美しい大分

大分に暮らし,その美しさに気づかされ 癒される日常を、折々綴り,残してみたいと思っています。

蒲江 高平展望公園

2016年11月12日 | 美しい大分

蒲江を訪れるにあたって、私のもう一つの楽しみが、高平山周辺に自生する野路菊でした。
マリンカルチャーセンターを後にして
高平山に登ります。頂上付近の展望台まで道は続き、勿論車でOK。





自分が、海辺の近くで大きくなったので、子供の頃から、よく野路菊を見ていました。
黄色い花芯に白い花びら、その香りはずっと心に残っていました。
今年は、高平山の野路菊はまだ、一分咲き。
でも見ることができました。

野路菊ロードを歩いている時
あろうことか、アサギマダラに会いました。大分県内では、県北の姫島にアサギマダラが多く集まるのは知られていますが、まさか蒲江で出会うとは!!
(一緒に出かけた友人と大感激。)
フジバカマではなく、ツワブキの花に寄っていました。

ひらひらと、ゆっくり飛んでいるので、写真は思い通りか と思いきや、とうとううまく撮れませんでした。
アサギマダラは、4兎から5兎飛んでいました。この海辺の岬に立ち寄ったのですねぇ。


高平展望台からの眺めです。




高平山から再び海辺に下りて来ると、やや傾いた秋の陽が、水面にキラキラ光っています。、、、こんな光景も昔よく目にしました。


ハマゴウの実が
立派に実っていました。

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県南 蒲江

2016年11月11日 | 美しい大分
「東九州伊勢海老街道 」と銘打って
東九州自動車道の中継点、佐伯から延岡にかけて、生きの良い伊勢海老を食べられる店が展開させています。
中でもおそらくメインと言えるのではないか、大分 .宮崎の県境に位置する海辺の町蒲江にでかけました。
大分市内から蒲江までは東九州自動車道の開通で一時間半程で行けるようになりました。


そして、いただいて来ました。

伊勢海老のお造りです。月並みな言葉ですが、新鮮な伊勢海老は甘く、ぷりぷりとした歯ごたえで美味しかったです。
海老の頭は味噌仕立てのお汁にしていただくのですが、お湯の中で動いていました。


大分県の最も南の町、蒲江の海は美しく、自然のままの海岸線ものこっています。
波打ち際に白いマ-ブル模様。不思議に思い近付いてみると、貝殻や珊瑚等が砂粒状になり波に漂い、砂浜に残されていました。


春先、漁師の網にかかったマンボーを、
プールに放して観光客にお見せしているマリンカルチャーセンターが、向こうの岸に大屋根を広げています。


釣り人の撒き餌に、沢山の魚が群れています。
海辺の防波堤から海をのぞいて見ると、ブルーの色鮮やかな魚がいます。珊瑚もみられました。





蘇鉄が大きな花(雌花のようです)をつけて、田中一村の画を連想します。
南国蒲江です。

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長崎   大浦天主堂 . グラバー邸

2016年11月06日 | 日記
目にすることの多い 大浦天主堂(国宝)のこのアングルの写真ですが、
以前訪れたのは何十年前だったか?
今回初めて、美しいなぁと感じた気がします。(私も大人になりました、、。)



壁の漆喰(の様に見えました)も古く黒ずんでいたけれど、階段下から見上げる窓のあり様など心が惹きつけられます。

天主堂の中は撮影禁止でしたが、
晩秋の昼下がり、ステンドグラスを通して差し込むモザイク模様の光は、くっきりと美しかったです。



大浦天主堂のすぐそばにはグラバー邸(重要文化財.旧グラバー住宅)です。こちらも鎖国時代の西洋家具、調度品が置かれてあました。





ドアに取り付けられたガラスは細密な植物の模様が入っています。すりガラスとは言わないのでしょうかね。
ガラスで出来た箱はアールヌーヴォーを思わせます。でもちょっと時代が違いますか!!



気になったのは、こちらの衝立。
おそらく竹で、複雑に編み込まれています。(私にわかるのはあじろ編みのところだけ)
表だけでなく、裏側も又 竹の編み込みでした。大変に手の込んだ今ではなかなか作れない物のように思えましたが、
外の光が当たるにまかせ劣化が進んでいる様で残念でした。
(私の勝手な思い込みかもしれませんが。)



グラバー邸から長崎港が良い眺めでした。



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長崎港  「 観光丸」

2016年11月05日 | 日記
帆船に乗せてもらえる。
胸踊る、長崎港内クルーズ。



「観光丸」、もともとは1855年オランダより江戸幕府に贈られた軍艦で、勝海舟や龍馬も夢を託した船だとか。
乗船したのは、当時の設計図を基に1987年にオランダで復元した船だそう。



稲佐山を後ろに、産業革命遺産となった
ジャイアント.カンチレバークレーン(左手緑色)が雄々しく立っている。今も現役。



イタリアからの大型客船…とても大きい…が横付けしさすが天然の良港とうたわれた長崎港だ。





三菱造船所の巨大な建造物群を過ぎ
船は女神大橋をくぐり、やがてUターンし砲台跡などを観ながら戻った。

帆船は、帆は広げなかった…
久しぶりの海でした。

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長崎 「出島」

2016年11月04日 | 日記
長崎観光のバスツアーに行って来た。
朝7時20分集合、私の平素の生活からすると随分早い。

大分道、九州道、長崎道を通って
長崎、出島までバスを走らせる。

ガイドさんの案内は、「出島到着」....。海に浮かぶ扇の形の出島らしきものは無いのに、、、



出島のまわりが、現在は埋め立てられている …と昔、聞いたことがあったかも知れないが、
やはり 出島 と言えば海上に浮かぶ扇形の島しか頭にない私だった。

納得できないながらも、島内見学。
当時の歴代カピタン(商館長)らが暮らした屋敷等が復元されている。しかし、柵の先は、コンクリートの道路にビル群。
それでも現地のボランティアの方々の解説は面白く興味深かった。



カピタンの屋敷は豪華で、部屋に壁紙を貼る習慣がなかった当時、壁や天井には美しい唐紙が貼られていた。



家具、調度品、照明のランプ等 エキゾチックな雰囲気を満喫させてもらった。



出島は、商人達の私有地だった為、鎖国政策が終わるとバラバラと売却されました。
一般の住居等が次々建てられ、又埋め立てられて、周囲の地域と同化してしまったようです。
近年、地道な発掘調査が行われ地続きになった出島の範囲を明らかにし、一部の建物の復元ということになったそうです。

なかなか大変だったんですね。、、、現在の出島の姿、納得しました。
将来、出島の先を掘り割り、水を通す計画もあるそう。



15分の1 出島縮小模型(島内展示)





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