公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

チェーザレ・ボルジア

2011-02-01 07:54:00 | マキャヴェッリ
「それまで世の中を支配してきた宗教的良心とか道徳、倫理などから全く自由な男。その目的遂行に際しては、合理性、現実的有効性への判断だけで行動できる男。(「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」)http://goo.gl/kcND 塩野七生

チェーザレ・ボルジア、織田信長に匹敵すると言えば良いのだろうか。イタリアの歴史は詳しくないが、戦国時代のように支配者が入れ替わってゆく中で、統一が遅れてしまったイタリアと日本を比べると、どこが違ったのだろうかなどと考えてみる。

チェーザレ・ボルジアの時代に続くのは、ヨーロッパの複雑な戦争の時代、海のヨーロッパからみるとイタリアは戦略的要衝であった。日本は幸い海洋国ではあっても、地勢的に挟み撃ちになる事がなかった。
戦が長すぎて平和を求めたという民草の動議があっただろう。

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