ひとりっこのアルツハイマー介護

要介護5の父(2011他界)と人工透析でアルツハイマーの母のひとりっこ介護と、介護で自分の人生を犠牲にしないコツ

サラリーマンの夫がうつになりました⑤経過

2015-09-15 22:31:23 | Weblog
夫が休職をし、畑に行き始め・・・・

それまで買い物さえ行く気がしない、といっていた夫が、

「畑用の長靴を買いたい!」と買い物に行く意欲を見せました。

そして、畑で出会う方々は、みなさん夫にプライベートなことを詮索することもなく、

老夫婦が多くてゆったり余裕がある感じが、とても心地良いのだと話してくれました。


このころから夫に笑顔がみられるようになりました。

そして、9月。

「テレビで沖縄を特集していたのを見ていたら、なんだか沖縄に行きたくなってきた」と。

もともと旅好きのわたしたち。

夫がうつになってからは、外出さえ嫌がっていたので、この言葉は大きな前進でした。



会社には、11月に復帰出来ればいいな・・・・というのが本人の目標だったので、

とりあえずこの9月、家族で沖縄に行ってみました。


青い海と青い空、そして知り合いがいないという環境。

リハビリにはもってこいだったようです。


帰宅するやいなや、

「もう一度あの海に行きたい」


もう、わたしからすれば「はあ?どこにそんなお金があるのよ????」です。

しかも私にも仕事があります。


「1人で行くからいいよ」


いや、うつ患者をひとりで遠くに旅行させるのは不安です。


結局、10月にふたたび沖縄に旅立ちました。



このころには、もう時折、夫がうつであることを忘れてしまうような感じでした。



12月、夫は会社に復帰しました。


はじめは通勤だけでつかれてしまい、半日で帰宅

そんな感じで徐々に徐々に、もういちどサラリーマン生活をはじめたところです。



サラリーマンの夫がうつになりました④家族の接し方

2015-09-15 22:30:38 | うつ病見守り日記
家族がうつ病になるなんて、思いもしなかったワタシ。

ですが、ストレスがどう人間の精神と肉体を蝕んでいくかについては、元々かなり勉強していました。


ということで、家族としてどう向き合ったか、を今回は書きたいと思います。


まず初めに、うつ病だった・・・ということを公表していた知人に、どう接したらいいのかを聞いてみました。


返ってきた答えは

   本人は、なにをしていても辛いんです

   毎日がただただしんどい
 
   とにかく見守ってください


医者からもらうパンフレットには

   出来るだけそばにいて、一人にしないでください

というようなことが書いてあったのですが


わたしにはパートの仕事があるので、ずっと見ていることは出来ません


そして、もしも自分が患者側だったら・・・・・とも考えました。


家族が、自分のために仕事や外出を一切やめてしまったら、安心を得られるかわりに≪自分のせいだ・・・≫と感じてしまうかもしれない

もちろん、ここは患者の重症度によっても違うし、そんなことを考える余裕もないかもしれず、想像でしかなかったのですが、


出来るだけ、これまでと同じ生活をしよう

そして出来るだけ家にいる時間は確保しよう


このふたつを守ることにしました。


それから、息子たちには、わたしから病気のことを話しました。




二度と元の生活に戻れないのではないか?・・・・と不安を口にする夫に対しては

「わたしが一緒なら大丈夫」と笑顔で答えました



サラリーマンの夫がうつになりました③

2015-09-10 09:54:31 | うつ病見守り日記
会社に向かおうとして、駅の改札で足がとまり、ひとりで3時間もベンチに座り込んでいた夫。


いったん家に帰り、近所の病院を調べて予約し、うつ病だろうと診断されました。


夫の休職の気持ちはほぼ固まっていたので、即、診断書をもらい、上司に電話をし、1.2回会社にいっただけで休職生活が始まりました。


夫は・・・・医師の前で泣きました。

「元の自分に戻れるでしょうか?・・・・元の自分に戻りたいんです」

「いまの職場には戻らないほうがいい、と書いてもらえませんか?」と子どものように訴えました。


これまで、会社がイヤなわけではない、と言い続けていたのに、ようやく自分の気持ちを外に出すことが出来たんだな・・・・と思いました。

先生の答えは「そんなことは今考えても仕方ないので、治った時に考えましょう」でした。



あとで聞いたところによると、関連会社に出向し、そこには企業体質改善の使命を背負っていったものの、トップ(また別の会社からの出向)が聞く耳をもたず、現場の社員の提案を机上論のひとことで反古にする・・・といった繰り返しが、彼をボロボロにしていったようでした。




