五七五、最後の五年がほろ苦い (無免許人生より)
12歳からが人生だろう。
15歳くらいまでは、自分はそこそこ絵もうまく、絵描きになるのが一番自分の才能にあっていると思っていた。しかしながら今にして思えば、50年間このかた自分が何を描くべきかアイディアが降りてきたことは一度もない。食ってもいけないだろうから、この道には進まなくてよかったのかもしれない。
なにか研究者のような仕事につくだろうとは漠然と思っていたが、研究者が何であるかは何も知らなかった。これも未熟ゆえの不思議な自分のイメージだった。
さて研究者になってみて自分にあっていたかといえば、あっていたわけではない。成果は出せても満足が伴わない。研究というものは社会的なもので、まずそこと折り合わなければならないはずだが、企業の方針はくるくる変わる。繊細な人間には続けられない仕事だ。
どんなに研究プロセスが充実していても、実用化の最後の掛け算がゼロならば、その時点で満足度はゼロになる。最後の掛け算を自分でゼロにしてやるのであれば納得もできるが、他人にやられるくらいならば一人で生きてゆきたいと思った。企業内研究者としてゼロを2回掛けられてベンチャーでやり抜くことにした。
商品の完成は消費者の発見のとき。イノベーションも消費者の発見によって完成する。