ひとりっこのアルツハイマー介護

要介護5の父(2011他界)と人工透析でアルツハイマーの母のひとりっこ介護と、介護で自分の人生を犠牲にしないコツ

母、アルツハイマーと診断され7年たちました

2017-08-28 13:06:37 | Weblog
ご訪問ありがとうございます。

すっかり更新が途絶えているにも関わらず、当ブログを訪れてくださっている皆さまに、いま、を伝える必要があるな、と思っています。

母は、元気とは言えませんが、穏やかな日々を送っています。


また、あらためて、書きますね。

車椅子に頭を支える背もたれをつくりました!

2016-07-29 09:09:57 | よくある悩み
母は筋力が衰え、頭を支えるのが重いらしく、うしろに反ってしまうクセがあります。

そうすると、どんどん前にお尻がずれて、車椅子からずり落ちる。


退院して少しずつ元気を回復しつつある母は、昔から通っている、デイサービス(民間ボランティア)に行きたいと意欲を見せる。



けれど、車いすの座位が不安定で、スタッフの方から背なかのところに長いクッションを置くとか、ダンボールを置くとか何か出来ないかしら?と相談されていたんです。


介護用品カタログを見たら、ヘッドレスト付きの背もたれは売られているのですが、高い・・・・



と迷っていたら、もうデイの日になってしまい、家にあるもので何とかならないか?  と考えました。


それがこれです!



突っ張り棒2本と、お土産でもらった


きょう、デイサービスに連れていくのに、スタッフの方から、「
ふとひらめいて、こんな風にしてみました!



突っ張り棒2本に、大きな布。



ちょうどハンモックのように、体重をかけるといい具合にしなるのが、思った以上に座り心地良いです。





車いすだと、うたたねすると前傾してしまう方や、背中が疲れてしまう方に、ぜひ試してみてください。



ちなみに、これを見たスタッフの方が、キルティングで袋状に縫って、かぶせれば済むような試作を作ってくださるというお申し出も(^^)










母の入院2回目

2016-07-25 23:00:36 | 母のこの頃
転倒して腕にケガをしたことで透析に使う血管(シャント)がダメになってしまい、反対の腕にシャント再形成手術をした母。


カテーテルを引き抜いたおかげで、軽い感染症にかかり、身体拘束も余儀なくされて30日の入院となりましたがなんとか乗り切りました。


1か月の入院でも、認知機能の低下があまりなかったので一安心。



ところが、退院手続きをしていると、別の科の医師から説明があると呼ばれ。



「ちょっと心配なことがあるんですよ。胆管に石があるんです・・・これいつ発作起こしてもおかしくないので取った方がいいと思います。透析患者さんなのでリスクは健常者のかたの5倍ほどになります。それでも・・・・発作を起こして救急搬送されるようになれば、もっと命にかかわると思ってください」


わたし聞きました。


「先生・・・もし先生のお祖母ちゃんだったらどうしますか?」


医師は即答でした。「やらざるを得ません。手術すると思います」



リスクがあるけれど自分が執刀する・・・・と言ったのを聞いて、わたしも決めました。お願いします、と。



そうしたら


「じゃあ1週間後、戻ってきてください。病室おさえておきますから」



えー???そんなにすぐ再入院?! 



なにしろ発作を起こす前に、が大事ですから・・・・仕方ありません。



77歳母、胆管結石手術で再入院。



手術は・・・・先生たちの見事なチームプレイで無事に終了。


聞いていたいろいろなリスクもなかったように・・・思えました。




ところが。



手術の晩、なぜか母は夜中にベッドから立ち上がろうとして転倒。



(この病棟では拘束をしていなかったためです。しかも手術後で、麻酔からの覚醒も悪く、まさかまさかの出来事でした)



