公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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小林益川理論が生まれる前夜 『現代学問論 湯川秀樹 武谷三男 坂田昌一』

2021-09-26 12:40:00 | 日本人

この本は1970年の初版であるが、対談は1969年いわゆる学園紛争が終息を迎える頃に行われた。小林も益川も坂田昌一門下生で、この当時はいわゆる若手の不安定な研究者である。


その頃村西とおるは英語版百科事典を売っていた。
 
「エンサイクロペディア」セールスでは、全国で六千人の名うてのセールスマンが売上げを競っていた。  
村西とおるが入社したとき、「エンサイクロペディア」売上げ全国セールスマンコンテストがおこなわれている最中で、全十週のうちすでに第六週目に突入していた。残りあと四週というときに入社した村西とおるはいきなり第一位に躍り出て、以後コンテストをやるたびに一位になった。
 「だから、どんなことを言われても自分はギブアップしないんだ。応酬話法を何十も持ってるわけよ。お客を口説いている喫茶店を舞台に、雰囲気というものを前提に何でも話しちゃうわけですよ。ほとんど口説けない人はいないわけ。応酬話法っていうものは、目の前にあるもので話をしろということでね。いわゆる消費者の需要というものは創造するものなんだよ。たとえば磨いてる石なんていうものはその人によって何円の価値もない人もいれば、ある人にとっては何億の価値があるんですよ。いくらダイヤモンドだって全然お呼びじゃない人が、こっちのぶどう一粒のほうが価値がある。でもある人にとってはそのダイヤモンドは何千万円の価値があるんですよ。そのように、その人にとっての必要性というものをそこに創造しろと。それがセールスなんです。  
 
空気や水じゃあるまいし絶対的に人間に必要なものは限られている。今日のような大量生産の流通経済において、消費というものは善である、という前提にたって発表しろと。おまえが一つの消費というものをそこに成立させることによって日本の文化、世界の経済は潤うんだ。まさにこういう自演ですよね。それを私に教えてくれたのが小野さんという課長なんですがね。立派な方だった。バンって蹴っ飛ばされたよ、私だけ。明治学院出身の人でね。営業マンの姿勢とか生き方とか全部教わった。蹴っ飛ばしたりするからその人に憎しみさえ感じたけどね。でもいまはあの人がいていまの自分があると思っている。手になんの職も持たないおれだもん、必死で教えてもらったさ」  
 
いまでも「グロリア版『エンサイクロペディア』全三十巻が家にあって、幅をとって困っています。どこかに売れませんか」といった相談がネットにアップされたりする。  村西とおるが若きころ、売った全巻セットだったかもしれない。
 
基本的に大学学問の危機にあったこの当時の湯川秀樹の問題意識を抜き出してみると、オリジナリティは心情的にいやらしいもののある。坂田昌一は寺田寅彦のような平和な学問には懐疑的。意外と思うかもしれないが、ノーベル賞受賞した湯川にとって若手の攻めは足りないと思っていたようだ。しかし名古屋大学には小林と益川がいた。この本が出版された年に南部陽一郎は米国に帰化した。

小林・益川理論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
 
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小林・益川理論(こばやし・ますかわりろん)は、

小林誠京都大学、当時)愛知県名古屋市出身。愛知県立明和高等学校卒業。幼くして父を亡くしたため、母方の伯父に当たる海部家に身を寄せ、従兄の海部俊樹らと共に暮らす[6]名古屋大学理学部にて坂田昌一らの指導を受ける。学位理学博士(名古屋大学・1972年)。論文の題は 「軽粒子ハドロン散乱と流れ代数和則」[7]。 卒業後は京都大学や高エネルギー物理学研究所(現・高エネルギー加速器研究機構)で理論物理学の研究を続けた。その業績により2001年に文化功労者に選ばれ、2008年には益川敏英南部陽一郎と共にノーベル物理学賞を受賞した[8]

益川敏英京都大学、当時)愛知県名古屋市中川区生まれ[3]戦後昭和区西区で少年期を過ごす[3]。生家は戦前家具製造業、戦後は砂糖問屋を営んでいた。名古屋大学理学部坂田昌一研究室に所属し理学博士号を取得[4]。博士論文のタイトルは「粒子と共鳴準位の混合効果について」(名古屋大学、1967年)。

京都大学理学部の助手であった1973年に、名古屋大学・坂田研究室の後輩である小林誠と共にウィーク・ボゾンクォークの弱い相互作用に関するカビボ・小林・益川行列を導入した。この論文は、日本人物理学者の手による論文としては歴代で最も被引用回数の多い論文である。

 

によって1973年に発表された理論である[1]

両者は1973年に発表した論文の中で、もしクォークが3世代(6種類)以上存在し、クォークの質量項として世代間の混合を許すもっとも一般的なものを考えるならば、既にK中間子の崩壊の観測で確認されていたCP対称性の破れを理論的に説明できることを示した。

クォークの質量項に表れる世代間の混合を表す行列はカビボ・小林・益川行列(CKM行列カビボ・小林・益川行列(カビボ・こばやし・ますかわぎょうれつ, Cabibbo-Kobayashi-Maskawa matrix)は、素粒子物理学標準理論において、フレーバーが変化する場合における弱崩壊の結合定数を表すユニタリー行列である。 頭文字をとってCKM行列と呼ばれる、と呼ばれる。2世代の行列理論をN.カビボ1963年に提唱し、3世代混合の理論を1973年に小林・益川の両者が提唱した。

発表当時クォークはアップダウンストレンジの3種類しか見つかっていなかったが、その後、1995年までに残りの3種類(チャームボトムトップ)の存在が実験で確認された。

KEKBelle実験およびSLACBaBar実験英語版で、この理論の精密な検証が行われた。これらの実験により小林・益川理論の正しさが確かめられ、2008年、小林、益川両名にノーベル物理学賞が贈られた[2]

 

 

^ Kobayashi, M.; Maskawa, H. (1973). “CP-Violation in the Renormalizable Theory of Weak Interaction”Progr. Theor. Phys. 49 (2): 652–657. doi:10.1143/PTP.49.652.


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