ひとりっこのアルツハイマー介護

要介護5の父(2011他界)と人工透析でアルツハイマーの母のひとりっこ介護と、介護で自分の人生を犠牲にしないコツ

父を亡くして③実父編・続き

2011-07-28 19:01:40 | Weblog
6月1日。
わたしが大好きな歌手が入籍を発表したとテレビで知り衝撃的な1日の始まりでした。

仕事が終わり、帰り道どうしよもなくお腹が痛くなり、家まで5分が耐えられず近くのトイレに駆け込みました。
「なんにも悪いもの食べてないのに。。。?」

家に着いて、あいかわらず治らない腰の治療に行こうとしていた時でした。

「もしもし?ホームの看護師です。先ほど巡回に行ったのですが、お父様の呼吸がなく、心停止です。できるだけすぐに来てください」

こどもの頃からたぶん誰もが恐れている瞬間。想像するだけでパニックになりそうなシチュエーション。

でも私はやけに冷静でした。

「わかりました。用意してすぐに向かいます」

迷いながら母に電話すると、ろれつの回らない声。
「お母さん、具合悪くてちょっと無理。行かれない」
はあはあと息をしていてただならぬ様子。

自分は父の元へ行かなくてはならない。

でも母は様子がおかしい。

ここからがパニックです。

頼れるご近所さん(母の)もなく、ケアマネに電話をしたら休みとの事。
「ダレでもいいから様子を見に行ってください!」
とお願いし、ひとり車を運転してホームに向かいました。

ホームで父はいつものベッドでスタッフさんや看護師さんに見守られ、穏やかな顔をしていました。

父を亡くして②2011.6月 実父編

2011-07-28 18:46:48 | Weblog
ゴールデンウィークは義父の葬儀に明け暮れ、その後、疲れから体調を崩しました。
風邪にぎっくり腰。咳が痛みを悪化させます。

なかなか父に面会にいけなかったのですが、5月のある日ホームから電話がありました。
「来週お父さんの外来受診に付き合ってほしい」

ホームは病院と同じ敷地内にあり、普段は看護師さんが連れて行ってくれます。

最近嚥下機能がめっきり落ちているということなので、お医者さまと今後のことで話をしてほしいとのことでした。


通院の日。
意思から衝撃の事実が告げられました。

咽頭ガンの可能性が大で、治療は不可能。
口を開けたら腫瘍が見える位置になり、かなり大きいとのことでした。

父はのどを見せるのも嫌がって手で払います。

治療ができない以上、細胞採取による診断も必要ないし、鼻からの経管栄養も望まないことを医師に告げました。

車椅子の父は話は時折、私や母をぼんやり見ながら空をつかむように手を伸ばしてきます。
その手を握ると安心したようにまた居眠りを始めます。
看護師さんが「なにか不安なんですかねえ?」と車椅子の手すりをつかませます。

ホームに戻ってスタッフの方たちと、今後は本人の生命力にまかせることを決めました。


翌日は6月のお誕生会でした。父もまもなく79歳になろうとしていmした。












父を亡くして①2011.5月義父編

2011-07-28 18:36:09 | Weblog
5月。夫の父がガンで他界しました。

死の2日前、お見舞いに行って義父の紫に変色した脚をアロマオイルでマッサージしました。
一瞬、血色がもとにもどり、夫と義母がとても喜びました。
もちろん気休めだということは皆わかっていたけれど、重苦しい空気の病室の中、せめてもの救いだったんだと思います。

もう家族の声に反応しない義父の、命の終わりがすぐそこに来ていることが伝わってきて、駅への帰り道、ひとりで泣きながら帰りました。

穏やかで温かく、わたしにとっては素敵なもうひとりのお父さんでした。

2日後の早朝。義母から、深夜義父が亡くなったことを知らせる電話がありました。

その日はわたしたちの結婚記念日でした。

夫は海外に出張中で、メールで知らせ、ひとり母のもとに向かいました。
車を運転しながら涙があふれてあふれて、遠い国で父親の死を知った夫の気持ちを思うと、なお涙が止まりませんでした。

結婚記念日は命日になりました。