公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

今読んでる『シチリア・マフィアの世界』 藤沢房俊

2017-08-02 08:26:00 | 今読んでる本
自力救済の一つの形態、マフィーオーゾについて研究している。イタリアマフィアが本格的にチカラをつけるのは歴史的右派が退陣してから、1876年左派が政権を握り、有権者人口が増えるとともに勢力増加した。

イタリアは日本の明治維新とほぼ同じ時期にやや遅れて1861年に統一国家(非ブルボン家国家)になったが、この左派政権交代は日本の西南戦争の1年前にあたり、イタリアと日本は鏡の国のパラレルワールドのように独自に国民国家を形成しつつあった。日本の武士階級はマフィオーゾのような自尊心を保持してはいたが、大半はあたらしい秩序とポジションに従った。

他方イタリアは日本と同様1860年台は内戦が続く。その中で新興法治国家イタリアの司法に従わず、シチリア地方を統治無力化させていたマフィアが国家の政治と結びついて、地域を超え都市部に拡大成長するのは、封建主義的大土地所有貴族の支配の時代ではなく、議会と選挙の時代だった。つまりマフィアは最初から秩序と反抗という2つの顔を持っていた。明治維新で最後までこの相異なる2つの機能を果たせたのは長州藩(一部の他藩からの官僚を含むが)だった。簡単に言えば、長州はシチリアマフィアに相当すると考えおけば、パラレルワールドの解釈も面白くなる。ただし長州は統一国家をどういうわけか反抗しながら承認した。長州が変わったのか天皇の政府が変わったのか、答えはこのどちらかである。イタリアはマフィアの出世を保証して政府が変わった。

1890年、1895年、1897年の選挙で政府とマフィアが協働した不正は議会にシチリア支配階層の議員選出としというところまでゆくが、此処から先が日本とは違う。決してイタリアを自分たちの上の国家を認めず、シチリア人として「イタリア政府は売女だ」と言い続けた。マフィアの王国以外を承認しないこのあたりがとてもおもしろく、何度も異国に支配されてきたシチリアの歴史を感じさせる。そればかりでなく労働運動の影響を受けたシチリアファッシをマフィアが目ざとく取り込んでファッシの指導者になっている。

1890年代にほぼ政治と司法を支配したシチリアマフィアはボローニャで下された殺人有罪判決をひっくり返すまでの力になった。犯罪者が英雄の時代が始まっていた。これは驚くべきアンチイタリアの実効支配であろう。もしこの時代琉球にそのような叛乱があったら、西南戦争と同じように鎮圧軍が派遣されただろう。イタリア政府にはそれができなかった。既に政府内にマフィア人脈が入り込み政策は筒抜けだったのだから。シチリア銀行頭取の暗殺も政府を経由したリークが契機だった。西南戦争の時の西郷従道はそのような裏切りをしなかったが、その後の長州は売国に忙しかった。決定的なのは日本をまるごと担保に入れた日露戦争戦費調達だろう。


ファシスト時代のピアーナ・デッリ・アルバネージ(当時の名前は、ピアーナ・デイ・グレシ(Piana dei Greci)と呼ばれた)をムッソリーニが訪問した時の古いマフィアによる辱しめは面白い。新しいマフィアはファシスト党にも足場を置いていてしたたかであった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 稲田は何故辞任するのか | トップ | Apple 終わりの始まり »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。