公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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この世界の片隅に、進撃の巨人

2017-01-09 16:21:53 | 意見スクラップ集
『長嶺安政・駐韓日本大使は9日午前、ソウルの金浦空港で記者団に対し、釜山の日本総領事館前に慰安婦を象徴する「少女像」が設置されたことについて「極めて遺憾だ」と述べた。長嶺大使は同日午後、日本政府の対抗措置の一環で一時帰国した。到着した羽田空港では発言しなかった。』

この本を読め
『朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実』(小学館)著者は慰安婦報道真っ盛りの1990年代に朝日新聞のソウル特派員だった、ジャーナリストの前川惠司氏
追補0217.5.16
10億円を流用すると勝手に決めた韓国政府を調査せよ。片山さつきは
【「日韓合意では『10億円はすべて元慰安婦のために使われるべきもの』とされている。日本政府から、韓国政府への“おわび金”ではない。そもそも、財団の運営費については、韓国政府から『われわれが負担する』と言い出したものだ。これは国家間の合意だから、韓国が勝手に変えることはできないはずだ」】
愚劣な政府なのかそこまで隣国を蔑んで国民が喜ぶと見ているのか。

ont size="4">韓国の設立が1919年であると教育されていることにこの国の歴史認識の誤りが集中している。彼らの頭の中は既にあった立派な国、実際にはデモ程度の民族自決抵抗運動

【『独立宣言書は崔南善(チェナムソン)によって起草され、1919年(大正8年)2月27日までに天道教直営の印刷所で2万1千枚を印刷し、その後、天道教とキリスト教の組織網を通じて朝鮮半島の13都市に配布したとされる。』朝鮮人が自由民であり、日本に対する独立宣言でありながら、その日本に対し真の友好関係樹立を呼びかけている。これではマルチン・ルターの宗教改革の始まりほどの控えめな衝撃さえも無い抽象的で感情的な運動と言わざるえない。なぜならその程度の自由は併合後、日本人として扱って教育も身分も保証していたのだから、分離せずとも宣言の通り実現する見込みがあった。しかも教育費負担は日本の五分の一。このような植民地と言われる一時代は併合日本國であったことをよく示している。】

が独立宣言=政権樹立と彼の国で解釈されている、が日本の植民地(正確には併合であり日本の版籍の一部になったので、同じ憲法と法律が適用されている。欧米の植民地とは大いに違う)になって、祖国戦争で日本と戦って(本当は最初は日本人として連合軍と戦い次に今の北朝鮮と中共支那合同軍と戦い、しかも彼の国は無視するが、占領下日本人も戦死している)奪い返した(本当はポツダム宣言で日本が放棄させられた、それも朝鮮戦争が始まる前に)のが韓国戦争(実際には朝鮮戦争)ということになっている。いいですか、朝鮮半島の歴史の中で、朝鮮半島を統一した独立国家としての歴史は、936年から963年までの高麗の27年間と、1895年から1910年までの李氏朝鮮(1897年から大韓帝国と改称)の15年間しかないのですぞ。

一つの嘘を合理化するために二重三重のフィクションに染め上げられたかの国の正義原理には、清朝の支配下の朝貢後進国を近代化した日本統治時代の躍進と工業化があった事実など考慮する余地がない。況してや、慰安婦が有力な就職先だったとは認めがたいのだろう。「朝日新聞は、吉田氏の戦後の経歴を「サラリーマン」などと報じていたが、吉田氏は人生の大半は定職につかず、その生活費は息子たちが賄っていたという」との息子の証言にもあるように、吉田某の国籍は日本ではなかった。吉田氏を「職業的詐話師」と呼ぶ現代史家の秦郁彦氏がすでに平成4年3月に済州島で現地調査を行い、慰安婦の存在の虚偽性を指摘している。

この世界の片隅に』(映画)を観賞してきたが、終わりかけに8月15日の昼に太極旗が呉の町にはためく。低予算ながら製作委員会方式で補助金を日本政府につけさせて、クラウドファンディングで日本人の善意を募り、日本人に入場料を払わせて、韓国人クリエーターがその金で飯を食って行く。そういう建付けの映画であるが、鑑賞に耐えた。

実際、高齢者しか見てない映画だったが、エンドロールは実に後味の悪いものだった。食えなければ難癖つけてたかるそういう発想は、戦勝国民*
を名乗って狼藉を起こし秩序を紊乱した、昭和20年8月以降と変わらない。ゲスの中のゲス、クズの中のクズ、絶対に信じてはいけない人間が日本人の顔をして日本に住んでいることを忘れてはいけない。

「朝日新聞は、吉田氏の戦後の経歴を「サラリーマン」などと報じていたが、吉田氏は人生の大半は定職につかず、その生活費は息子たちが賄っていたという」との息子の証言にもあるように、吉田某の国籍は日本ではなかった。

