小泉八雲の作に有名な「日本人の微笑」というのがある。内容はあまりに有名なので引用しない。
読みなおしてみると面白いことに気づく。
ラフカディオ・ハーンは西欧の文化を最高とおく明治の知識人を批判しながら、西欧文明を再発見しようとしているところだ。日本人がなぜ幸福なのか、相互依存の道徳に求めている。西欧さえも到達していない、ハーバート・スペンサーの「最高の個性化は、最大の相互依存を伴わねばならない。」を引用し(明治時代はスペンサー紹介が日本で流行していた)、現に実現している日本人の社会としてスペンサーを理解しなおしているのだ。
当時、日本人の微笑を誤解している西欧人も多かったが、外国人をも感化する、それほどに明治期日本人社会で、個人の幸福が<微笑みと微笑み返し>という行為を通じて、相互依存が個の幸福を保証していた。まったく自然(じねん)に、かく信じて飾ること無く実現している明治期の日本人は、西欧人の目から怠け者に見えるくらい、この世の幸(さち)を享受することに長けていたのだ。
心の幸福度が外面的な文明の不足を感じさせない、経済成長が止まったこれからの世界、そのような凛として限られた文明の幸を幸福に享受する社会を自然(じねん)として実践すべきかもしれない。
私による、私のリンク集
読みなおしてみると面白いことに気づく。
ラフカディオ・ハーンは西欧の文化を最高とおく明治の知識人を批判しながら、西欧文明を再発見しようとしているところだ。日本人がなぜ幸福なのか、相互依存の道徳に求めている。西欧さえも到達していない、ハーバート・スペンサーの「最高の個性化は、最大の相互依存を伴わねばならない。」を引用し(明治時代はスペンサー紹介が日本で流行していた)、現に実現している日本人の社会としてスペンサーを理解しなおしているのだ。
当時、日本人の微笑を誤解している西欧人も多かったが、外国人をも感化する、それほどに明治期日本人社会で、個人の幸福が<微笑みと微笑み返し>という行為を通じて、相互依存が個の幸福を保証していた。まったく自然(じねん)に、かく信じて飾ること無く実現している明治期の日本人は、西欧人の目から怠け者に見えるくらい、この世の幸(さち)を享受することに長けていたのだ。
心の幸福度が外面的な文明の不足を感じさせない、経済成長が止まったこれからの世界、そのような凛として限られた文明の幸を幸福に享受する社会を自然(じねん)として実践すべきかもしれない。
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