の世界にあってはあらゆるものを照らす根源しか無い。
***補足
あくびはグループ内で共感を生む可能性もある。あくびは人から人へうつる傾向があるとみられるが、あくびが「うつる」かどうかは、あくびをしている人に、それを見ている人が共感できるとか、親近感を持てるといった能力によることが、「International Journal of Applied Basic Medical Research」(インターナショナル・ジャーナル・オブ・アプライド・ベーシック・メディカル・リサーチ)に公表された2013年の研究報告で示されている。