床でアタマを打ち、CTをとる事態に。



ついでに誤嚥で肺炎に・・・・・




1週間のはずの入院がまた延びて、ふたたびベッドで拘束という日々。



2度目の退院の日。



あらたに「褥瘡」という現実を見たのでした。




77歳、透析患者、2度のリスクを乗り越えました

2016-07-25 22:33:38 | 母のこの頃
ご無沙汰です。


母、77歳、ゴールデンウィークにグループホームの食卓で転倒しまして・・・・。

決して圧迫してはイケナイ、左腕の透析のシャント部分を強打して、緊急搬送されました。


もう見たことのないくらい無残に腫れた腕。 

もしも針か何かで刺したら、ほんとうに風船が割れるように破裂してしまうんではないか?というくらい膨れていました。



ですが運悪く、はじめに搬送された病院では手術室が空かず、別の病院へさらに救急車で移動。


「早く内圧を逃さないと、筋肉・皮膚が壊死して、最悪腕の切断になることもあります・・・」と医師から告げられ、ただのケガでは済まされないことに呆然としました。



結局は、筋肉まで切開するという緊急手術ではあったものの、傷の治りも順調で、それは良かったのですが・・・・



ダメになってしまった透析シャントを右腕に作り直す手術もしなければならず、そのあいだ一時的に首にカテーテルをいれて透析をしていたのですが・・・・


二度も自分で抜いてしまったのでした。


さすがに看護師さんに厳しく怒られたらしく、記憶障害の母なのに「わたし、管抜いちゃったんだってね。怒られたわよ・・・ダメねえ」と覚えていました。




おかげで、ベッド上では両手にミトンをはめられ、身体拘束。


寝返りも打てない状況で可哀想だけれど、危険を考えるとしかたない・・・・



わたしたちだって、両腕をベッド策につながれていたら・・・・手にミトンをはめられていたら・・・・・


きゅうくつで身体が痛くなってしまったり、かゆいところもかけないくて眠れなそう。



でも、そうしないと危険だということもわかるから、そうせざるを得ない。



となると、出来る限り面会に行って、そのあいだは拘束をはずしてもらうことが出来るから、毎日通ってあげないと・・・・となり、


自分の疲れとの戦いになるのでした。



結局1か月の入院となり、退院日につげられたことは・・・・・




(次回に続きます)



まさか母が・・・・

2016-02-18 17:00:11 | 母のこの頃
お母さまに意識がありません!!

呼んでもたたいても反応がありません!!

救急手配をします



それは、外出の帰り道、車を止めてある駐車場にむかって歩いているときに受けたホームからの電話でした。


耳を疑う事態に凍り付きました。



その日は母の誕生日の前日。

「な。。ん。。で。。。?」



いやな記憶がよみがえりました。


わたしの父は、2011年6月、誕生日の直前に旅立ちました。。。。



つい一昨日、母は元気だったのに。

母の誕生日祝いは、同じく2月うまれの息子の試験が終わってから一緒にお祝いしようね、と言ったばかりなのに。



夫と長男に電話をいれ、

車に乗り込み、

「冷静に運転しよう」と自分に言い聞かせ、

車に乗っていた20分間

おどろくほどたくさんのことを考え、整理し、

まずホームではなく自宅に戻って必要なものを持ち出すと決めました。



そして家に帰った瞬間、ふたたびケータイが鳴りました。


そこにはホーム長からLINEが。

「意識戻りました。ふつうに会話できます」



聞けば昼寝から起こそうとしても反応がなかったと。


たぶん深い眠りだったのでしょう。



とんだ勘違いでしたが、この経験がわたしにとっては「学び」になりました。


翌日、まっさきに母の誕生日の花束を買って届けに行きました。



先延ばしにしないでおこう。


後悔しないために。




準備しておこう。


連絡先や必要なものがすぐに取り出せるように。























母の77回目の誕生日に思う

2016-02-18 16:59:19 | 母のこの頃
このブログを始めたとき、タイトルには母73歳、と書いたように記憶しています。

その母が2月3日で77歳になりました。



アルツハイマーの初期です・・・・・・

と言われてからかれこれ10年近くなるでしょうか。(忘れている自分も相当記憶力が怪しいです)


