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沖縄のことあれこれ。

創業31年「千里」惜しまれ幕 タコライス考案、金武の老舗

2015-07-17 00:42:56 | ニュース

タコライスは好きで、金武のその店でも買って食べたことがあります。 閉めたんですねえ、淋しいなあ。

【金武】全国区の沖縄料理となったタコライスを初めて考案した金武町金武の「パーラー千里」が6月29日、閉店した。

1984年の創業以来、31年間愛され続けた名店の幕引きに、ファンからは惜しむ声が聞かれる一方、系列店で同じ味を楽しみにしているとの声が聞かれた。

パーラー千里と同じタコライスは、県内に7店舗ある系列店「キングタコス」で提供している。

同店は昨年12月に他界した儀保松三さん(享年85)が創業した。

人員不足が深刻で、ここ半年ほどは金~月の週4日しか開けていなかった。

同じく人手の足りない系列店や工場に人員を回すことも念頭に置き、6月上旬に閉店を決めた。

スタッフに負担をかけるのなら閉店もやむなしという儀保さんの意向もあった。

儀保さんの孫でキングタコス代表の島袋小百合さん(39)は「(経営する)家族の苦労や思い出が詰まったお店を残したかったが、スタッフのことを優先した。これからも(系列店で)安くておいしくボリューム満点のタコライスを提供したい」と話す。

タコライスを超える知名度を目標に活動しているという町出身バンド・ZUKANのボーカル・じゅんぼさん(36)は「高校時代、部活中に舌をかんで痛みが染みる中でも完食した。タコライスで金武町を広めてくれた千里さんに感謝している」と振り返った。

2007年に町内のタコライスの早食い大会で優勝した長濱広樹さん(28)=那覇市=は「店がなくなっても、パーラー千里のタコライスが自分の血や肉になっていることを考えると寂しくない」と前向きだ。

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サンシンは沖縄三線.comで。

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週末のイベント

2015-07-15 15:37:47 | ニュース

今週末はイベント各地でありますね。

どこに行こうか迷っております。

第38回浦添てだこまつり  7月17日~19日

第32回うんなまつり  7月18日~19日 

 

海洋博公園サマーフェスティバル2015 7月18日

[日時]平成27年7月18日(土)12:00~21:00
※第37回海洋博公園花火大会 20:00〜21:00
※荒天中止(順延なし)

 

観光のみなさん、どうしましょう。

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※ミニ三線を半額販売追加しました。

三線は沖縄三線.comで。

 

 

 

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泡盛マイスター技能大会

2015-07-10 19:05:36 | ニュース

第7回内閣総理大臣賞全日本泡盛マイスター技能競技大会(主催・泡盛マイスター協会)が5日、那覇市のパシフィックホテル沖縄で開かれ、最優秀賞の内閣総理大臣賞に貞岡結子さん(The BAR Shiokawa)が輝いた。

沖縄担当大臣賞に伊藤薫さん(大阪府)、総務大臣賞に長岡若葉さんが選ばれた。

県内外の泡盛マイスター12人が出場。

筆記試験や銘柄選定、度数選定、古酒選定などを通じて、泡盛の知識や技能を競った。

バーテンダー歴約13年という貞岡さんは「テイスティングが特に難しかった。総理大臣賞の受賞は信じられないの一言。今後も、泡盛カクテルの提供など、ニーズに応えられる人になりたい」と語った。

そのほかの受賞者は次の通り。(敬称略)

県知事賞=新浜貴子(北海道)

那覇市長賞=銘苅みどり(エアポートトレーディング)

金賞=砂辺光輝(EMウェルネスセンター)

銀賞=山城翔太(Bar Dick)

銅賞=嘉数元樹(ロワジールホテル那覇)

エアポートトレーディング社賞=中原浩(オウ・ティ・ケイ)

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みんなも泡盛飲んでね。

沖縄三線.com

金丸でした。

 

 

 

