個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

休むことに疲れている子もいるんです

2017-09-19 11:19:36 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

試験前の対策授業や夏期講習・冬期講習などの特別な授業があるとき以外は、土日を休みにしています。休みの日は特に何もしないことが多く、自宅でダラダラしていることが多いですが、私にとっては体や気持ちをリフレッシュできる貴重な時間となっています。

みなさんも、「仕事を休みたい~」「家事も何もせずに、ダラダラしたい~」と思ったことはあるでしょう。私も塾と言う仕事上、長期の休みをとることができないので、「1か月ほど休みたいなー」と思ったことは正直あります。

ですが、ほとんどの方は1年以上休みをとって、家でダラダラしているという生活をしたことがないですよね? おそらく仕事や家事もなにもせず、1日中家にいるという生活を1ヶ月、いや1週間でも続けると、「そろそろ体を動かしたいな。」「仕事したくなってきたな」という気持ちになると思います。人というのは、よくわかりませんが、退屈が苦手な生物なんでしょうね。仕事を引退されているお年寄りの方々が集まる場所が至るところにあり、どこも大勢でにぎわっているのはそういうことなんでしょう。

それほど長期間休まれたことがないかもしれませんが、では風邪や怪我などで1週間ほど家から出れずに学校や仕事を休んたという経験ならどうでしょうか?それぐらいなら、あるという人も多いのではないですか?
早く治って、学校や仕事に行きたいなという気持ちになりますよね。また、久しぶりに家から出ると、特に初日はとても疲れますよね。太陽の光や、人との会話などの接触、しばらく家にいるとそういった感覚が鈍くなってしまい、体が慣れるまではしんとくなります。

不登校の子どもの体や心の状態はそれに近いものだと思います。学校に行かないという選択をした時点で、彼らにはほぼ行くところがありません。必然的に家にこもるようになっていきます。初めのうちは、苦しいことから離れることができ、のんびり好きなことができているかもしれません。しかし、それが1週間、1ヶ月と時間が経過していくうちに、気持ちに変化が現れてきます。ゲームをしたり、ネットをしたりするのが楽しくても、1日中そればかりする生活を1ヶ月も続ければ、さすがに飽きてきます。本音は「学校に行きたいな。外に出たいな。友達と遊びたいな」なんです。

ですが、学校に戻ることができず、戻る自信もない。他に行くところもない。好きでひきこもっているわけではないのです。無理やり自分で理由をつけて、現状の自分を納得させています。まだ10代の子どもたちが、時間をもてあまし、退屈で苦しんでいるのです。

決して彼らは「サボっている」わけではないんです。

そんな彼らも、エネルギーがたまっていくと、次に進むタイミングがきます。「もう一度学校に行こう」「高校・大学受験してみよう」

こうして進みだした彼らが乗り越えなければならないハードルは決して低くありません。長い間、社会との関わりがなかった子どもたちが社会に慣れるまでは時間がかかります。家から出て学校に行くだけで体がしんどいですし、同級生との会話もストレスになります。どんなふうに会話をすればいいのか、わからなくなっているので必要以上に気をつかったりしてしまいます。実際に中学生で不登校になった子どもが高校から復学したとしても、その50%以上は、また不登校になるか、中退しています。

ですから、不登校の子どもが、新たに1歩踏み出したとき、しんどくなって家に戻ってきたとしても、それを責めてほしくありません。私たちが普段経験したことがないほどの大きなストレスを感じてしまってるんです。しんどくなって当たり前です。だんだんと慣らしていけばいいんです。1歩踏み出したことを喜んであげて、あたたかく見守ってあげましょう。

塾として何ができるか。個人として何ができるか。不登校の子どもたちが1歩踏み出したときに安心して通える場所であり、安心して話せる相手になれるよう、社会に出る前のウォーミングアップの場であり笑顔を取り戻す場となれるようにしていきたいと思っています。

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私のノートは私しか読めません(字が汚すぎて)

2017-09-16 11:17:38 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私が中学生の頃はほとんどなかったと思いますが、今では多くの中学校で生徒にノート提出を義務付けています。授業を真面目に受けているかどうか、たとえテストの点数が良くなくても、しっかりと授業を受けている生徒にはテストの点数以外の部分で評価してあげるというところが目的だと思いますので、悪くない方法かなとは思います。