*戦勝国民
●戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、勝手に自分たちを「戦勝国民である」であると詐称し、三万人?もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。戦後、在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、勝手に「朝鮮進駐軍」と名乗り(不明)、無差別に多くの日本人市民を殺害した。GHQの 記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。日韓併合は日本の誇り P52?原典不明(4000人殺害について出典調査中
●戦後の治安が整っていない空白を良いことに、在日朝鮮人は、土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺りく、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。そしてそのまま、パチンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。
●農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ奪って行き、それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのは彼らであった。財を成したのち彼らは分派し、政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、政界に根を張る。
激動の1948年(昭和23年)は以下の通り。
2月16日 朝鮮民主主義人民共和国樹立宣言
4月4日 - 浜松事件、闇市をめぐって朝鮮人、的屋、浜松市警が抗争、銃撃戦となりMPが出動
この年の、いわゆる「阪神教育事件」は立派な内乱テロ行為だった。進駐米軍は非常事態宣言を発令した。
1947年(昭和22年)10月、連合国軍最高司令官総司令部総司令官ダグラス・マッカーサーは、日本政府に対して、「在日朝鮮人を日本の教育基本法、学校教育法に従わせるよう」に指令した。

1948年4月10日、兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して、封鎖命令を出した。
4月14日、朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的、脅迫的になった。
4月23日、警官隊とMPは、朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖した。
4月24日、朝鮮人学校灘校と東神戸校の封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が、兵庫県県庁前に集結した。
9時30分、兵庫県庁知事室で、岸田、神戸市長・小寺謙吉、検事正ら15人は、朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と、在日朝鮮人の抗議集会対策を協議した。朝連は兵庫県知事室での密談の情報を入手し、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入し、知事応接室を占拠して備品などを破壊するテロ行為をした後、壁を打ち破って知事室になだれ込み、岸田幸雄やMPを拉致監禁した。在日朝鮮人や日本人約100人は、電話線を切断するテロ行為を行って外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを、自由を奪った状態の岸田幸雄に強要した。
17時、岸田は、暴力的な威圧の下で「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」を誓約させられた。
22時、岸田、吉川兵庫県副知事、市丸検事正、田辺次席検事、出井兵庫県警察長、古山神戸市警察局長らは、占領軍兵庫県軍政部に集められた。
23時、兵庫県軍政部は「非常事態宣言」を発令した。これによって、全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入った。兵庫県庁への乱入者の徹底検挙が命じられ、岸田幸雄が暴力的な威圧下で誓約させられた「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などは、脅迫によるものであったこともありすべて無効とされた。
4月25日早朝、アメリカ軍憲兵や日本警察官は兵庫県庁への乱入する集団テロの関係者の検挙を開始。
4月28日、非常事態宣言解除。
GHQが発する「非常事態宣言」には、「小規模非常事態(Minor Emergency)」「限定付非常事態(Limited Emergency)」「大規模非常事態(Major Emergency)」の3種類があり、神戸で発せられたのは、「限定付非常事態」である。これにより、神戸では占領軍による直接軍政が確立され、対象区域の警察は占領軍司令官の指揮下に入った。
4月25日から4月29日までに、1590人もしくは7295人[26]が検挙された。日本共産党神戸市議会議員・堀川一知(この人物、出身が不明、本当に日本人だったのか)も検挙された。検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。日本人は堀川のみで、重労働10年の判決を受けた。在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出され、刑期終了後は本国に強制送還されることになった。
6月1日 ロッテ設立
6月23日 五所川原抗争事件、小学校の運動会での喧嘩がもとになって、香具師と朝鮮人が乱闘
他方朝鮮半島では同じ年、
7月10日:李承晩が大韓民国初代大統領に当選
8月15日:大韓民国の樹立宣言。
9月9日:朝鮮民主主義人民共和国の成立を宣言。
10月?:[韓国]「ハングル専用法」が成立。「大韓民国の公用文書はハングルを使う。ただし、当分の間必要なときは漢字を併用することができる」というもの。
9月18日 - 全日本学生自治会総連合(全学連)結成
10月12日 - 評定河原事件、仙台で北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進し、米軍憲兵隊が6人検挙(日本を占領統治していたGHQは、北朝鮮国旗の掲揚を禁止していた。)

12月23日
内閣不信任案可決 - 衆議院解散(馴れ合い解散)
東京裁判: 巣鴨プリズンで死刑囚7名に絞首刑執行
12月24日 - GHQ: 岸信介・安倍源基ら戦犯容疑者17名の釈放を発表


