「長岡半太郎隨筆集 原子力時代の曙」朝日新聞社 1951(昭和26)年6月20日発行初出:「技術聯盟講演」 1949(昭和24)年12月17日
『人間が、いつかは鳥に均しく飛び得る時機が來るであろうと豫期されていた飛行機も飛翔するようになりまして、面白き世態を表現しています。これを百年前の状勢に較べますと、雲泥の差があります。これらの進歩は昔から希望されていても容易に實行に至らなかつたのでありましたが、學者の齎し得た成果を巧みに利用した結果であります。しかして昔の人が、たゞに理想に過ぎずと思つた事が、今日では着々實行に移されています。これを啓發したのは、殆ど總てが白色人の手腕によつて爲されたのであります。勿論日本人も手傳いは致しましたが、僅かに九牛の一毛に及びませぬ。それゆえ彼等は、日本人は眞似をすることが上手だから、沐猴冠者であると誹謗を浴びせています。この汚辱は一刻も早く雪ぎ去らねばなりませぬ。幸いに今回湯川博士はノーベル賞を受け、初めて原子核構造を探見した元祖として盛名世界に赫々として傳わつています。この好機會を逸せず、諸君が原子核に存在する素粒子を利用する方法を攻究し、人間の福祉に資すべき發明に成功せらるれば、既往の謗りを洗い落すことが可能であると存じます。從つて理論に沒頭している湯川博士もまた笑みを含んで喜ばれるでありましよう。私が受賞を祝するのは、從前の辱しめを一掃する時期の近寄りたるを待つからであります。徒らに盃をあげて歡聲を發するような普通の祝言ではありませぬ。』
『發明もしくは發見に到達する前に、突如有効なるヒントを偶然受くるを常規と致します。二千二百年前、アルキメデスは入浴して、その體重の輕きを感じ、初めて比重を測る方法を講じました。』
人間の福祉に資する科学は、長岡半太郎の予想とは異なりやはり日本人の科学は真似とは異なり再発見を中心としている。質的飛躍が生まれるときはこういう再発見の量的増加がある。
湯川秀樹の受賞がどれほどインパクトを持ち、真似猿技術と呼ばれ続けた歴史を雪ぐ国民意識に貢献したか。日本人は忘れてないだろうか?長岡半太郎は十年間湯川秀樹をノーベル賞委員会に推薦し続けた。
なぜか原子力だけは猿モノ技術ですましているのはなんという皮肉だろう。
長岡半太郎は、「原子は土星型をしており、原子核の周りを電子が回っているのだ」と明治37(1904)年に発表したが周囲に否定され、量子力学以前の電磁気学の常識では電荷を持った粒子の運動は電磁気効果で減衰すると予想されていた。長岡半太郎はそれ以上の研究は断念
ところが大正2(1913)年には、コペンハーゲン大学のニールス・ボーアが、長岡と同様の原子模型を提唱し、原子核散乱の実証実験に成功して、ボーアの原子模型と呼ばれる。写真の切手は馬鹿みたいに描かれるが、当時は本当に学問上の馬鹿扱いされていた。
『人間が、いつかは鳥に均しく飛び得る時機が來るであろうと豫期されていた飛行機も飛翔するようになりまして、面白き世態を表現しています。これを百年前の状勢に較べますと、雲泥の差があります。これらの進歩は昔から希望されていても容易に實行に至らなかつたのでありましたが、學者の齎し得た成果を巧みに利用した結果であります。しかして昔の人が、たゞに理想に過ぎずと思つた事が、今日では着々實行に移されています。これを啓發したのは、殆ど總てが白色人の手腕によつて爲されたのであります。勿論日本人も手傳いは致しましたが、僅かに九牛の一毛に及びませぬ。それゆえ彼等は、日本人は眞似をすることが上手だから、沐猴冠者であると誹謗を浴びせています。この汚辱は一刻も早く雪ぎ去らねばなりませぬ。幸いに今回湯川博士はノーベル賞を受け、初めて原子核構造を探見した元祖として盛名世界に赫々として傳わつています。この好機會を逸せず、諸君が原子核に存在する素粒子を利用する方法を攻究し、人間の福祉に資すべき發明に成功せらるれば、既往の謗りを洗い落すことが可能であると存じます。從つて理論に沒頭している湯川博士もまた笑みを含んで喜ばれるでありましよう。私が受賞を祝するのは、從前の辱しめを一掃する時期の近寄りたるを待つからであります。徒らに盃をあげて歡聲を發するような普通の祝言ではありませぬ。』
『發明もしくは發見に到達する前に、突如有効なるヒントを偶然受くるを常規と致します。二千二百年前、アルキメデスは入浴して、その體重の輕きを感じ、初めて比重を測る方法を講じました。』
人間の福祉に資する科学は、長岡半太郎の予想とは異なりやはり日本人の科学は真似とは異なり再発見を中心としている。質的飛躍が生まれるときはこういう再発見の量的増加がある。
湯川秀樹の受賞がどれほどインパクトを持ち、真似猿技術と呼ばれ続けた歴史を雪ぐ国民意識に貢献したか。日本人は忘れてないだろうか?長岡半太郎は十年間湯川秀樹をノーベル賞委員会に推薦し続けた。
なぜか原子力だけは猿モノ技術ですましているのはなんという皮肉だろう。
長岡半太郎は、「原子は土星型をしており、原子核の周りを電子が回っているのだ」と明治37(1904)年に発表したが周囲に否定され、量子力学以前の電磁気学の常識では電荷を持った粒子の運動は電磁気効果で減衰すると予想されていた。長岡半太郎はそれ以上の研究は断念
ところが大正2(1913)年には、コペンハーゲン大学のニールス・ボーアが、長岡と同様の原子模型を提唱し、原子核散乱の実証実験に成功して、ボーアの原子模型と呼ばれる。写真の切手は馬鹿みたいに描かれるが、当時は本当に学問上の馬鹿扱いされていた。