公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

世界観の逆転

2012-01-01 00:00:00 | 意見スクラップ集
 若い人たちを見ていて、今は亡きドイツ中世史研究者、阿部謹也が言っていたことを今更ながらに納得する。
 世界観には2種類ある。現代は近代個人主義を前提とした自分の中に映し出された世界に自己の所在を投影する学問が主流だが、中世の世界観の主流は自分を現実の世界に投影し所在すべき現実のなかに位置づけすることだった。自己実現というものは存在しない。現実と一体化することが幸福という世界観だ。
昔アイドルは遠い人だったが












 21世紀、もう人類は近代個人主義の枠組みに疲れてしまっている。アキバ系のアイドル会いにゆく日本の若者はその先駆けを始めている。これから大多数の人間が、目の前の現実(アイコン)に自分を投影して救いを求め幸せになる時代なのかもしれない。

 人間の歴史は約500年周期で世俗本位のピークと聖典本位のピークを繰り返している。一番最後の聖典本位のピークは宗教改革後の清教徒の登場カルビン革命の終焉、一番最後の世俗本位のピークはパリコミューン、それから社会主義革命とその混乱を続け、新世紀に入り聖典本位の時代に入りつつある。
 近代個人主義や学問の自由はそろそろ終わりかもしれない。自己が外部化する時代は、自分のなかの世界観を必要としない無苦痛の時代となる。当然だが科学認識も発達しない。
 簡単にたとえるならば、今からが現代的な中世の始まりと言って良い。


 最近の若者が科学に疎く、食べ物の放射能汚染は茹でると消えると思っている驚きのレヴェル。先進国の中の最下位程度、太陽が地球の周りを登ったり降りたりしてる方に親しみを感じている。生活はシナリオもキャラクターも既に既存社会にリアルまたは仮想つまりバーチャル、巧妙な反応つまりアクチュアルに存在し、外的に予め決まったセリフに従うだけの擬似俳優であふれる社会へと転換が始まっている。

この国の若年層を中心に個人主義的自我が溶解し始め、意見がなく自分が溶け込むべき空気を気にし、お互いの心とは距離をあけながら、非実在のアイコンを見つめて、予想どおりの反応を楽しみ妙に仲良くしてている。
 古い人間には若い世代の遠い目標を定めない生き方、内面世界との矛盾葛藤に苦しまない姿が理解できないが、阿部謹也が言っていたように自己を見つめる世界観が外部化しているため(内面世界に自分を重ねていないので)と考えれば簡単に納得できる。

 こう考えると私はもう古い意識構造の人間。
 

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