個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

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2017-09-07 13:11:29 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

先日、ある通信制高校の先生とお話する機会がありました。私立の通信制の学校というと、数年前にどこの地域だったか忘れましたが通信制の学校の不祥事がニュースなどで大きく報道された印象が強く、あまりいいイメージを持っていませんでした。

この不祥事の件についてもお話させていただきましたが、やはり中には、子どもたちのことを優先するのではなく、学校の利益を最優先するやり方をするところもあるんだなと思いました。実際にあの事件では、多くの子どもたちが被害者となりました。通信制の学校と言えば、全日制の学校に行くことができなかったり、不登校であったり、高校を中退していたりと、いわゆる大きなレールからそれてしまった子どもが多く、そういった子どもたちをサポートしていく側の人間が不正をしてしまうのは本当に悲しいですね。こういうことが起きるから、保護者の方々も何を、どこを信じて相談していいのかわからなくなってきてしまうのです。

ですが、今回お話させていただいた学校の先生は、私のそんなイメージを完全に覆してくれるほど、子どもたちのことを真剣に考えておられ、そして熱く語ってくれました。

一番印象に残った言葉は、「世間が持っている不登校のイメージを変えたい」というものでした。私もこれには完全に同意で、このブログでも何度か書かせていただいています。不登校という言葉が広く知られるようになっても、いえ、そうなったからこそなんでしょうか、「不登校の子ども=ややこしい子ども」という目で見られてしまいます。犯罪を犯したわけでもなく、ただそれぞれなんらかの原因で学校に行けなくなっただけなんです。そういう世間の目が、どれほど子どもたちやその家族を苦しめているか。

不登校の子どもたちも、疲れ切って使い尽くしたエネルギーが、徐々にたまっていき、また頑張ってみようと動き出すときがきます。その中には、もう一度高校進学を目指す子ども、さらには大学進学を目指す子どももたくさんいます。ですが、いきなり集団の中に飛び込むことがしんどい子どももいますので、そういった子どもは通信制の高校に進学するケースも多いです。そういった意味では、通信制の高校が増えることは、不登校の子どもにとって選択の幅が広がりますのでとても良い傾向だと思います。

問題はいくつかあり、勉強の計画を立てることができないのもその1つです。受験勉強や受験そのものを経験したことがなければ、与えられた課題や勉強をすることはできますが、志望校に合格するために、いったいどういう勉強が必要で、どれくらい勉強しなければならないかを自分で判断することができません。また、いざ大学に行くとなるとほぼ毎日通わなくてはならず、他人と接しないといけないので、そういった生活習慣が身についていないとそれがしんどくなってしまうことも考えられます。ですから勉強だけでなく毎日家から出て誰かと接することに慣れていくことも必要になってくるでしょう。

こういった問題を解決していくためには、学校だけでなく、学校と塾や予備校、そしてできれば行政も協力し合っていくことが重要です。私自身も、ONE-Sとしても何か協力できることがあれば、ぜひさせていただきたいと思っています。

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平等って何を平等にするんだろうか

2017-09-05 11:59:55 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

夏期講習も終わり通常授業にもどりましたが、まだまだ暑い日が続き生徒たちも大変です。

なんとかすべての生徒の夏休みの宿題を全部提出することができ、まずはホッとしております。
何度も書いていますが、特に中学生の夏休みの宿題を全員同じものにするという制度はなんとかならないでしょうか。問題集というのは、自分の学力にあった問題をするから効果があるもので、そうでなければ時間の無駄になってしまいます。小学生に高校の問題集を宿題としてやらせて、「わからないところは答えを全部写してくるんだぞ」なんてことはしませんよね。なぜなら、それがまったくの無駄になるということがわかっているからです。

それと同じようなことが中学校でおこなわれています。中学生になると、学力の差は小学生の低学年とは比べ物にならないくらい大きくなっています。中学3年生ならもっとです。大阪では、公立高校も私立高校もちょっと検索すれば偏差値の高い順の一覧表が出てきますよね。これだけ大きな学力の差があるのに、すべての生徒に同じ宿題をやらせるなんて、効率が悪すぎるというか、何のための宿題なのか理解に苦しみます。

平等という言葉は素晴らしいのですが、それがおかしな方向にいってしまうと大きな不平等を生む原因にもなってしまいます。

すべての子どもが平等に、教育を受ける機会を与えられるということは、当然ですが大賛成です。世界にはまだまだ学校がない国も多い中で、このように多くのことを学べる場があるのはとても素敵でありがたいですよね。小学校に入学して、みんなが読み書きできて、計算できるようになっていくというのはすごくいいことです。ですが気をつけなければならないのは、こうして全員が同じスピードで同じ授業をすることによって、なんらかの理由でそこから離れてしまった子どもや、ついていけない子どもをフォローする体制が整ってないことです。1ヵ月でも授業から離れることになった場合、もとに戻るのはとてもしんどいことなんです。

また、小学校の高学年や中学生になると大きな学力差が生まれているにもかかわらず、全員が同じ授業を受けます。真ん中の学力の子どもに合わせて授業するのが一般的でしょうが、学力の高い子どもにとっては退屈な授業でしかなく、逆に低い生徒にとってはほとんど理解できず、ただノートを写しているだけになっています。平均的な学力の子どもが多かった昔ならまだ通用したのですが、これだけ二極化が進んでいる現状では、いったいだれが得をする授業なのか、おそらく全員が損をする授業(先生にとっても)になっています。学校の授業の位置づけが「つまらないことであっても、黙って耐えて聞き続けること」という忍耐力を養う目的であるならばいいのですが、そうではなく「学力」を目的としているのであれば、今の学校の授業は完全に時代遅れになっています。学力の高い子どもは、学校の授業に期待などしていなく、塾の授業に頼りきっています。学力の低い生徒は、わからないものを、ただ聞くだけという拷問のような授業を受け続けています。