でも、よく考えると、そもそもノートというのはどうして書く必要があるのでしょうか。いろいろな意見はあるでしょうが、私は授業で習ったことを覚えたり理解を深めたりするためだと思っています。先生が話した内容などを書き留めることで、後から何度も読み返しながら整理していくのです。しかし実際には、黒板に書かれたことをノートに写していくので精一杯の子どもが多く、先生の説明や解説を聞く余裕がありません。ですから後でそのノートを読み返しても、さっぱりわからないのです。

授業中は先生の話に集中して、授業が終わってから黒板に書かれたものを写真に撮り、それを自分なりに整理してノートを作ることがもっとも効果的かと思います。学校ではなかなか難しいかもしれませんが、自分で要点をまとめるというのは、勉強だけでなく今後いろいろな分野で必要になってくる作業です。

ノート提出のときに、きれいに書いている方が高い点数をもらえるからと言って、先生が板書したのを丸写しし、実験器具などの図をすっごくきれいに書いて、何種類もの色を使って塗り、仕上げるのに何時間もかけているのを見ていると、何とも言えない気持ちになります。「これはいったい、何の罰ゲームなんだろう」

ONE-Sでは、黒板はありません。完全個別指導ですので、1人1人の目の前で紙に書いて説明していきます。ですから基本的に生徒が授業中にノートを写すということはありませんし、ノートを持ってきていない生徒も多くいます。

説明していくなかで、大切な部分であったり、よく間違える問題であったり、必要なことはその場でノートに書いてもらうこともありますが、私の説明を書いた紙を家に持って帰ってもらって、それを自分でノートにまとめるという作業をしてもらうことが多いです。

そうして、毎回自分でまとめていったノートは、いずれ自分にとっての最高の教科書・参考書となります。どこにも売っていない、自分にとっての大切なものだけが書かれてあり、自分が一番読みやすい本ができあがるのです。

最近は、学校でも塾でも至れり尽くせりで、「どの問題集を使って、何ページから何ページまでを解いて、何を覚えるべきか」など何でも教えてくれます。もちろん本格的に勉強した経験がない中学生に、いわゆる「勉強の仕方」を教えてあげることは必要で、私も当然生徒たちに教えています。ですが、それがあまりにも極端になりすぎると、自分で何をするべきかを判断する力が養われないのです。ですから高校生になっても「自分には今、この分野の力が欠けているから、こういった勉強をするべきだ。自分の目指す大学はこのタイプの問題が出やすいから、その対策の勉強をしなければならないな。」ということができないのです。その結果だれかに頼り、「何をすればよいか教えてください。宿題や課題を出してください。そうしないと自分ではできません」といった状態になるのです。

効率よく勉強するだけでなく、自分で考える力・自分で判断する力を同時に鍛えていくことが理想ですし、それをすることが塾の役割だと思っています。

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あきらめたらそこで終わり

2017-09-14 11:23:48 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

有名な漫画の〇〇先生のセリフに「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」というのがあります。私も大好きな漫画でもちろん全巻そろえて、たまに読んでいます。スポーツ観戦が好きで、特にヨーロッパのサッカーを観ることが多いのですが、これまで観戦してきた試合の中でも、まさにこの言葉がピッタリとあてはまるような奇跡のような試合が何試合かあります。スポーツの世界では、試合時間が決まっていたり、ラウンド数が決まっていたりと勝敗の決着がわかりやすく、そういった点でこのような奇跡の瞬間を目にすることがあるのだと思います。

一方、人生においての勝敗となると一気に難しくなりますよね。どこで試合終了なのか、何をすれば得点が入るのか、今現在勝っているのか負けているのか、まったくわかりませんよね。それはおそらく人生は勝負ではないからでしょう。

私は高校卒業した後浪人して、そのとき目指した職業が医者でした。当然医学部に合格しないと医者にはなれませんので、医学部に合格するために勉強をしました。しかし結果は2浪しても合格することはできませんでした。2浪のときのセンター試験がボロボロで1浪のときよりも点数が悪かったんです。目標とする大学のボーダーラインには程遠い点数でした。そのときの私の選択肢は3つあり、①3浪してもう一度チャレンジする。②このセンター試験の点数でも合格できそうな大学を日本全国から探して受験する。③医学部をあきらめる。でした。いろいろ悩みましたが、かぎりなく③に近い選択をしました。前期試験は志望していた大学の医学部を、可能性はほぼ0でしたが、2年間そこを目指して勉強してきたのだから受験するだけ受験してみようと、そして後期は医学部以外の学部を受験することに決めました。結果は予想通り、前期は不合格で後期で志望していた学部ではない工学部に合格しました。

