「自らの成長のために最も優先すべきは卓越性の追求である。そこから充実と自信が生まれる。能力は、仕事の質を変えるだけでなく人間そのものを変えるがゆえに、重大な意味をもつ。能力なくしては、優れた仕事はありえず、人としての成長もありえない。」 http://ameblo.jp/drucker365/
ドラッカー
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(私の考え)
「能力は、仕事の質を変えるだけでなく人間そのものを変えるがゆえに、重大な意味をもつ。」ドラッカーのこの言葉は謎だ。「使命と計画書は善意に過ぎない。」「善意で山は動かない。」戦略を練る能力のことを言いたかったのか?どうもドラッカーは紙に書かれた計画書が嫌いだったように思う。そのようなものを<善意に過ぎない>と語っているのは、ドラッカーはむしろ有能な作文を偽善と考えていたのではなかろうか。
ドラッカーの言葉には陽明学の<知行合一>に近い思想を感じる事がある。世間のMBA的なものに<万物の理を極めてから実践に向かう>ことを旨とする朱子学臭さを感じる自分としてはドラッカーの方に親しみを感じる。
ここにドラッカーがこめた能力とは、外形的で形式的な結果の評価ではなく、その場所で生み出される行為それ自体を強調しているように思う。
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「どんな政府も完全に安全な政策を選択できると思ってはなりません。むしろ極めて不確かな政策をとらざるをえないと思うべきです。なぜなら、一つの困難を避けようとして、別の困難に陥ることは、普通の出来事ですから。そうではなくて、思慮分別というものは、困難の性質を見分ける方法を知り、より害の少いものを選ぶことにあるのです。」
「君主はまた、才能ある者の後援者であることを示し、あらゆる技芸でその熟達者に栄誉を与えなければなりません。同時に、その市民が、商業であれ農業であれあるいはその他の諸々であれ、平穏にその職業に専念するよう奨励して、取り上げられはすまいかと恐れてその財産を殖やすのをやめたり、税金を恐れて商売をやめたりしないようにすべきです。また、こうしたことをしたいと願い、なんとかしてその都市や国家が繁栄するよう目論む人に、君主は褒美を与えるべきなのです。」
「君主論」第21章 君主は名声を得るためにどうふるまうべきか
マキャヴェッリ
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(私の考え)
能力とは未知なものです。
現在に立つ誰にも共通して平等に未知なものです。 それが笑の種であっても、身内の恥でも、その人だけが知る少し先の景色、音色、味覚、痛みがその人の固有の能力であって、能力を振り返ることはできても予測する事ができない。 優秀な人材を自認する方面からの反論もあるだろうが、世間のいう能力は能力の持続性/連続性を無意識に前提においている。しかし繰り返しできることもって戦闘能力とは言えない。
能力とは、そういう状況に支配される未知な性質であるからこそ、組織においては、自分が今どこに立っているかという使命との関連づけが能力の存立に大切なのです。
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「モーゼにとって、エジプトのイスラエルの民が束縛から解放されようと彼に従う気にさせるためには、彼らがエジプト人に奴隷にされ抑圧されていることが必要でした。ロムルスがローマの王となり父祖の地の建国者となるためには、彼はアルバにとどまることなく、また生れ落ちるとすぐに捨てられることが必要でした。キュロスはペルシャ人がメディア人の統治に不満を抱き、メディア人が長い平和の軟弱で女々しくなっているのを知ることが必要でした。テーセウスはアテネ人が四散しているのを知らなければ、自分の才能を発揮できなかったことでしょう。こうした好機は、ですから、こうした人たちに幸運をもたらし、またそのすぐれた才能が彼らに好機を気付かせてくれました。この好機によって彼らの国は高貴なものとなり、有名になったのです。 」
「君主論」第6章 自分の軍隊と力量で獲得した新しい君主国について
マキャヴェッリ
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ドラッカー
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(私の考え)
「能力は、仕事の質を変えるだけでなく人間そのものを変えるがゆえに、重大な意味をもつ。」ドラッカーのこの言葉は謎だ。「使命と計画書は善意に過ぎない。」「善意で山は動かない。」戦略を練る能力のことを言いたかったのか?どうもドラッカーは紙に書かれた計画書が嫌いだったように思う。そのようなものを<善意に過ぎない>と語っているのは、ドラッカーはむしろ有能な作文を偽善と考えていたのではなかろうか。
ドラッカーの言葉には陽明学の<知行合一>に近い思想を感じる事がある。世間のMBA的なものに<万物の理を極めてから実践に向かう>ことを旨とする朱子学臭さを感じる自分としてはドラッカーの方に親しみを感じる。
ここにドラッカーがこめた能力とは、外形的で形式的な結果の評価ではなく、その場所で生み出される行為それ自体を強調しているように思う。
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「どんな政府も完全に安全な政策を選択できると思ってはなりません。むしろ極めて不確かな政策をとらざるをえないと思うべきです。なぜなら、一つの困難を避けようとして、別の困難に陥ることは、普通の出来事ですから。そうではなくて、思慮分別というものは、困難の性質を見分ける方法を知り、より害の少いものを選ぶことにあるのです。」
「君主はまた、才能ある者の後援者であることを示し、あらゆる技芸でその熟達者に栄誉を与えなければなりません。同時に、その市民が、商業であれ農業であれあるいはその他の諸々であれ、平穏にその職業に専念するよう奨励して、取り上げられはすまいかと恐れてその財産を殖やすのをやめたり、税金を恐れて商売をやめたりしないようにすべきです。また、こうしたことをしたいと願い、なんとかしてその都市や国家が繁栄するよう目論む人に、君主は褒美を与えるべきなのです。」
「君主論」第21章 君主は名声を得るためにどうふるまうべきか
マキャヴェッリ
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(私の考え)
能力とは未知なものです。
現在に立つ誰にも共通して平等に未知なものです。 それが笑の種であっても、身内の恥でも、その人だけが知る少し先の景色、音色、味覚、痛みがその人の固有の能力であって、能力を振り返ることはできても予測する事ができない。 優秀な人材を自認する方面からの反論もあるだろうが、世間のいう能力は能力の持続性/連続性を無意識に前提においている。しかし繰り返しできることもって戦闘能力とは言えない。
能力とは、そういう状況に支配される未知な性質であるからこそ、組織においては、自分が今どこに立っているかという使命との関連づけが能力の存立に大切なのです。
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「モーゼにとって、エジプトのイスラエルの民が束縛から解放されようと彼に従う気にさせるためには、彼らがエジプト人に奴隷にされ抑圧されていることが必要でした。ロムルスがローマの王となり父祖の地の建国者となるためには、彼はアルバにとどまることなく、また生れ落ちるとすぐに捨てられることが必要でした。キュロスはペルシャ人がメディア人の統治に不満を抱き、メディア人が長い平和の軟弱で女々しくなっているのを知ることが必要でした。テーセウスはアテネ人が四散しているのを知らなければ、自分の才能を発揮できなかったことでしょう。こうした好機は、ですから、こうした人たちに幸運をもたらし、またそのすぐれた才能が彼らに好機を気付かせてくれました。この好機によって彼らの国は高貴なものとなり、有名になったのです。 」
「君主論」第6章 自分の軍隊と力量で獲得した新しい君主国について
マキャヴェッリ
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