公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

イスラム教シーア派の指導者の死刑を執行 テヘラン発

2016-01-03 17:50:23 | ジョージ・ソロスのワンワールド
『サウジアラビアがイスラム教シーア派の指導者の死刑を執行したことを受けて、シーア派の大国イランでは、これに反発する若者らが暴徒化して首都テヘランにあるサウジアラビア大使館を襲撃し、シリア情勢などを巡って鋭く対立する両国の関係が一層、悪化することが懸念されます。』NHK

サウド族長国家が単独の司法判断で死刑を執行したと思うのは素人。サウド族長国家群は人治主義の連合体であり、宗派対立を望んでいるのは、イスラエルと米国のイスラエル局の路線である。

シーア派比率
サウジアラビア 15%
バーレーン  70%
クウェート  30%
カタール   15%
UAE      22%
オマーン 不明

2016/10/13「<イエメン沖>米駆逐艦にミサイル攻撃 フーシ地域から発射
11:49毎日新聞

 【ワシントン会川晴之】米国防総省は12日、中東イエメン沖の紅海を航行中の米ミサイル駆逐艦「メイソン」がミサイル攻撃を受けたと発表した。クック報道官の声明によると、イエメンのイスラム教シーア派武装組織フーシなどが実効支配する地域から発射された。これに対し、米軍は、フーシ支配地域の海岸沿いにある3カ所のレーダー施設をミサイルで攻撃した。米軍のフーシ支配地域への直接の武力行使は初めて

 国防総省によると、攻撃はオバマ大統領が許可。レーダー施設は破壊されたとみられるという。」




サウド族長国家は原油価格の低迷で財政破綻直前まで追い詰められ、カリフ国家としてのISILを形式承認し、表からも(ISILのスポンサーであることは公然の事実)手駒として取り込むことを決意した。故にサウド家はイランとの国交を断絶した。そしてイエメンで対立を深めるシーア派及びイランとの戦争に国家存続の活路を見いだした。イランはサウジに対し「神の報復を受けるだろう」と表明。イランはフーシーに肩入れして、メッカを取り返しに動き出すだろう。サウジアラビアは事実上の核武装国なので、核兵器保有を発表して先手を取ろうとすることだろう。どっちが先になるかは、神のみぞ知る。

この処刑は第一次大戦前サラエボにてフランツ・フェルディナント・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者、エスターライヒ=エステ大公を射たセルビア人民族主義者の銃弾


1914年6月28日(日)、オーストリアのフランツ・フェルディナント大公とその妻であるホーエンベルク公爵夫人ソフィーは、2ヶ月前に予告されていた訪問の最中に、ガヴリロ・プリンチプによってサラエボでピストルを使って至近距離から暗殺された。オーストリアのボスニア・ヘルツェゴビナ州知事オスカー・ポティレック将軍は、フランツ・フェルディナンドとソフィー伯爵夫人を病院の開院式に招待していた。大公は、叔父であるフランツ・ヨーゼフ皇帝が1911年にブラックハンドによる暗殺未遂事件を起こしていることから、この訪問が危険なものであることを知っていた。

日曜日の午前10時前、皇太子夫妻は列車でサラエボに到着した。先頭車両には、サラエボ市長のフェヒム・チョルチッチと、サラエボ市の警察長官ゲルデ博士が乗っていた。フランツ・フェルディナンドとソフィーは、オスカー・ポティレックとフランツ・フォン・ハラチ伯爵中佐と一緒に3両目に乗っていた。車の上部は、群衆が乗員をよく見ることができるように、後ろに倒されていた。

チャブリノビッチ、グラベシュ、ガヴリロ・プリンチプの3人は結核を患っていて、長生きできないことがわかっていたが、他の4人はフランツ・フェルディナントを憎んでいた。他の4人はフランツ・フェルディナントを憎んでいたため、大義名分のためには命を捧げることも厭わなかったのである。ボスニア・ヘルツェゴビナのオーストリア・ハンガリーからの独立。

