ご訪問ありがとうございます。
このたび10/20をもってブログを同タイトルのまま、FC2にお引っ越ししました
過去記事のカテゴリーなど、少しずつ整理していくつもりです
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YAHOO検索では、アクセス数の関係で、こちらの旧ブログに飛んでしまいます
新サイトにお越しの際は、ぜひお気軽にコメントおよせください
皆様との相互リンクも進めていきたいと思っています
今後ともどうぞよろしくお願いします
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10/20より、ブログをお引っ越しします
下記のランキングサイトに一度お入りいただき、再度 「74歳母アルツハイマーひとりっこ介護」のタイトルをクリックしていただくと おそらく 新URLの方にとんでいただけます
「生きる意味ってなんだろう」
「○○の人生ってなんだろう」
と、介護をしているととかという物差しではない 大きな 部分に考えがいくことはありませんか
30代で介護に直面して以来、辛い思いもたくさんしたけれど、その分周りより少し早く 自分の人生についても考える機会をもらったと思う
昔、親子の問題(自分とこども、という視点)のセミナーに参加した時に聞いた忘れられないフレーズがある
「こどもはわたしたちの家族の中の所有物ではなくて、育てて社会に還元するまで預かっているんですよ」
こどもが周りと協調していけるように
自ら幸せを切り開いていけるように
ちゃんと社会を担っていけるように
子育てはまだ完成していないけれど、とりあえず 人に迷惑をかけない 思いやりのある子 には育っていると信じたい
そして、わたしは人生折り返しの年齢になったいま、
人の役に立つ ことを 人生のひとつの目標にしたいと 思ってる
それはわたしを大事に育ててくれた母に「おかげさまでこんな大人に育ちましたよ」と胸をはって言いたいからかもしれないけど
介護でわたしより一歩後ろを歩いている人
ひとりで頑張っているけど辛い人
ブログがなにかの役にたてばうれしいし、
もうひとつ、高齢者のためのトリートメント(脚や顔や手をオイルでマッサージする方法)もきっとお年寄りやその家族に笑顔をもたらすのだけれど、どうやって還元していくか 考え中
こんな風にしたら?というアイデアがあったら、ぜひ教えてください
母が夕暮れになると寂しいという
若いころはそんなこと思わなかったのに・・・・と
母の心にあるのはきまって親子3人で暮らしていたころのこと
娘のわたしからみて決して仲がよいといえなかった夫婦
父が介護施設に入った時、母は「自由」を得てイキイキするものと思っていた
でも、母の口から出た言葉は「さびしい」だった
昨日、神経内科の通院日で、また認知力テストをした
「いまは何月ですか?」
「10月です」
「季節はいつですか?」
「初夏です・・・」
診察後、なぜ初夏なのか尋ねてみた
すると母がこう言った
「ああ初秋だね。お母さん、お父さんが亡くなった6月のことがいつも頭になってね・・・
こうやってボケていっちゃうんだね、やだね・・・」
帰りの車の中もホームにもどってからも
「ひとりっこだからあんたにばかり負担をかけてごめんね。迷惑かけてごめんね」
「たった3人の家族だったけど、お父さんが先にいなくなっちゃってわたしはこれからどうしようかなと考えちゃう」
と繰り返す
「あんたなんか!!」と怒り狂っていた頃より、「ごめんね」を言われる方がよほど せつない
先週末、母のホームでイベントと家族ミーティングがありました。
以前は隔月でそのような催しがあったのですが、参加する家族がいつも片手で足りるくらい(入居者18名でも)のためか年に3回くらいに減ってしまいました。
この家族会では、先日ホームで天寿をまっとうした方の報告がおこなわれ、他にも看取り体制に入った方がいるとの説明もおこなわれました。
もちろん家族に了解をとっての話題なのですが、赤裸々な話題で、かれこれ通算6年もかかわっている常連の私にも 重い話題でした。
思えば父がココにお世話になっていた時は、症状が進み、医療行為が必要なら特養か入院へ・・・というのが流れでした。
晩年誤嚥性肺炎を何度も起こしたうえに、食事は全介助に近かった父もなんどもホームから「特養hまだ空かないか?」とつっつかれたものです。
しかし今やグループホームが終の棲家として看取りまで行うように変わりました。(法の改正?)