この制圧の直接の米軍の管轄が第8軍であった。
【第二次世界大戦中の1944年6月10日、ロバート・アイケルバーガー中将指揮下に編成された。戦域への投入は、1944年9月のことであり、北部ニューギニアやアドミラリティ諸島において、第6軍と交代し、警備任務についた。12月にはレイテ島へ移動し、1945年1月に傘下の第11軍団がルソン島で戦闘を行っている。その後、終戦までフィリピンで掃討作戦を行っている。
ダウンフォール作戦に投入される予定であったが、その前に日本が降伏したため、占領任務に用いられた。日本へは1945年8月30日に到着を開始し、司令部を横浜市(横浜税関本庁舎)に設置した。当初、糸魚川と小田原を結ぶ線以西の西日本を第6軍、東日本を第8軍が担任することになっており、第8軍は東日本に進駐したが、日本占領が円滑に進んだこと、第8軍より早期に創設された第6軍に復員得点の溜まっている部隊が多かったこと等から、第6軍が撤退して第8軍が西日本を含めた日本占領の主力となり、日本に駐留する全米陸軍部隊を統括した。しかし、日本占領の安定化やアメリカの戦時体制の解除に伴って第8軍も急速に復員が進み、1945年末には約24万人を数えた兵力も、わずか1年後の1946年末には約5万8千人となり、さらに1948年4月末には約4万5千人となっていた。また、韓国の独立により朝鮮半島南部に進駐していた米第24軍団も復員したことから、極東における唯一の米陸軍部隊となっていたため、朝鮮戦争勃発にあたっては米軍の主力として投入され、以後朝鮮半島(韓国)に駐留を続けている。】

無実の人
『1950年6月28日午前2時30分頃、総参謀長チェ・ビョンドク一行が漢江歩道橋を通過した直後、陸軍工兵監大佐チェ・チャンシクは漢江橋の爆破を命令した。

市民に安心して生業に従事しろと言っておきながら、自分たちだけが抜け出た後に橋を落としてしまったことも真に問題だが、本当に許されないことは、爆破当時に漢江橋には避難民が多数いたという点だ。 阿鼻叫喚、橋の上に何人いたかは分からず、死体を収容したわけでもないので、いったい何人が無念の死に至ったのかは分からないが、関係者たちは少なくて500人、多くて1500人が命を失ったと推定している。

橋爆破の現場責任者であった29才の若き大佐チェ・チャンシクだった。 仁川上陸作戦が敢行されたまさにその日、臨時首都であった釜山(プサン)で開かれた戒厳高等軍法会議は、チェ・チャンシクに国防警備法27条の‘敵前非行罪’を適用し死刑を宣告した。 チェ・チャンシクは、自身は命令に従っただけだと抗弁したが効果がなかった。

当時判決文は、チェ・チャンシクの漢江橋爆破で莫大な車両と軍人が墜落し、無事な車両装備および軍需物資が敵に捕獲され、数万の兵力が渡江できない混乱が発生したとし、すべての責任をチェ・チャンシクに押しつけた。 9月21日チェ・チャンシクは釜山郊外で処刑された。』
(ハンギョレ「[歴史と責任①] セウォル号の悪魔、大韓民国の悪魔…」より 2014/06/09 12:13)

無実の人
『東京都文京区の自宅で昨年8月に死亡しているのが見つかった無職女性(38)が、夫で講談社社員、朴鐘顕容疑者(41)に殺害された疑いが強まったとして、警視庁捜査1課は10日、殺人容疑で朴容疑者を逮捕した。捜査関係者によると、朴容疑者は人気漫画「進撃の巨人」が掲載されていた別冊少年マガジンの元編集責任者、現在は青年コミック誌「モーニング」の編集次長。

進撃の巨人】2009年10月から別冊マガジン連載中

 捜査関係者によると、昨年8月9日午前2時40分ごろ、文京区千駄木1の住宅で、朴容疑者から「帰ってきたら妻が倒れている」と119番があった。妻は1階玄関付近で倒れており、搬送先の病院で死亡が確認された。

 警察官が朴容疑者に説明を求めたところ、「妻は自殺した」などと話した。その後も「酒に酔って帰宅したら妻が刃物を持っていたので、押さえつけた。その後、気がついたら妻が死んでいた」などと話し、死亡への関与を否認していたという。

 しかし、警視庁が遺体を司法解剖した結果、妻の首に絞められたような痕などがあることが判明。同課は解剖結果や現場の状況などから、朴容疑者が妻の首を絞めて殺害した可能性が高いと判断したとみられる。

 現場は東京メトロ千代田線千駄木駅から南西に約400メートルの住宅街。

 講談社広報室は「このような事態になり大変遺憾です。本人は無実を主張しており、捜査の推移を見守りつつ社として慎重に対処してまいります」とのコメントを出した。【神保圭作、深津誠、春増翔太】』
毎日新聞

2015年だけでもこんなに。


追補2017.02.20
「麻薬犯罪者の射殺命令で物議をかもしたフィリピンのドゥテルテ大統領が、今度は同国のセブ島で暗躍する韓国系マフィアを「射殺する可能性」に言及し、騒動となっている。」夕刊フジ
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