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佐辺さん 日本伝統文化振興財団賞受賞

2015-07-09 11:59:08 | ニュース

第19回日本伝統文化振興財団(川口裕司理事長)の財団賞表彰式が7日、中央区の三越劇場であり、琉球舞踊世舞会(せいぶかい)師範の佐辺(さなべ)良和さん(35)に賞状が贈られた。

同賞は将来の活躍が期待される伝統芸能実演家を毎年1人選ぶもので、県内からの受賞は初めて。

選考委員の田中英機氏は「佐辺さんは新鮮な表現と存在感で新進気鋭の踊り手と評価された。

組踊にも取り組み、屈指の若き女形として芸の熟成が予感される。選考委員一同、大きな期待を持っている」と選考理由を述べた。
 

佐辺さんは「ことしは戦後70年だが、ウチナーンチュはいかなる困難の時期にも歌三線を大事にしてきた。沖縄人の肝心(ちむぐくる)を大切にし、賞を励みに沖縄の芸能の保存継承、発展に尽くす」とあいさつした。

同財団は20日午後1時から浦添市の国立劇場おきなわで佐辺さんによる記念舞踊を開催する。

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三線は沖縄三線.com

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世界最大級のヘビ???

2015-07-07 09:44:07 | 三線

捕獲がアマゾン河とあったので種類としてはオオアナコンダと思われますが、この画像が本当かどうかは判りません。

個人的には合成画像と思っています。 

三線はベトナムの養殖ニシキヘビで製作しますがこんな巨大なものはいません。

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三線に使用されるニシキヘビはこのくらいの大きさです。

私の三線を置いてみました。(自宅2階から撮影)

三線用に使用されるものは、長さが2m50cm~3m50cmくらいが通常かと。

下は、私が三線用に使用する蛇皮。

これも大きく見えますが、腹部中央から切って広げたものなのでこのように見えます。

実物はテレビなどで見るような大きさです。

そして・・・・

ニシキヘビの皮を使ってこんなものを作ってみました。

小さな額に三線製作に使用して余った部分のヘビ皮を活用して、中央に琉球切手のサンシンを入れてみました。

切手だけだと、しまったままになって忘れ去られてしまうのでこのようにして飾りにしました。

備考

切手 蛇皮線 3¢(3セント:アメリカ$通貨)

発行日:1965年7月1日、発行枚数85万枚

1965年当時の沖縄の人口 93万人

 

さて、この切手にデザインされている三線ですが、実は今も現存していて、一般の方の手元にあるのです。

そして、この三線にまつわるおもしろいエピソードがあり、下記に追記したいと思います。

少し長くなりますが、もう少しお付き合いください。

 

切手になった三線 翁長開鐘


はじめに・・・・

この三線は、琉球国17代尚灝王の愛用した三線です。

時は江戸時代、天保の改革(1830年 - 1843年)よりも前で、将軍が徳川 家斉(いえなり)第11代 征夷大将軍(在任:1787年 - 1837年)の頃、琉球王国は、第17代尚灝王(在位:1804-1834)の時代となっていました。

第17代琉球国王の尚灝(しょう こう 在位: 1804-1828)の系図

そして、尚灝王の時代から海外との交易が賑やかになってきます。

1816年にイギリスの軍艦二隻が那覇の泊港に寄港して琉球の人たちと交流をしています。

1821年にはオランダの商船が来航して開港貿易を要求したようですが、その時の琉球は日本の一部とな 
っていましたので、交渉に応じる事が出来ませんでした。

1827年にはイギリスの商船も来沖して同じように開港貿易を求めてきます。

さて、三線の話ですが、そんな時代にはすでに存在しています。

その後1872年の琉球処分による強行的な廃藩置県により琉球国は廃され、琉球藩となり、旧国王も東京に移住させられることになりました。

注:「江戸」が「東京」という名称として使われるようになったのは、1868(明治元)年。

琉球処分から72年後、また、沖縄は大変な事態に・・・太平洋戦争です。

1944年の太平洋戦争においては、那覇市が10.10空襲で市街地の大半が焼失したり、1945年の沖縄戦での戦没者は、20万人を超え、国宝も数多く失ってしまいました。

そんな戦前、戦中、戦後の中、この三線は果たして 無事だったのでしょうか?

