日本人の遺伝子 一石英一郎 より
メモ1
日本人はアジア各地域に共通配列が認められる報告がかなり多いものの、中国の中央部、長江流域の人たち、それからセム系のユダヤ人と非常に似ていることがわかりました。同じ中国でも、北部や南部の人のミトコンドリア遺伝子のパターンは異なっています。
メモ2
そのような環境下でも、日本人は生き延びてきました。そのため、日本人には「飢餓」に耐えうる遺伝子が刻み込まれたのです。β3AR、PPARγ、カルパイン10、β2AR、UCP‐1などがそれです。 たとえば、アドレナリンに関係する遺伝子「β3AR」には、脂肪が燃えにくくなる作用があります。この遺伝子を持ち合わせている人はそうでない人にくらべて、1日あたりの基礎代謝量が200キロカロリー低く、内臓脂肪がたまりやすく、特にお腹回りが太りやすい体質であることがわかっています。全白人系の人のうちたった8%しか持ち合わせていない遺伝子ですが、日本人は34%の人がこの「β3AR」遺伝子を持っています。また、「PPARγ」遺伝子は、安静時に新陳代謝が進まないという作用があります。この遺伝子を持ち合わせているのは、欧米人では6割ですが、日本人では実に92%にものぼります。
メモ3
では、日本の場合はどうだったか? 1910年(明治43年)4月15日、佐久間勉艇長率いる第六潜水艇は岩国基地を午前10時に出発し、広島湾に向かう潜水中に何らかの原因でガソリンパイプが破損し浸水。潜水艇は二度と浮上しませんでした。先に書いたように他国の船員は最後まであがき、醜態をさらしましたが、「果たして日本や如何に?」と世界中が注目したといいます。 事故艇のハッチを開けたとき、誰もが驚愕しました。というのも、全員がそれぞれ自分の持ち場をしっかりと守りながら、まるで眠るように亡くなっていたからです。そして、艇長は死ぬ間際まで遺書を書き続けていたそうです。そこには、「この事故の全責任は私にある。だから遺族を含めて償いたい。私の全財産を使って、どうか乗組員たちの遺族を守ってやってほしい」というような内容が綿々と書かれていました。それを聞いて、全世界は「日本人は最後の最後まで、自分の仕事をきっちりとこなすのだ」と大変驚いたといいます。皮肉なことに全世界でこの出来事をもっとも絶賛したのはアメリカの「ニューヨーク・タイムズ」でした。まさかその後に日米で戦うことになろうとは予想もしなかったことでしょう。