この医学部受験をあきらめるという選択をした時点で、私の医者への道が閉ざされて、医者になれるかどうかという試合は私の負けで終了してしまいました。ですが私の人生が終了したかと言えば、全くそんなことはなく、逆に今現在は毎日がとても充実した日々を過ごすことができています。確かに当時はショックでしたし、何もやる気が出なかったのは事実ですが、こんなことはサッカーでいうと試合終了したわけでもなく、ただ開始10分ぐらいで絶好のシュートチャンスを外してしまって「ああ、せっかくの先制のチャンスやったのに。やってもうたー」という程度なんです。

そこから学べばいいんです。なぜシュートを外してしまったか、次決めるためにはどうすればいいのか、そういうことの繰り返しで私たちは前に進んでいきます。

「もう1年勉強を続けていたら志望校に合格できるんとちゃう?」と言ってくれた人もいました。ですが自分ではわかっていました。これが自分の限界なんだと。だから、これからはシュートを決めるストライカーではなく、パスの技術を磨いていこうと目指す方向を変えたのです。

「あきらめる」というとどうしてもネガティブなイメージになりますが、いい意味の「あきらめる」は「自分の力を見きわめる」ことだと思います。「あきらめなければ何だってできる」なんて私は信じていません。成し遂げることができた人だからこそ言えることばであって、人には向き不向き、能力の限界などがあるはずでから、「あきらめないで頑張ったら絶対に夢がかなうよ」なんて無責任なことは私には言えません。能力以上のことを求めてしまうと、体や心に大きな負担がかかってしまいます。そういった意味では、子どもに必要以上のものを期待したり、プレッシャーをかけてしまうことは危険なんです。子どもの力、得意不得意を知ることが親や先生に一番求められるものではないでしょうか。

だからといって、何にも挑戦しなければ何も変わりません。大事なことは試合に出ること。試合に出たからこそ気づくことができることがたくさんあります。頑張って勉強したり練習したりするから、自分の力を見きわめることができるのです。

ですから「あきらめたらいけない」のではなく「何もしないうちから、あきらめるな」ということです。そして自分を知ったうえで「あきらめる」ことは恥ずかしいことでもなんでもなく、とても勇気のあるよい決断なんです。「自分がどれほどの人間かを知ることを怖れて、夢にしがみついている」方が「夢をあきらめる」ことより楽だと思うんです。

「あきらめて試合終了?」ぜんぜん構わないじゃないですか。また新しい試合が始まります。次から次へと無限に試合は待っていてくれます。自分の力が発揮でき、自分が楽しいと思える試合を見つけることができれば、それがきっと勝利と呼べるものなんでしょう。

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大学無償化について

2017-09-12 11:20:47 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

昨日、久しぶりに大学時代の夢を見ました。その夢とは、以前このブログでも書きましたように、数ヵ月に1回見る夢で、その内容は「ああ、明日試験や。この試験合格しないと単位が足らずに卒業でけへん。どうしよう」というものです。卒業してから20年以上経過しているのに、まだこんな夢を見るというのは、よっぽど苦しんだんでしょうね。この夢を見るたびに、本当に卒業できているのか不安になってしまいます(笑)

私の情けない大学時代の話は、いったん置いといて、大学無償化の問題を考えていきます。現在、国公立の大学で授業料が約50万円、私立大学で約100万円。学部によってはもっと必要になることもあります。入学料も合わせると、さらに大きな金額になりますので、どこの家庭でも簡単に払えるというものではありませんよね。こうした学費を、奨学金制度を利用して支払っている学生は多くいます。有難い制度であるのは間違いないのですが、奨学金は返さないといけないわけで、国公立大の4年間の授業料をすべて奨学金で払った場合、約200万、私立大学や大学院までいった場合はそれ以上、400万~500万になることもあります。大学を卒業して社会に出た瞬間に、何百万もの借金を背負ってスタートしなければならないのですから、それは大きなプレッシャーであり負担になります。

もちろん、大学へ進学するのは自由であり、大学は自分への投資であるのだから、回収できる自信のあるものだけが奨学金を借りて進学すればいいという意見もあります。それは、もっともな意見なのですが、この投資はリスクが大きいです。社会に出て10年以上で、ある程度知識や経験がある人ではなく、まだ社会に出る前の若者には厳しすぎないでしょうか。

社会全体として、最近では「せめて高校は出てた方が」ではなく、「大学くらいは出とかないと」という風潮になっているなかで、学費はどんどん上がり、子どもの負担は増すばかりです。

