『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』 岡田英弘著
『チンギス ・ハ ーンの即位式に際して 、彼の義兄弟の大シャマン 、ココチュ ・テブ ・テンゲリの口を通して 、次のような天の神の託宣が下っていた 。 「永遠なる天の命令であるぞ 。天上には 、唯一の永遠なる天の神があり 、地上には 、唯一の君主なるチンギス ・ハ ーンがある 。これは汝らに伝える言葉である 。我が命令を 、地上のあらゆる地方のあらゆる人々に 、馬の足が至り 、舟が至り 、使者が至り 、手紙が至る限り 、聞き知らせよ 。我が命令を聞き知りながら従おうとしない者は 、眼があっても見えなくなり 、手があっても持てなくなり 、足があっても歩けなくなるであろう 。これは永遠なる天の命令である 。 」
現代の世界の対立の構図は 、歴史で武装した日本と西ヨ ーロッパに対して 、歴史のないアメリカ合衆国が 、強大な軍事力で対抗しているというのが 、本当のところである 。そういうわけだから 、歴史のある文明に属する我々が 、現在の世界を把握し 、未来の世界を予測するためには 、歴史という文化の本質をしっかり理解しておく必要がある 。ところが 、ここで大きな問題は 、地中海文明の歴史文化と 、中国文明の歴史文化とが 、全く性質が違って 、混ぜても混ざらない 、水と油のようなものであることである 。そのために 、地中海型の歴史 (西洋史 )と 、中国型の歴史 (東洋史 )とを取り合わせて見ても 、単一の世界史を作ることは不可能になる 。どうしてそんなことになるのか 、これから説明しよう 。』
これがこの本の序章である。現在の中国つまり中共支那は歴史を拒否した国であるから、この記述は妥当ではない。
『安史の乱を起こした安禄山は 、父はソグド人 、母はトルコ人の混血で 、唐の玄宗に信任されて 、遼寧 ・河北 ・山西の軍司令官を兼ね 、ついに唐から独立して 、北京によって大燕皇帝と自称したのである 。安禄山の死後 、その息子を殺して取って代わった史思明も 、父はトルコ人 、母はソグド人の混血であった 。またこの二人の部下の将兵も 、大部分が非中国人であった 。七六三年に史思明の息子の史朝義が殺されて安史の乱が終わった後も 、こうした非中国人の軍人たちは 、地方軍閥となって華北に居すわり続け 、唐の皇帝の支配権を無視したので 、唐帝国の統一は名目だけのものとなり 、その国際的な立場のままだった。そういうわけで 、安史の乱から約百五十年 、十世紀の初めに至るまで 、中国の政治を動かしたのは 、中央ユ ーラシア出身の人々だったのである 。』
唐がここまで非中国とは知らなかった。無知を恥じ入る。まだ途中なんだけど新たな目が開けます。この点については京都大学の杉山正明教授と岡田英弘氏の論争というかけなし合いというか、根本的に漢文献を尊重してきた従来の正統歴史学と、漢文献信用度を割り引いて採用し、矛盾する記述は無視する姿勢の東京外語大名誉教授、東洋文庫研究員の岡田氏との争いなんだけど。一般の人は京都大学を信用するよね。しかし大事なことは中国という国民国家概念が歴史上の王朝成立と遊離しているというところを忘れてはいけないということ。アフリカという国民国家は無いと誰もが認めるが、中国の歴史が民族の歴史であるかのように漢民族が努力して捏造してきた中華思想の所産であって、ましてや近代の国民国家のようなものではないということ。
私は読んでいないが、「皇帝たちの中国」という岡田英弘氏の著作にこういう記述があるという。
『多くの人は、一八九四~一八九五年の日清戦争は、日本が中国と戦った戦争であり、下関講和条約で日本が獲得した台湾は、中国から割譲を受けたものだと思われている。ところが、これはとんでもない誤解である。実は、清朝は中国ではなかった。日清戦争は、文字通り日本と清帝国の戦争で、日本と中国の戦争ではなかった。中国という国家は、そのころはまだ存在しなかった。(p200)
……中華民国が成立して、建前ではいちおう国民国家ということになったが、国家の実体はまったくなかった。宣統帝から譲り受けたはずの帝国のうち、名目だけでも北京の中華民国大統領の地位を承認したのは満州人と漢人だけで、モンゴル人とチベット人は独立を宣言しており、新彊は遠すぎて手がとどかなかった。そればかりではない。中国の内地でさえ、地方の各省にはそれぞれ軍閥が割拠していて、北京政府の支配には及ばなかった。この形勢は、一九二八年、中国国民党の蒋介石が広州から、国民革命軍を率いて北上し、北京政府を倒したあとでさえ、基本的には変わらず、南京にできた中華民国国民政府も、やはり形だけの国民国家だった。(p204)』
「清朝は中国ではなかった。」あたりまえのことなんだけど、歴史上の王朝成立と遊離した中国という概念を中共がやたらと拡大して用いるからおかしなことになってくるのだ。但し、岡田英弘氏も漢字文化の各王朝に対する影響まで否定できるものではない。だが漢字を使っているから同じ民族だとも言えないのだ。岡田氏は言語に詳しいので、漢人が発音できていた二重子音がアルタイ語系の影響で消滅している指摘もしている。言語に引きずられ、漢字故に中国は歴史的に同一という議論は、スイス人がフランス語を話すからフランス人の一部だと主張するのと変わらない。モンゴル人もチベット人も依然として支那の西にいるし、今は中共支那に組み込まれ「征服」されていると見做せば良いことなのだ。中華思想を前提とする場合以外は極力中国という用語を用いいないのが賢明だろう。
「世界史のなかの満洲帝国」(宮脇淳子)岡田英弘氏の妻の著作も読んでみるべきかもしれない。ポチッとな。
『特記すべきことに 、世界最初の紙幣を発行して成功したのもモンゴル人であった 。元朝のフビライ ・ハ ーンは 、盛んになった遠距離貿易の決済の便宜のために 、一二七五年 、世界最初の不換紙幣を発行した 。これが元朝の唯一の法定通貨で 、紙幣のほかには金貨も銀貨も銅貨もなかった 。このモンゴル紙幣の信用は高く 、流通は順調 、価値は安定して 、インフレ ーションの程度も大したことはなかった 。もっとも一三五一年の紅巾の乱が起こってからは 、爆発的な悪性インフレ ーションとなり 、紙幣の信用は失墜した 。』フビライの植民地経営は非常に画期的発明であった。不換紙幣は裏切りを許さない監視があってはじめて成立する。これは今日のブロックチェーンと同じだ。歴史は姿を変えて繰り返す。
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岡田英弘 (おかだ ・ひでひろ )一九三一年 、東京に生まれる 。専攻は中国史 、満州史 、モンゴル史 、日本古代史 。一九五三年 、東京大学文学部東洋史学科を卒業 。アメリカ 、西ドイツに留学 。東京外国語大学アジア ・アフリカ言語文化研究教授を経て 、東京外国語大学名誉教授 。主な著書に 『倭国 』 、 『倭国の時代 』 、 『チンギス ・ハ ーン 』 、 『日本史の誕生 』 、 『台湾の運命 』 、 『妻も敵なり 』 、 『中国意外史 』 、 『現代中国と日本 』 、 『皇帝たちの中国 』 『歴史とはなにか 』など 。