本田技研工業の当時の時間スケールを
5年と置けば 金は儲けたのでまずは成功
ホンダ技研の初期は奇跡的成功かもしれない
1948年従業員34人、資本金100万円。浜松の小さな町工場
で自転車用補助エンジンの製造からスタート。20年と置けば 公害と自動車事故という大きな失敗が待っていた。
1964年日本初のF1マシンRA271が第6戦ドイツGPでデビュー。翌年最終戦メキシコGPで初優勝。
1972年
低公害CVCCエンジン発表当時最も厳しいとされたアメリカの排出ガス規制マスキー法を世界で初めてクリア。
公害という大きな壁を乗り越えた。この時からホンダ技研は無邪気な技術屋集団から成熟した企業を目指すことができるようになる。
昔の人は『及ばざるは過ぎたるよりまされり。』とよく言い表したものである。その時間スケールで過ぎたること、つまり分限を超える望みを優先して戦略を見失うことを失敗と定義しよう。会社や事業プロジェクトの時間スケールを自覚しておくことが肝要。経営資源が許すならば時間スケールの違うものを同時進行させてゆく戦略こそが王道。ホンダの失敗は販売台数を追求しトヨタと同じマスデザイン戦略に陥ったこと。
⭐︎ 徳川家康公御遺訓
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。