そこで議論されているのは、大学の無償化です。大阪では数年前から高校無償化が実現し、細かい条件はあるものの、家計の負担はずいぶんと減ったと思います。それを大学まで無償化されるとなると、さらに大学進学がしやすくなりますので、基本的にはぜひ実現してほしいと思っています。

ただ、問題点は一律にする必要があるかどうかという点です。特に大学に関しては厳しい基準を設けるべきだと思っています。

大学と言ってもいろいろあり、中には中学校の授業かと間違えるほどレベルの低い授業をしている大学もあります。学びなおしという点ではそういう場も必要でしょうが、それは大学でする必要はないと思っています。厳しい言い方をすれば、大学生になる年齢で中学校で勉強するような学びなおしの勉強をしなければならない子は、勉強が向いていないか、勉強することから逃げてサボっていたかどちらかです。真面目に勉強してきたにもかかわらず、それぐらいの学力になるということは大学に行ったからといって学力が上がるわけでもないのですから、別の道を探した方が絶対にいいと思います。勉強ができなかってもいいじゃないですか、いくらでも他の能力が発揮できることなんて見つかるはずです。そしてサボっていた子については、厳しいですが自業自得です。周りが真面目に勉強している時間を、好き勝手自由に過ごしてきた代償なんですから、学びなおしたいのであれば自費で頑張るべきです。そして私が本当に言いたいのは、もし本気で大学で勉強したいというのなら、塾でも予備校でも通って必死で勉強して、より勉強の環境の整った大学に行ってほしいということです。基本的に大学が最終学歴となります。就職においてもここが重要になってきます。ですから、学びなおしのために大学に行くのではなく、そういうのは大学に入る前にしっかり勉強して、そして大学では自分の本当にしたい勉強、そして社会に出たときに武器となる勉強をすべきだと思います。そうでない学校を無償化する価値はあまりないように思います。

では偏差値の高い大学なら無償化にすればいいのかというと、そうではありません。割合的には偏差値の高い大学ほど意欲の高い学生は多いでしょう。ですが、ここでも全員を無償化にするというのは反対です。なぜなら、私のようにある程度のレベルの大学に行っていても、やる気も何もない学生がいるからです。学校の授業よりも、アルバイトや遊びを優先し、何をしに大学に行っているのかもわからず、結局大学4年間で学んだことなんてほとんど何もありませんでした。学費を払ってくれた両親には本当に申し訳ないと思っています。当時の私に無料で大学へ通わせるなんてことは絶対にしてはいけません。

ですから、大学のレベルで基準を設けることは必要でしょう。また、学生それぞれに基準を設けることも必要だと思います。学生時代の私のように遊んでばかりいる学生に大切な税金を投入するわけにはいきません。それならば、もっといい使い道があるはずです。偏差値〇〇以上の大学は無償化とかではなく、とにかく大学へは勉強することを目的としている学生、あるいは大学に限らず私は専門学校でもいいと思っているんです。大学で中途半端な勉強をするよりは、専門学校でより質の高い勉強をできるような職種もあると思います。そうして、自分の夢に向かって一生懸命頑張っている若者を応援しない世の中なんて残念すぎます。進学にお金がかかりすぎるからあきらめようという若者はかなりの数いると思います。それではだめです。若者が夢を実現しやすい環境、夢を持てる環境を作ってあげることが大人の責任です。頑張っている子ども、真面目に生きている子どもが損をしないような、そんな社会を目指し大学無償化を決めていってもらえればと思います。

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つまりは気持ちの問題

2017-09-09 12:37:49 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

いきなりですが、私は以前はヘビースモーカーでした。20代が一番ひどく、多いときには1日に100本吸っていました。それが原因で大学時代に2回も喉の手術をしました。手術してからも、医者からは禁煙するように言われていたのですが、なかなかやめることができず、27歳で仕事を始めてからも、タバコを吸い続けていました。

30代になって少し本数は減ったものの、タバコをやめようとは思っていませんでした。ですが、声がかすれて出にくくなることや、頻繁に咳が出てしまうなどの症状がでてきました。もちろん塾の教室内で吸うことはありませんでしたが、生徒からは「先生、タバコ臭いでー」と言われることもあり、また生徒に「先生、ええ加減タバコやめやー。死んじゃうでー」と体のことを心配されることもありました。そこで、禁煙しようという気持ちになってチャレンジしたのですが、わずか10時間で失敗に終わりました(笑)。これが私の初めての禁煙チャレンジの結果でした。