ちなみに、特養でも数年前に見学した折に「病気が見つかったら退去してもらう」と断言するところがいくつかありましたが、今は変わったのでしょうか?
グループホームは夜間1人体制(9人に対し)なので、深夜の急変などは職員は(心理的に)大変だそうです。
うちの母も夜間に体調不良を訴えることがたびたびあるので、重篤な方がいるとなると・・・・人手不足です
はじめての時はスタッフ側も不安が先立ちおろおろしたそうですが、いまは「わたしたちに最期までみさせてください」という気持ちだとホーム長が説明していました。
特養がなかなか空かないという状況の中、グループホーム入居者の介護度はだいぶあがってきています。
ボランティア とはどういうものだと思いますか?
実はわたしも過去に ボランティア をしていました
デイサービスのお年寄りの ハンドマッサージ が最初でした
当時のわたしは「人の役に立ちたい」という高尚な気持ちではなく、多くの人の手に実際にふれて技術を高めるチャンス という目的が先でした
そして、初めてのボランティアの日
わたしは衝撃の体験をしたのです
お年寄りと向かい合って指先から肘まで15分かけてマッサージをする 「してあげる」側だと思っていた自分が、なんだかわからないけれど終わるころには不思議な高揚感につつまれ
涙までこぼれる始末
お年寄りの感謝の言葉や、驚くような変化(デイサービスで常に無言といわれていた方が、自分の家族のことを私に話し始め、スタッフも驚いた)が胸にグーっときてしまったのです。
言葉にならないいろいろな感動を受け取り、ボランティアは与えるだけのものではないんだ と気付いた瞬間でした
その後、ボランティア講座に参加した時に
「ボランティアは自発的な行為です。一方、相手のためにこちらがなにか犠牲を払ってでも奉仕することはチャリティという別の言葉です」 と聞きました
無償のボランティアが長続きしない理由がここにあります
ひとつは、「最優先」事項にならないこと
つまり、お金を頂いているわけではないので、他に用事があればそちらが優先
ふたつめは、ボランティアをお願いしている側が 要求をふやすことで、 お願いされる側とのバランスがくずれること
例えばハンドマッサージをしているうちに今度は「お顔もやってほしい」という要望が出ます。
手と顔の違いですが、そこにはスキンシップという相互の交流をこえて、「ただでエステしてもらえて嬉しい」という受ける側の欲が出ます。
するとこちら側は便利に使われているような気持がして、「やってあげたい」という自発的な気持ちが冷めてしまうのです。
現に私自身も、一日に6人のお年寄りの顔、脚のマッサージをまったく無償のボランティアでした結果、感動を受け取る心の余裕がなくなるほどグッタリ疲れて、夕飯もお弁当を買うことになり逆にお金が出て行ってしまう という悪循環に陥りました
ボランティアは する側と受ける側の 精神面も物理面も含め、 バランスは難しいなと思います
しかし、介護の現場では ボランティア の利用で 格段に介護負担が減る可能性 があります
場合によっては介護保険制度よりも迅速に 助けに なることもあるので 困っているときには積極的に利用したらよいと思います
ただし!
