公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

東京電力の教訓

2011-06-29 10:07:24 | 日記
 昨日は東京電力の株主総会で、注目度が高まった。
 多くのコンサルタントは「企業の目標が企業価値最大化であることに異存はないはず」というが、そうとは認められない事例が東電の事例ではないだろうか?
 企業が社会的に成長の限界に達していたらどういう選択をするべきか?
 需要がなくなったら需要を作り出そうというのが東京電力に限らない上場企業のシナリオだ。東電の場合、国民の目を欺く総括原価法というマジックが原発投資で無限成長する幻想を生み出した。
 ゲームソフトでもキャラメルでも同じこと。企業の目標が企業価値最大化であることに異存はないはずという前提が無謀で無惨なモデルの採用を誘引していると思う。

 企業の目標はまず企業と社会の関係が持続するという見通しの上におかれなければならない。公益性の有る無しは関係のないこと。社会と関係を持たない企業など存在し得ない。ブームやバブルといった社会構造が無くなれば、構造にのっかって成長した企業は真っ先に他の分野に撤退しなければならない。

 資本主義社会の健全さの担保は社会構造が変化したときの無慈悲な金融の撤退にある。企業価値の最大化などと捕らぬ狸算術算用を膨らますことにかける時間がまだ東電にあるのなら企業価値増加の限界点をコンサルされるべきだろう。無限に資金を供給することを政府が保証していると思われているから、東京電力は破綻を覆い隠す事ができる。将来のマイナス収益を最大限隠蔽することも、将来収益を割り引いて現在価値に換算するならば、先のコンサルタントの企業価値最大化と同じ事を意味している。政府はその金銭的手助けばかりでなく、情報の隠蔽という手助けも行なってしまい、すっかり信用をなくしてしまった。シミレーションはもっぱらドイツDWDを頼りにした。
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