それから毎年のように、年に何回かは禁煙しようと決意して挑戦したのですがどうしても3日間の壁は越えることができず、私には人生最大の山に感じました。私の父親も喫煙者で、父も禁煙したがっていました。そこで、元旦に「一緒に禁煙しよう。タバコを吸ってしまった方は罰金を払うことにしよう」と2人で固く約束したのです。しかし、ビックリしたのは2日の朝に父の部屋に行くと、昨日の約束が何もなかったかのように、タバコをおいしそうにプカーと吸っていたんです(笑)。でも、正直そのとき私もホッとして同じようにタバコを吸ってしまいました。

この正月の行事は恒例となり、何年か続けましたが、最後の方はお互いに禁煙する気持ちも強くなく、形式だけになってしまっていつのまにか消滅してしまいました。当時の私は「親父がこれだけ禁煙できないのだから、自分が禁煙できないのはきっと遺伝やな。これは、もうしかたない。もし親父が禁煙できたら自分もそのときにしよう」と思っていました。

そこから数年後、その父が禁煙に成功したのです。横で私がプカプカ吸っていても、父は絶対に吸いませんでした。このときほど、父を尊敬したことはありません(笑)。
こうなったら、さすがに私も禁煙しないわけにはいかないと強く決意し、家族はもちろん、友人や塾でのアルバイトに来てもらってた講師のみんな、そして塾生にも「俺は禁煙するぞー」と宣言したのでした。しかし結果はまたもや3日間の壁を越えることができず、それからも何度か禁煙に挑戦しましたが成功しなかったため、みんなからはオオカミ少年のように思われてしまい、いくら「次こそは禁煙するぞ」と言っても誰からも信じてもらえなくなりました(^^;)

禁煙できると言われている本があればすぐに購入して読み、ニコチンガムやニコチンパッチを試し、電子タバコも使いました。禁煙外来にも通い、禁煙に有効とされる方法はほとんど利用しましたが、私にはまったく効きませんでした。もう一生禁煙なんて無理だなと思い、開き直ってプカプカ吸っていたときに、ある出来事がありました。夜中寝ようとしたときに、心臓や肺のあたりに今まで経験したことのないような激痛が走り、「ああ、死んでしまう」と感じました。「頼むから心臓とまらんといてくれ!」と数分間祈り続けて、ようやく痛みがおさまりました。次の日、病院に行っていろいろ検査をしましたが、異常はありませんでした。

これまでは、タバコは体によくないと頭ではわかっていたつもりでしたが、このとき初めてタバコと自分の死が結びつきました。仕事の面でも、まだまだしたいことがたくさんある。家族や友人などの大切な人とも、もっと時間を一緒に過ごしたい。できるだけ長く生きたい。寿命で死ぬのは仕方のないことだが、タバコが原因で死期を早めてしまっては、生んでくれた両親にも申し訳ないし、悔やんでも悔やみきれない。そう思った私は、最後にもう一度禁煙に挑戦しました。これで失敗したら、何があっても一生タバコを吸い続けようと誓いました。

もちろん今までと同じように、苦しくてつらかったですが、なんとか魔の3日間を乗り越え、1週間、1ヶ月間と過ぎていきました。気を抜いたらすぐに吸ってしまいそうになるので、つい吸ってしまうような場所、たとえば友人と居酒屋に行くなどのことを避けたりしながら、現在までの約2年半禁煙が続いています。ときどき、タバコを吸ってしまって焦っている夢を見ますが、今ではどの場所に行ってもタバコを吸いたいとは思いませんし、タバコのことを考えることもほとんどなくなりました。体調もどんどんと良くなり、咳をすることもなくなり、本当によかったと思っています。

結局は、禁煙するための道具や方法の問題ではなく、私自身の気持ちの問題だったのです。「どうしてタバコをやめられないの?」と聞かれたとき、「仕事をしていて、タバコを吸うと疲れがとれるから」「頭がすっきりするから」などと答えていましたが、全部それは言い訳でした。決意・覚悟が足りてなかったのです。人は正当化しようとして言い訳をしてしまうのです。

子どもたちに「なんでもっと勉強しないの?」と言ったときに「クラブで疲れているから」「明日からするわ」「することないし」などという返事を何度も聞かれてきたのではないでしょうか。これらはすべて勉強したくない言い訳です。勉強しようという決意がないのです。だから何度注意しても勉強をしないのですね。

本気で勉強しようと覚悟を決めた子どもは、何も言わなくても勉強します。ですから、子どもの意識を変えてあげること、子どもに勉強することによるメリットをわかりやすく伝えてあげること、そういったことを塾と家庭とでしていくことが結局は一番の近道になるのです。

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