さきほど書いた ボランティアとチャリティの違いを心にとめていただくことも大事だと思います
両親に認知症が見つかったあたりから、自分も物忘れをすることが増え、「40過ぎたらみんなそんなものよ」という声に半分ほっとし、それでも半分「遺伝」を心配する自分がいます。
なにしろ母の父(祖父)もそうでしたから・・・・
とにかく、早く研究が進んで、気休めではない画期的予防法が普及する日を待ち望みます
参考までに
①本日日経新聞にも載ったらしい同志社大学の研究成果 ↓
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20131009/
②もうひとつ、透析患者の母に(将来透析かもしれない私に)期待できそうな研究 ↓
アルツハイマー病の原因物質であるAβを、血中から除去することで脳内濃度を下げて、認知機能を改善する治療システムの構築のため、人工透析患者の血中Aβ変化を解析した。1.Aβの除去率が高い吸着材料を見出し、この素材のカラムで血液浄化を行っている透析患者ではAβは50%程度除去されていた。2.透析器によってもAβが除去され、これにより他組織から血液へのAβ移行(引抜)が促進される事を見出した。透析患者は、血中Aβが高濃度にも関わらず認知能力が保たれており、長期透析の方が認知能力が高かった。以上から、血液からのAβ除去が認知機能の維持、改善に寄与する可能性が示唆された。
http://kaken.nii.ac.jp/d/p/20509008.en.html(上記の文書は、こちら、藤田保健衛生大学 のレポート から抜粋)
ひとりっこというのは、実は甘えん坊ではなくて 人にお願いしたり頼ることが下手 のように感じます。
加減がわからないために、頼り過ぎてあきれられるか、なんでもひとりで乗り越えようとして孤独のスパイラルにはまるか・・・・・
わたしもどちらかというと人付き合いが得意でなく、たくさん失敗してきたし、まだこれからも試行錯誤なのですが、
介護という重い問題にぶちあたって、まずお願いすることを覚えました
今は、母のグループホームのスタッフさん、最近ちょっと親しくなれた訪問看護師さん(ホーム専属)、母の透析の送迎をお願いしている介護タクシー業のTさん、調剤薬局の薬剤師さん
そしてデイサロンのスタッフさん
本当に温かい方々に支えてもらっています
・ケアマネが働いてくれない
・ちっとも頼りにならないスタッフばかり
・医者の出す薬に不信感がある
いずれも介護の悩み相談でよくみかけることです。わたしもそう考えるひとりでした
でも、まず「いつもありがとうございます。支えてもらってます」とセリフから入って要望を伝えたり、「自分でここまで頑張ってみたけれど、そこから先でつまづいている」というような会話を重ねて行くうちに、相手がすごく変わりました。
全然仕事をしてくれないケアマネさんが、わたしを見つけると「あー!」と笑顔でかけよってくれるようになり、いろんな情報をもってきてくれるようになりましたし、はじめ頼りなかったTさんも
今はなくてはならない存在です。(家族のように接しているので旅行のお土産をあげたりもらったり、もしています)
お金を払っているんだから、働いてくれて当然だ、と怒るのもわかります
こちらが態度を変えても、まったくダメな相手だったら、その時は 遠慮せず ケアマネ 変更していいと思います
でも、自分だったらどんな相手になら、+αサービスしようと思うかな、 と考えれば お金だけではないですよね
可もなく不可もない相手だったら、積極的によい関係をきづくことが 「ひとりじゃない介護」のヒントです
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もうすぐ私も母のデイの送迎で出かけます。
母のデイは介護保険とは関係ありません。ボランティアさんがケアプラザを借りて「日中一人でさびしかったり、体力がなくて外出できないお年寄りがお昼を一緒に食べる」という趣旨で運営されています。1回1200円の会費で送迎サービスはありません。
母は同じ場所でやっている介護保険のデイサービスも行きましたが「くだらない。つまらない。時間が長い」でそちらは1カ月で中止。
なにしろ通いつづけているそちらのデイサロンはスタッフと利用者の数が同じなので、きめこまやかな気配りが気に入っているらしいのです。
わたしも、遠足などのイベントには(母が娘も連れて行きたい~と言うのも理由ですが)一緒に参加させていただいてます。アルツハイマーで持病のせいで体力もない母をひとりで観光に連れて行く勇気はないですが、おかげで浅草でスカイツリーを見ながらランチをして隅田川クルーズとか、中華街ランチとマリンタワーなど、楽しませていただいてます
もちろんここのスタッフの方たちもわたしの強い味方です。感謝してます。
では、よい一日でありますように!