その当時、目にした書籍には、

「アルツハイマーと診断されると、残念ながら余命は5年くらいです。」という一文がありました。

とても、とても衝撃でした。



いま、こうして母が元気で生きていること

現在も、わたしの存在をちゃんとわかって、孫の名前も忘れることなく、会話が成立することを


心からうれしく思います。



腎不全という持病を抱える以上、

感染症が流行る季節は本当に心配なのです。



しかも、誕生日の前日に


耳を疑う電話を受けたのも事実です。


お母さまの意識がありません

救急車を手配します



そのときに考えたこと、

みなさんにもすすめたいこと、は


長くなるので次に書きますね

サラリーマンの夫のうつ⑥治療が終わりました

2015-12-16 20:12:43 | うつ病見守り日記
たいへんご無沙汰してしまいました。


かれこれ1カ月になるでしょうか。


夫の心療内科への通院が終了しました


それも、ある日の何気ない会話で


「そういえば、今週末は病院?」


「あれ、もう病院先月で終わりだって言わなかったっけ?」


と、全然ちゃんと聞いていないわたし・・・・・


正確には聞いたけれど忘れたのか(←もっとマズイです・・・)?


とりあえず、


うつ治りました(^^)



食事を美味しく食べ、 仲間とフットサルを楽しみ


会社にも遅刻することなく通っています



もちろん・・・・


うつは繰り返す・・・・・・・というリスクが高いことは承知しています。


でも、次にそのようなことになったとしたら


夫自身は早くにそのことに気付くでしょうし、


無理をしないはずです。



そして、わたしも、そんな時はショックかもしれないけれど、淡々と、するべきサポートをすればよいでのしょう。




何度も書いたかもしれませんが


早く手をうたないと治る可能性も低くなると思います。



もしも


目先の昇進だったり・・・


世間体だったり・・・


これから数カ月の収入を気にして


あと1週間、あと1カ月、様子をみようと先延ばしにした結果






この先ずっとの収入や


家族の健康や


こどもたちの明るい笑顔を奪うかもしれなかったら



問題は患者本人だけでないということです




一番大切なものは何か?