実は、こんなエピソードが・・・・・


☆無事だった翁長開鐘(ヲゥナガケージョー)☆

昭和10年(1935年)頃、野原昌彦は勝連村平安名で医者をしていたが小学校の同期生だった沖縄工業学校の教師福田恒禎(旧伊礼門)から、尚家が放出した三線が質屋から売りに出ていて、いい三線なので買わないかと連絡があった。

福田はその頃、古典音楽を習っており情報があったらしい。 

医者をしていた野原昌彦でもおいそれと準備できる金ではなかったが、辻でジュリユビ、サキヌミ(辻遊廓で女郎買い、酒飲み)をする金を節約したと考えて手に入れたという。

値段は当時40坪の赤瓦の家が建つほどであった。

買った三線はミートゥンダ(夫婦)三線で箱に具志川開鐘と二つ入っていた。

そして、購入後、沖縄は戦争に巻き込まれる。

昭和20年(1945年)4月米軍の上陸で家の近くの墓に避難することになった。
命からがら狭い墓の 中に家族ともども入るので余計な物は持ち込めない 。
十分に吟味した結果医療品と三線を持ち込むつもりであったが、どうしても墓に納まらない。
そこで医療品は戦争が終わればまた買うことも出来るが、三線は失ってしまうと二度と手にすることは不可能と判断し、医療品は残し三線箱だけを抱いて墓に避難した。

お蔭で戦災を潜ることが出来たと言う。

以上の話は、野原昌彦さんが翁長開鐘を購入した経緯について息子の俊一さんが語ったものである。

敗戦直後は五開鐘やその他の名器の消息が不明で名器として完全無欠なのはこの翁長開鐘だけだったので、展示会や名器鑑賞会ではたいへん活躍し、われわれに誇りと生きる力を与えてくれた功績のある名器である。

あの一徹者の昌彦医者も出来ればこの名器を抱いたままあの世 に行きたかったのであろうが、それだけは出来ない相談であった。

以上は宜保榮治郎 「三線のはなし」に掲載されている。

 

翁長開鐘三線について
型はマカビ型
ティーガに特徴があり、半分だけのティーガである。
また、画像では見えないが、カラクイの先には穴があいていて
ひらひらする飾りを取り付けられるようになっているという。

のちにこの三線は昭和30年(1955年)に特別重要文化財に指定された。
この三線のほかにも「志多伯開鐘」、「湧川開鐘」が指定を受けている。
これら3艇の三線には、「開鐘けーじょー」という特別な名前が付された。
これは、三線の棹の胴に隠れる芯(心)部分に朱書きで「◯◯開鐘」と記されていることに拠る。
一説によると、寺院の梵鐘のように遠くまで聞こえる三線、いわゆる「ユーナヤ(善く鳴る)三線(遠くまで響く三線)」のことをさす。

この三線は、尚灝王の在位した時、すなわち1804年からあったとするならば、2018年の現在から逆算すると、214年間も大切に使われていたということになります。 すごいですね。今も個人が所有していますが、2019年の県立博物館展示会にはお披露目されるかもしれないので、この話も頭に入れながら鑑賞していただければいいのかなと思っています。


さて、話は長くなりましたが、またまた、切手の話に戻りたいと思います。
戦後は、1972年まで沖縄は米軍統治下にあり、通貨はドルでした。

当然、切手もドル表示です。 なんと、私もそのドル時代で生活していました。 古っ!(笑)

この三線が切手になったのはおそらく、敗戦後に最初に現れた三線がこの翁長開鐘で、かつ第17代琉球国王の尚灝(しょう こう 1804-1828)愛用の三線だったということもあり「切手」にする三線として選ばれたのではないかと思います。

