土中に埋まっていた藍壺を掘り起こし、壁面を補修する池原幹人さん(右)ら=本部町伊豆味
琉球藍の染料のもととなる「泥藍」の精製を自ら手掛ける藍染め作家の池原幹人さん(34)=沖縄県本部町伊豆味=が、戦前に造られたとみられる藍壺を使った昔ながらの製法に取り組み始めている。少なくとも50年以上、土中に埋まっていたとみられる三つの藍壺を4月に掘り起こし、夏頃から使い始める予定。琉球藍の世界に入って10年目を迎える池原さん。「しっかりとした技術を身に付け、継承したい」と意気込んでいる。
藍壺はリュウキュウアイの葉と水を混ぜて色素を抽出するために使われる。藍作りが盛んだった伊豆味地域には戦前、多くの藍壺があった。今回掘り起こした三つは、伊豆味の山中にある池原さんの藍畑の敷地内にある。畑の土地を探していた池原さんが2016年秋ごろ、土中に埋まる藍壺を見つけ「これを使って藍を作りたい」と、一帯の土地を借りて開墾した。
三つともおわん型で、草と水が混ざりやすい構造という。それぞれ直径3メートル、深さ1・3~1・4メートルで、一つで水約4トン分の容量がある。中に詰まった土を掘り出すと、底は漆喰(しっくい)で作られ、壁面にはコンクリートで補修した跡があった。
県立博物館・美術館学芸員の大湾ゆかりさんは「掘り起こされた藍壺は戦前に造られたものだと思う」と語った。
池原さんは4月5日、伊豆味の友人2人と劣化した壁面を補修した。土建業の照屋正信さん(56)は「(池原さんは)面白いことをするよね」とエールを送る。池原さんも「地域の先輩たちの協力があってこそ」と感謝する。
現在3カ所の藍畑を管理しながら、伊豆味の工房で泥藍作りや藍染めを手掛ける池原さん。先人が造り、利用していた藍壺を使う動機は「興味心が一番」と笑う。その一方で、沖縄の伝統産業に関わることに対する決意もにじませる。「自分でやって、失敗しながら経験を積む。伝統的なことに関わるからには、ちゃんとした技術を身に付け、継承していきたい」と力強く語った。
/(長嶺真輝)
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