いま苦しんでいる当事者さんや、ご家族様は、この「大切なもの」を守り通してほしいです。


本日をもちまして、

夫がうつになりました、の投稿はおしまいにさせていただきます。







サラリーマンの夫がうつになりました⑤経過

2015-09-15 22:31:23 | Weblog
夫が休職をし、畑に行き始め・・・・

それまで買い物さえ行く気がしない、といっていた夫が、

「畑用の長靴を買いたい!」と買い物に行く意欲を見せました。

そして、畑で出会う方々は、みなさん夫にプライベートなことを詮索することもなく、

老夫婦が多くてゆったり余裕がある感じが、とても心地良いのだと話してくれました。


このころから夫に笑顔がみられるようになりました。

そして、9月。

「テレビで沖縄を特集していたのを見ていたら、なんだか沖縄に行きたくなってきた」と。

もともと旅好きのわたしたち。

夫がうつになってからは、外出さえ嫌がっていたので、この言葉は大きな前進でした。



会社には、11月に復帰出来ればいいな・・・・というのが本人の目標だったので、

とりあえずこの9月、家族で沖縄に行ってみました。


青い海と青い空、そして知り合いがいないという環境。

リハビリにはもってこいだったようです。


帰宅するやいなや、

「もう一度あの海に行きたい」


もう、わたしからすれば「はあ?どこにそんなお金があるのよ????」です。

しかも私にも仕事があります。


「1人で行くからいいよ」


いや、うつ患者をひとりで遠くに旅行させるのは不安です。


結局、10月にふたたび沖縄に旅立ちました。



このころには、もう時折、夫がうつであることを忘れてしまうような感じでした。



12月、夫は会社に復帰しました。


はじめは通勤だけでつかれてしまい、半日で帰宅

そんな感じで徐々に徐々に、もういちどサラリーマン生活をはじめたところです。



サラリーマンの夫がうつになりました④家族の接し方

2015-09-15 22:30:38 | うつ病見守り日記
家族がうつ病になるなんて、思いもしなかったワタシ。

ですが、ストレスがどう人間の精神と肉体を蝕んでいくかについては、元々かなり勉強していました。


ということで、家族としてどう向き合ったか、を今回は書きたいと思います。


まず初めに、うつ病だった・・・ということを公表していた知人に、どう接したらいいのかを聞いてみました。


返ってきた答えは

   本人は、なにをしていても辛いんです

   毎日がただただしんどい
 
   とにかく見守ってください


医者からもらうパンフレットには

   出来るだけそばにいて、一人にしないでください

というようなことが書いてあったのですが


わたしにはパートの仕事があるので、ずっと見ていることは出来ません


そして、もしも自分が患者側だったら・・・・・とも考えました。


家族が、自分のために仕事や外出を一切やめてしまったら、安心を得られるかわりに≪自分のせいだ・・・≫と感じてしまうかもしれない

もちろん、ここは患者の重症度によっても違うし、そんなことを考える余裕もないかもしれず、想像でしかなかったのですが、


出来るだけ、これまでと同じ生活をしよう

そして出来るだけ家にいる時間は確保しよう


このふたつを守ることにしました。


それから、息子たちには、わたしから病気のことを話しました。




二度と元の生活に戻れないのではないか?・・・・と不安を口にする夫に対しては

「わたしが一緒なら大丈夫」と笑顔で答えました



サラリーマンの夫がうつになりました③

2015-09-10 09:54:31 | うつ病見守り日記
会社に向かおうとして、駅の改札で足がとまり、ひとりで3時間もベンチに座り込んでいた夫。


いったん家に帰り、近所の病院を調べて予約し、うつ病だろうと診断されました。


夫の休職の気持ちはほぼ固まっていたので、即、診断書をもらい、上司に電話をし、1.2回会社にいっただけで休職生活が始まりました。


夫は・・・・医師の前で泣きました。

「元の自分に戻れるでしょうか?・・・・元の自分に戻りたいんです」

「いまの職場には戻らないほうがいい、と書いてもらえませんか?」と子どものように訴えました。


これまで、会社がイヤなわけではない、と言い続けていたのに、ようやく自分の気持ちを外に出すことが出来たんだな・・・・と思いました。

先生の答えは「そんなことは今考えても仕方ないので、治った時に考えましょう」でした。



あとで聞いたところによると、関連会社に出向し、そこには企業体質改善の使命を背負っていったものの、トップ(また別の会社からの出向)が聞く耳をもたず、現場の社員の提案を机上論のひとことで反古にする・・・といった繰り返しが、彼をボロボロにしていったようでした。




休み始めた夫の生活は

午前中は寝ていて、やはり会社のメールが気になってチェックして・・・・・・

そうすると気分が落ち込んできてまた寝る、という一日でした。


食欲はほとんどなく、外に出るのは通院のときだけ。

はじめの10日間は、ほぼ寝て過ごしたと記憶しています。

これが2015年の7月末のことでした。



2週間ぐらいすると、夫に少し変化があらわれました。

トイレ掃除と洗濯干しを自らやってくれるようになったんです。

「ママは仕事があって、おれは家にいるから、このくらいやる」と。

ここからだんだん、朝起きて(食欲はないままなのでお茶とクッキーくらい)掃除して選択してお昼になる、

というリズムが出来てきました。



1カ月経った頃、彼は「畑のボランティアに言ってみる」と言いだしました。

ひとり家にいて、パソコンでひまつぶしが出来るまで気持ちが回復し、近くで農園ボランティアの募集をしていることを知ったらしいのです。


自分の部下がうつ病で休職になったとき、産業医から土いじりが回復の助けになる、と聞いていたのを思い出したようでした。


週に3回、畑に通う生活がはじまりました。


⇒次に続く