休み始めた夫の生活は

午前中は寝ていて、やはり会社のメールが気になってチェックして・・・・・・

そうすると気分が落ち込んできてまた寝る、という一日でした。


食欲はほとんどなく、外に出るのは通院のときだけ。

はじめの10日間は、ほぼ寝て過ごしたと記憶しています。

これが2015年の7月末のことでした。



2週間ぐらいすると、夫に少し変化があらわれました。

トイレ掃除と洗濯干しを自らやってくれるようになったんです。

「ママは仕事があって、おれは家にいるから、このくらいやる」と。

ここからだんだん、朝起きて(食欲はないままなのでお茶とクッキーくらい)掃除して選択してお昼になる、

というリズムが出来てきました。



1カ月経った頃、彼は「畑のボランティアに言ってみる」と言いだしました。

ひとり家にいて、パソコンでひまつぶしが出来るまで気持ちが回復し、近くで農園ボランティアの募集をしていることを知ったらしいのです。


自分の部下がうつ病で休職になったとき、産業医から土いじりが回復の助けになる、と聞いていたのを思い出したようでした。


週に3回、畑に通う生活がはじまりました。


⇒次に続く









サラリーマンの夫がうつになりました②

2015-09-02 21:49:09 | Weblog
夫との電話をきって、夫のいる駅に向かうまでのあいだ、わたしは高速でいろいろなことを考えました。


夫の母に話そう


夫には休職をすすめよう


わたしが全力で支えるのだ


やけに、しっかりしている自分がいました。



きっとそれは・・・ストレスについてかなり勉強していたし、自分もストレスを克服した経験があったからなのでした。




本当は、夫がたびたび休むようになって、



・会社に行けなくなってしまうんじゃないか?

・会社をやめることになったら我が家はどうなるんだろう?

・暮らしはどうなる?

・どう接したらいい?

・もっと最悪な事態になったら?!


という不安がグルグルしていたんです。




でも、夫の姿を見つけた瞬間


「もう会社は休もう」と言いました。




管理職であり、生真面目な夫からは、


・この時期に自分のかわりに(ポストを)担当する人材がいない
・そんなことをしたら、評価はガタ落ち(給料が下がるだろう・・・・)
・だらしなくて申し訳ない

予想通りの答えが返ってきました


そのあとに・・・・・

「ママ(私)のいうように、もう病院に行った方がいいかもしれない」



そうです、

仕事のポストをふいにすることより

収入が減るかもしれないことより

夫の人生を守ることのほうが100倍大事



夫を家に連れ帰り、病院に予約の電話をかけました


⇒続く


⇒次回に続く


サラリーマンの夫がうつになりました①

2015-09-02 21:35:46 | うつ病見守り日記
2014年、夫がうつ病を発症しました。

まさに青天の霹靂・・・・


認知症の母の介護にくわえて、夫の心配もしなくてはならないなんて・・・・


どこまでわたしは 抱えるものに恵まれるんでしょう???


1年たって、本人からも隠さなくていい、と言われたので、書いてみます。


もしも


ご自分の旦那様や、サラリーマンとして働くご本人で、


「うつかも」


と思うところがあったら、参考にしてください。




2014年の年明けから、夫は頭痛を訴えていました。

それは曜日に関わらず、いつでも痛い・・・・と。

病院で検査をしても特に悪いところは無く

男の更年期かもね、

と痛み止めでだましだまし過ごしていました。



そして季節が夏に変わるころ


月曜日に遅刻をすることが多くなりました

管理職なので、出勤時間は自分で決められます

頭が痛いから、遅れていく、と。


それが、2回、3回と続き


週に1.2回休むこともありました。


はじめは

「会社に行きたくないわけじゃない」


「元気が出ないんだ」と言いました。


そのうち

不眠を訴え、表情は暗くなりました




ある日


電話がなりました


「あのさ・・・・・いま駅にいる・・・・地元の。


電車にのろうと思ったんだけど、足が進まないんだ・・・・・」



時計は9時半。

彼は7時に家を出て行ったのに。


「待っていて、今すぐそこに行くから!!」



洗濯を干していた手をとめて、財布と携帯をつかんで駅に走りました。















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