9月新入学へ変えて行こうという意見表明は自由だが、学校とはなんだろうって考えて言っているのだろうか?
学校を変えるということは実質的に世間を変えるということだ。娯楽ということを学校から除けば、本当に学校を必要としているのは学校の外の世間である。生徒ではない。いずれも不要不急で必要のない知識、効果のないスキルなどの「学力」獲得の遅れを心配するのは、世間並みでなければ人生をその端緒で落伍するという強迫観念(蓮舫の高卒発言も世間が受け入れている脅迫である)
学校はひとつの世間再生産機関であると考えれば、よく理解できるだろう。学校は勉強を通じて現代世間、受け入れるべき牢獄を歴代生徒に、すなわち社会全体へ強制している。学校の教師は中世の狼伝説の語りべと同じ伝説再生産の指導者である。在りもしない世界を在るとおもいこませ都合よい良い子を育てるのが教師の使命である。勉強は二次的大義名分にすぎない、信じてもいない大義名分を旗印にする。
ガダルカナル島