6人の共謀者は、ルート上に並んでいた。6人の陰謀家は、アッペル埠頭に沿って配置され、それぞれが、王室の車が自分の位置に着いたらフランツ・フェルディナンドを殺そうという指示を受けていた。最初に王室の車を見た陰謀家は、ムハメド・メフメドバシッチだった。オーストリア・ハンガリー銀行のそばに立っていたメメドバシクは、勇気を失い、何もせずに王室の車が通過するのを許してしまいました。後にメメドバシッチは、自分の後ろに警官が立っていたので、爆弾を投げる前に逮捕されるのではないかと心配したと語っています。

10時15分、6台の車の行列が中央警察署を通過したとき、チャブリノビッチは大公の車に向かって手榴弾を投げつけた。運転手は自分に向かって飛んでくる物体を見て加速したが、爆弾は10秒遅れで、4台目の車の車輪の下で爆発したという。乗車していたエリック・フォン・メリッツィとアレクサンダー・フォン・ブース=ヴァルデック伯爵の2人は軽傷を負った。また、約10人の観客が爆弾の破片に当たった。

チャブリノヴィッチの爆弾が大公の車を外した後、他の4人の共謀者は、混雑していたことと大公の車の速度が速かったため、攻撃の機会を失った。チャブリノビッチは捕まるのを避けるため、青酸カリのカプセルを飲み込み、確実に死ぬためにミリャッカ川に飛び込んだ。青酸カリのカプセルは賞味期限切れで気分が悪くなったが、殺すことはできなかった。ミリャッカ川の深さはわずか10センチだったという。数秒後、彼は引きずり出され、警察に拘束された。連れて行かれる際、「私はセルビア人の英雄だ」と言っているのが聞こえたという。

フランツ・フェルディナンドはその後、病院に行き、チャブリノビッチの爆破未遂事件の犠牲者を見舞うことにした。市街地を避けるために、オスカー・ポティレック将軍は、王室専用車をアッペル埠頭に沿ってサラエボ病院まで直進させることにした。しかし、ポチオレックは運転手のレオポルド・ロイカにこの決定を伝えるのを忘れていた。病院に向かう途中、ロイカは右折してフランツ・ヨーゼフ通りに入った。

モリッツ・シラーのカフェの近くにいたガヴリロ・プリンチプは、道を間違えて通り過ぎていくフランツ・フェルディナンドの車を見つけた。運転手は間違いに気づくと、ブレーキに足をかけて車をバックさせ始めた。その際、車のエンジンが停止し、ギアがロックされていたため、プリンチプにチャンスが巡ってきた。プリンチプは前に出て拳銃(380口径のFNモデル1910)を抜き、約1.5mの距離から車に向かって2発撃ったのである。フランツ・フェルディナンドは首に、ソフィー(1発目の銃声の後、本能的にフランツの体を自分の体で覆った)は腹部に命中した。二人とも11時前に死亡



に匹敵する、イスラム教シーア派の指導者の死刑を執行。これで予定通りペルシャ湾で第三次世界大戦が始まる。

第三次世界大戦の目的は原油価格から自由競争を奪うことによって計画的生産活動による計画的収奪を行うことだ。そのために炭素大気放出を国際管理する大義名分の下、エネルギー資源を同志同盟が国際管理する。同時にオイル価格に裏打ちされた米国の形式的国際管理通貨発行権を簒奪する。当面は分割される世界だが、金融はひとつながりである。
さらに次の段階として、少数の国際金融内部者は、より普遍的な富の計量根拠となる単位の移転交換および流通可能な与信参照方法をICT(ブロックチェーン技術はその一部)で世界をワンワールド世界通貨で「国家から個人まで統一管理」することに究極の目的がある。

つまり既存ドルを紙くずにしてドル紙幣での富の蓄蔵を一旦無意味にした上で、世界の富を自分たちの描いた新しい金融商品に置き換え、富を再循環させて資本主義経済をより大きな金融システムで管理しながら延命する。その時には国際決済銀行も決済口として無意味な存在か単なる金融サービスのICTベンダーになる。そこにはスーパーも中古車販売店もベンダーとしての銀行とは区別ができなくなる。小口取引以外は現金は流通せず、資金洗浄も地下経済も不可能になる。つまり世界の主要な富はクラウド上の数値になる。