学ぶ機会を平等に与えることが目的ならば、今の制度ではそれを与えることができていません。なぜなら、「学ぶこと」ができていないからです。ただ授業を受けているだけなのです。

クラス分けもせずに、問題集も全員同じものをさせるのが平等だと考えているのなら、そんな平等はなくせばいいと思います。

どうしてクラス分けや問題集に差をつけることがいけないことなのでしょう? いじめにつながる? 自己肯定感を持てない子どもが増える? いえ、そんな価値観を植え付けているのは、私たち大人ではないでしょうか。テストで良い点数をとること、偏差値の高い高校や大学に合格すること、それがすべてのような感覚で、子どもと接していないでしょうか。子どもに勉強させるためであっても、そういう接し方をしてしまうと、子どもは影響されやすいので、学力の低い子を下に見てしまったり、自分が勉強できないことに必要以上に劣等感を抱いてしまうのです。今の学校教育では、いわゆるエリート、優秀な人材も育ちにくいはずです。それは国としては大きな損失です。また、勉強に劣等感を抱いてしまった子どもは自分の人生を明るく見れずに、消去法的な考え方の選択をするようにもなります。これも大きな損失です。

中学を卒業すると、すぐに不平等な社会になります。高校・大学は偏差値でランク分けされ、働き始めても給料も違えば、仕事の内容も異なり、平等とは無縁の世界になります。でも、それが自然なのではないでしょうか。高校や大学などの勉強に関しては、得意・不得意があります。勉強の適性が優れた子どもは、頑張ってその道を自信もって進んでいけばいいんです。そうではない子どもたちも、まったく自信を失うことなく、自分のしたいことや自分の力が生かせるものを選んでいけばいいのです。どっちが上や下なんてものはないのです。それぞれが異なった人間なのですから、できることや、やりたいこと、目指すもの、求めるもの、すべて違っていて当たり前なんです。それらをお互いが認め合う社会こそ、私たちが目指す社会だと思います。

ですから、形だけの、うわべだけの平等を学校教育に持ちこむのではなく、不平等であることをおそれずに伝えて、そのうえで多様な価値観を持てるように導いていくことこそが学校で行える真の教育ではないでしょうか。
この話については、もう少し書きたいこともありますが、長くなりましたので別の機会にしますね。

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便利になっても大切なものは変わらず

2017-09-02 11:37:57 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

以前、中学生と話をしていたときに、その子が「住所わからへんねん」と言ってきました。私は何のことかわからずに「どこの住所? 塾の住所か?」と尋ねたところ、「ううん、家の住所」と返ってきました。

「マジか!」と言う以外には言葉が出なかったほど驚きましたが、後日知り合いの塾の先生や学校の先生にその話をすると、「今は、住所くらい知らん子は、けこういるよ」と言ったっことにさらに衝撃を受けました。

確かに、スマホの普及により、年賀状などのはがきや手紙を書くことが一気に減り、自宅の住所を書く機会は失われていっています。LINEのIDは知っていても、住所は知らないという子どもが増えてきているのですね。

これが電話番号になると、さらに少なくなります。固定電話を使わない家庭も増えていますし、なにより携帯電話に登録してあるので、わざわざ覚えなくても電話はできますからね。

必要のないものは覚えなくて、これから必要なものだけ覚えていくというのは、ある意味合理的な考え方だとは思いますが、素直に「このままでいいだろう」と納得できない自分がいます。

それほど遠くない未来に、住所や電話番号、その他もろもろの情報を覚えなくてもいい時代がやってくるでしょう。だからといって、自分の住所を覚えなくていいというのは別の次元の話だと思います。不思議なのは住所があるというのを知った時に、「僕の住んでいる家の住所はなんなんだろう?」という疑問や関心をなぜ持たないのかというところです。どこか、いろんなものに対して無関心になってきている感じがします。家の住所、家族の名前、家族の誕生日や年齢(あっ、これは私もあやしいです(笑))など、ちゃんと知っている中学生はどれくらいいるでしょうか?

知り合いの塾の先生の生徒の中には、「そんなんは、テストに出ないから覚えなくてもええねん」と言う子もいたそうです。こうなると、もうむちゃくちゃですね。

自分についての情報はできるだけ知っておくべきです。自分が何者なのかをしっかりと理解することが生きていくなかで、いろんなことを判断するときに必要だからです。また、他人のことを知ることなしで、いい人間関係を築いていくことができません。毎日顔を合わせている家族であっても、お互いを知ろうとしなければ何を考えているのかわからなくなり、ときに関係はギクシャクします。それぞれが無関心になってしまうと、家族はバラバラになってしまいます。いつでも会える家族だから話をしなくてもいいのではなく、家族や親友など自分にとって大切な人だからこそ、もっとよく知ることが大事なんです。関心を持って、もっと知ろう、もっと知りたいと思うのは、その人を大切にすることなんです。自分のことももっと知ろうというのは、自分を大切にすることなんです。

ですから、「後醍醐天皇」を覚えるよりも「自分の家の住所」を覚えよう。
「酸化銀の化学式」を覚えるよりも「家族の誕生日」を覚えましょう。

テストに出るものなんて、それからでも十分間に合いますからね。

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