この切手は、1965年に発行されたもので、切手の画は洋画家の安谷屋正義氏、切手全体の構成は前野京平氏となっています。

※安谷屋 正義(あだにや まさよし、1921年(大正10年)8月26日 - 1967年7月29日)は、昭和時代に沖縄県で活躍した洋画家ですが、この切手のデザインから2年後1967年に46歳で死去されています。

本土復帰45周年を記念して販売された沖縄切手総カタログの71ページに下記記載があります。

 

71ページの拡大です。↓

 


 

 

以上ですが、切手だけを見ても、その三線にまつわる話があったなんて誰も分からないかと思い、ブログに残してみました。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

三線は沖縄三線.comでどうぞ。

備考

 最後に沖縄の毒蛇(通称:ハブ)の画像です。

ニシキ蛇の大きさからするとかわいいものですね。
でも、噛まれると命にかかわる危険もありますのでご注意ください。


追加情報
なんとなんと、このハブの毒がアルツハイマー治療に期待できそうなニュースが飛び込んできました。
2023年9月6日の産経新聞や他のニュース記事で流れています。



☆ハブ毒でアルツハイマー治療に期待

アルツハイマー病治療に光明!? 
東北大と東京大の研究チームは、沖縄や鹿児島の奄美大島に生息するヘビのハブが持つ毒に、アルツハイマー病の原因とされる物質を分解する成分があることを発見した。チームは今後、動物実験などで効果や安全性を確かめるが、「将来、新たな認知症治療法の開発につながる可能性がある」とみている。 

認知機能が低下するアルツハイマー病は「アミロイドベータ」などのタンパク質が脳に蓄積され、神経細胞を傷つけることで起こると考えられている。

最近では、日本の製薬大手エーザイが開発したアルツハイマー病の治療薬「レカネマブ」が8月、厚生労働省専門部会から製造販売の承認を了承された。ただ、年間薬価が380万円と高額になる見通し。 

ハブが進化の過程で獲得した毒の主成分は、蛇毒メタロプロテアーゼというタンパク質分解酵素(SVMPS)。ヒトに存在するADMSファミリータンパク質と共通の祖先に由来する。 

チームは、ハブ毒の成分からタンパク質を分解するSVMPSを抽出。アミロイドベータを分泌する培養細胞に加えたところ、蓄積が約90%抑えられたという。さらに酵素をアミロイドベータにくっつけると、直接分解することが分かった。同様の分解酵素は人間の体内にも存在しているが、ほかの生き物から見つかるのは珍しいという。 今後、マウスを使って毒性の影響や効果を調べる。

チームの小川智久・東北大教授(細胞生物学)は「ヘビの毒という強い成分だからこそ、人間の体内で力を発揮すると期待できる」と話した。


☆ハブ毒成分に認知症原因物質の分解作用 東北大など

東北大と東京大のチームは4日までに、沖縄や鹿児島の奄美大島に生息するヘビのハブが持つ毒の成分に、アルツハイマー病の原因物質を分解する作用があることを、培養細胞を使った実験で突き止めたと発表した。

チームは動物実験などで効果や安全性を確かめる。「将来、新たな認知症治療法の開発につながる可能性がある」としている。

認知機能が低下するアルツハイマー病は「アミロイドベータ」などのたんぱく質が脳に蓄積され、神経細胞を傷つけることで起こると考えられている。

チームはハブ毒の成分からたんぱく質を分解する特定の酵素を抽出。アミロイドベータを分泌する培養細胞に加えたところ、蓄積が約90%抑えられたという。さらに酵素をアミロイドベータにくっつけると、直接分解することが分かった。同様の分解酵素は人間の体内にも存在しているが、ほかの生き物から見つかるのは珍しいという。今後、マウスを使って毒性の影響や効果を調べる。

チームの小川智久東北大教授(細胞生物学)は「ヘビの毒という強い成分だからこそ、人間の体内で力を発揮すると期待できる」と話した。〔共同〕





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