公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

西郷入水の年にテキサスで生まれた男

2018-05-01 12:52:49 | 日記
大河ドラマも西郷隆盛の第1期斉彬ロケットによる革命への射出を月照との入水という打ち上げ失敗の回を迎える。1858年安政五年9月16日夜半、竜ヶ水沖で入水救助される。
5月1日(1858年6月11日) 160年前の今日。井伊直弼は将軍徳川慶福(後の家茂)とし、トップダウンで継嗣を決定した。7月16日(1858年8月24日) 島津斉彬急死。 8月8日(1858年9月13日) 朝廷、水戸藩に勅書を送る(戊午の密勅)。反乱が始まった。

ここで大西郷が死んでいれば、日本の士分からの革命は土佐勤王党が既存秩序内革命を領導していたかもしれない。もう一度革命を起こし、外国の意図で翻弄されてクーデターを繰り返すメキシコのような国になっていたかもしれない。

1858年 島津斉彬の死後10日後ある男がテキサスに生まれる。ウッドロー・ウィルソンを影で操っていた男。ハウス大佐と呼ばれた男エドワード・マンデル・ハウスは謎に満ちている。彼と彼の組織の王の意図は世界支配である。ハウス大佐は彼の親の代からロンドン金融の代理人として財をなした。故にロスチャイルドとの因縁が深く、ジョン・モルガンの金融簒奪を政治の側=君側の奸として支える友人だった。もちろんモルガン家はロスチャイルド、ロックフェラー、チャーチル、アヴェレル・ハリマンらと閨閥を複雑に関係をつくっている。ハウス大佐はロスチャイルドの影響下の代理人である。日本の参戦に関わった外交官のジョセフ・グルーはモルガン家とは家族関係。1910年11月、モルガンが所有するジキル島クラブで連邦準備制度の設立に向けた秘密会議を主催した。そこにはジョン・ロックフェラー、ウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト、バンカーズ・トラスト(現ドイツ銀行)のベンジャミン・ストロング(1914年からニューヨーク連邦準備銀行の初代総裁を死去するまでの14年間務め、連邦準備制度の政策と行動に大きな影響力を持っていた)などが出席し金融簒奪を計画し1913年12月23日に、ウィルソン大統領が法案に署名しジキル島クラブのインナーが提唱する連邦準備制度つまり民間中央銀行が米国家造紙幣権の簒奪を達成した。リップマンというハーバード卒の一流の頭脳でも米国が1913年に国家機能の一部を盗まれてしまったことに気づけなかった。




彼の報告によると「我々はこの計画を講和条約の中に包み隠した。そうすれば、世界は我々から国際聯盟か、戦争の継続かを受け入れるしかないからだ。国際聯盟は実質上、米国を他と同じ根拠において我々の植民地として組み入れた我々の帝国である。」

今年自分だけの発見だが、不遇の時の吉田茂がハウス大佐に面会している。最後の直接の面識は15年も前1919年であるにもかかわらず。これは麻生和子が書き残しているから間違いない。ここに戦後が始まると見ている。
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