SDRなどとは比較できない規模で、ほんの少数の国際金融の代表者が富の総和上限を決め、資金循環速度を、国別、企業別、個人別に御することで、経済に成長と抑制を誘導する。国家間の通貨管理から企業間、個人間まで拡張した裏経済の無い社会、これがソロスの言う開かれた社会であり、今それに向かってオイルダラーを潰しにかかる段階が来ている。仮にこれに失敗しても、国民国家を色革命で破壊し創り直す、正反合の黄金律である。その対立する前段でも統合する後段でも手数料を取るというのがイングランド銀行をはじめとする国際金融の役どころである。富の増大を永劫の乗り物とする事業がそれらを支配する世襲資産家貴族達の家業の理想である。



ハーメネイーの言葉を知りなさい(一部)
『残念ながら、この根源は長い年月をかけて、次第に西側の文化的政策の内部に浸透し、静かで穏やかな 攻撃を整えていった。世界の多くの国は自らの民族の土着の文化に誇りを持っている。そうした文化は成長する中で、数百年の間、人類社会に十分に栄養を与え てきた。イスラム世界もこうしたことの例外ではない。だが現代において、西側の世界は最新の手段を用いることで、世界の文化を同じものにしようとしてい る。私は他の国民への西側の文化の強要と独立した文化への軽視は、非常に害のある静かな暴力だと考える。豊かな文化の軽視と、これらの文化の最も敬うべき 部分への侮辱が行われている一方で、代替の文化は代替の能力を有していない。例えば、残念ながら西側の文化の基本的な問題となっている「暴力主義」や「道 徳的退廃」により、この文化の地位をその発祥地においてすら低下させている。ここで次のような問いが沸いてくる。もし我々が好戦的で意味のない低俗な文化 を求めなければ、もし芸術に似た産物としてわが国の若者に流入する破壊的な洪水を阻止すれば、罪を犯しているのか?私は文化の結びつきの重要性や価値を否 定していない。この結びつきは自然な状況の中で、またそれを受け入れる社会が尊重される中で行われるときに、成長と向上、豊かさをもたらす。これに対し て、強要された異なったものの結びつきは失敗した有害なものだ。最大の遺憾をもって、ISISなどの卑劣なグループはこのような輸入文化との失敗した結合 の産物であると言うべきだ。もし問題が本当に信条的なものなら、植民地主義の時代の前にもイスラム世界にこのような現象が見られただろうが、歴史はそうではないことを証明している。歴史的に明らかな証拠ははっきりと、どのようにして、あるベドウィン族の中での植民地主義と、現在孤立している過激派思想の融 合が、この地域に急進派の種を植えたのかということを示している。そうでなければ、一人の人間の命を奪うことは人類すべてを殺すことに等しいと考えている 世界の最も道徳的で人間的な宗教の中からISISのような屑を出すことができるというのだ?
その一方で、なぜヨーロッパで生まれ、その環境の中で 思想や精神を養った人々が、このようなグループにひきつけられるのかと問うべきだろう。戦場に1,2度行った人々が突然過激になり、同胞に銃弾を浴びせる ということが信じられるだろうか?暴力にまみれた環境の中で、長い間不健全な文化の養分を吸ってきた影響を絶対に忘れるべきではない。これに関して包括的 な分析を行うべきだ。その分析は、社会の明らかになっている、また隠れた汚れを見出すものだ。おそらく産業的、経済的発展の中で、不平等や、時に法的、構 造的な差別を受けて西側社会の一部の人々の中に植えつけられた深い憎悪は、精神的な問題を作り出し、それらは時に病的な形で現れる。』
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 仕事始めはドナルド・トラン... | トップ | 『年賀郵便』 岡本綺堂 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。