古之欲明明德於天下者、先治其國。欲治其國者、先齊其家。欲齊其家者、先脩其身。……身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。
古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の国を治む。其の国を治めんと欲する者は、先ず其の家を斉う。其の家を斉えんと欲する者は、先ず其の身を修む。……身修まりて后家斉う。家斉いて后国治まる。国治まりて后天下平らかなり。
- 古 … 古き良き時代。
- 明明徳於天下 … すぐれた徳を天下に明らかにしようとする者は。
- 先治其国 … それに先立ってその国を安らかに治める。
- 先斉其家 … それに先立って一家の長として自分の家庭を整え治める。
- 先修其身 … それに先立って自分の身を修める。
- 后家斉 … はじめて自分の家庭が整う。家族が和合する。
- 后国治 … はじめて国がよく治まる。
- 后天下平 … はじめて世界中が平和になる。
森信三の「修身教授録」はなかなかに読み進み難い。なぜなら今は失われた日本の大人を思い出すからだ。
それはおそらく、わたしの世代の小学校の校長や教頭の背負っていたものと サラリーマン化した子供の遊び係的教師との大きな違いをやっと理解できたと思うからだろう。
校長や教頭は高等師範学校やそれに準じた学校を出ていた。学年指導者でも軍隊経験者がいた。担任はほとんど昭和10年前後の生まれで親の世代敗戦混乱の世代だったが、たまに戦後生まれの卒業したての教諭にはついこの間までヘルメットかぶってデモしていた若い先生も混じっていて、日本の教育の断層を見ていたと言える。
師範学校や高等師範学校では教師が持つべき内なる使命を教育していたのだなとよくわかってきた。こういう人間の教育方法を忘れた教諭でできた学校は、塾に通うまでの無用な時間を過ごすか青春の遊び場に過ぎなくなった。
今の教育と教育はこうなっている
旭川いじも自幸事件
当時の北星中学校の中山岳教頭は爽彩さんの母親に対し「加害者にも未来がある、1人の被害者より10人の加害者の未来のほうが大切」と発言したことが明らかになり、再びネット民の買うという結果に。
師範学校は、卒業後教職に就くことを前提に授業料がかからないのみならず生活も保障されたので、優秀でも貧しい家の子弟への救済策の役割も果たしていた。師範学校→高等師範学校→文理科大学というコースをたどれば、学費無料で中等学校→高等学校→帝国大学というルートに匹敵する教育が受けられたため、経済的な理由で進学を断念せざるをえない優秀な人材を多く吸収した。