更新ぎりぎりの日まで迷った結果、提出をしませんでした。
解約まで1カ月半
いよいよ本格的に片づけ作業をすすめなくてはいけません
この時点でも、母と一緒に物を片づけることは不可能でした
まず
「わたしが引き取るもの」「母のホームに持ち込んで保管するもの」「いますぐゴミに持っていくもの」 という具合に わけることから始めました
前回も書いたように、できるだけ「思い出」がからまないものから作業しないと全くすすまないので、「いますぐゴミにもていくもの」と「業者に処分をまかせるもの」を仕分けすることから
始めました
そのゴミを1階のごみ捨て場にひたすら運ぶ・・・・けっこう重労働です
いったい何袋の45Lごみ袋を出したことでしょう
うちのように2DKでもこれですから、一軒家はさぞ大変な作業になることでしょう
もちろんすべて業者にお願いすることが出来ますが、やはり 大切なものは自分の目と心で分別することになりますものね
ただ食器という道具なのか、その食器で食事をした思い出がよみがえるものか
ただ古い壊れたカメラなのか、家族の思い出をたくさん取り残した父が大切にしたカメラなのか
兄弟がいれば話すことでかえってすっきり捨てられるのかもしれませんが
ひとりで作業すると、それは泣くことですっきりする しかないような気がします
だからこそ、夫や孫たちと作業することはあまりなかったです
つらいけれど、責任をもつことだ という妙な使命感にとらわれました
自分でできることをすべて終え、業者にのこった家財(おもに家具)を運んでもらって修了
15万ほどかかったと記憶しています
ただし、団地の解約日まで少し日があったので、椅子をひとつと蛍光灯をひとつは残してもらいました(最後の退去日にあわせて粗大ゴミ申し込み)
カーテンもなく、たたみに家具のあとが残る部屋
ふつうなら広く感じるのでしょうが、実際は家具が無くても狭いなあと、よくここに暮らしていたなあと、裕福ではなかった家族の象徴のようでした
片づけていたころの感傷的な気持ちと違って、その時はすっきりした気分でした
幼いころから見慣れた窓の外の風景を、もういちどひとりで目にやきつけてから空っぽの部屋の写真をカメラに収め、鍵を閉めました。
お母さん、ごめん。
ひとりっこの私が、大好きな母と同居する道を選ばなかった自責の念・・・・は心の深いところでいつもくすぶっています。
でも、アルツハイマーになってしまった母が、「ボケちゃってー」という笑えるような状況でなく、時間かまわず電話をしてきたり、服薬のたびにわたしとバトルになっているのを見て、夫も子どもも「ばあちゃんが嫌いになりそう」という状態では、同居は母のためにも家族のためにも最善策ではなかった。
幸いグループホームが近いので、最低でも週に3回の面会が可能なこと。夜の時間帯になにかあってもすぐに駆け付けられることが母にとってもわたしにとっても救いです。
で、夢というのは 将来の介護のカタチ のことなのですが
働きながらひとりで親を見なければいけない状態の人が、同居という形を維持しつつ、介護施設が隣接されている住居。
朝、娘や息子は親と一緒に自室で食事をして「行ってきまーす」と仕事に出かける。
残った老人は自室で過ごすもよし、廊下でつながったコミュニティスペースで日中過ごすこともよし。
図にしないと説明が難しいのですが、中庭のように中央に離れとしての介護拠点があって、まわりの囲む個々の住居と廊下でつながっている。
デイサービスのように環境を変えなくていいし(行きたがらないお年寄りはたくさんいる)、家族不在の緊急時は専門のスタッフがサポートしてくれる。
似たような環境の隣人なら助け合えるし、心強いだろうなー と
いつもそんな絵に描いた餅 を想像してます
夢物語でいまのところ、庶民のわたしには実現不可能ですが
心やさしいどこかの大富豪が、こんな設計の認知症介護兼用住宅を建ててくれないかなー
今日はとてもさわやか青空が広がっていました。金木犀の香りもちょっとぜいたくな気分にさせてくれます。
介護で行き詰った時、ネガティブな心が優勢になってきた時、わたしはただ空を見上げて流れる雲を追うクセがつきました。
雲を見ていると、時間は止まっていないんだなあとあたりまえですが気づいたり、この空の下にはわたしより苦しい人もいるよね・・・とぼんやり考えます。
お金もかからずリフレッシュできるので、おすすめですよ!
もしも空を見ることも、季節のにおいを感じることも忘れているようだったら、それは相当ココロが疲れてしまっている証拠です。
自分をいたわることを先延ばしにしないで、ちょっと手を抜きましょう。
介護を抱えてるというだけで、じゅうぶん頑張ってると思うんです。
こどもの成績が心配でね~というのが最大の悩みという主婦だっているわけです。
ココロがネガティブになっていると「ふん、わたしはそれどころじゃないの!!」という気持ちになりますが、「そうかわたしはあの人よりずっと頑張ってるんだし、夕飯はお弁当買ってきちゃおう」という風に手を抜く ことも覚えました。
きょうは母に会いにいかなかったけれど、退屈してたかな・・・・・