Velo-city

"It never gets easier, you just go faster."

2021 北海道の夏休み 旭川~宗谷岬 親子サイクリング:Day 3 豊富~宗谷岬 82 km

2021年08月05日 | 北海道
三日目 いよいよ最北端に到達する日です
お昼ごろには着くので、一日ゆっくりできそう。一日前倒しで行動できたので、翌日丸々一日移動日に当てられそうです。


朝霞の中、行動開始。前夜降った雨で牧草の香りが湿原いっぱいを埋め尽くす

宿から2㎞でオロロンライン

朝5時半にしてこの明るさ
緯度が10度本土と違うだけあるね。

そういえば、北海道では少し体が重くなった気がしていました。
それもそのはず、東京と札幌では緯度が8度程度異なり、そのため地球の自転の影響を受け、重力加速度も異なります。
正確には、札幌の重力加速度が9.805(m/s2)に対し、東京が9.798
九州と北海道では1/800程度の差があるそうです。つまり、横浜にいたときよりも20g~40gグラム重くなっているかもしれません。(ただの食べ過ぎ)

というわけで、ヒルクライマーを目指すなら沖縄に引っ越したほうがいいかもしれません👻


稚咲内から夕来(ゆっくる)区間のオロロンラインの地の果て感は圧倒的でした


永遠に続いてほしかった、この道は
(補給さえあれば)永遠に走っていたい道



本当に何もない
路面状態がよく、タイヤがアスファルトを噛む音しかきこえない


やっと稚内市内にはいった

夕来(ゆっくる)を過ぎ、抜海へ

奇岩、抜海岩


抜海は南極物語のロケ地でもあります。これはタローかなジローかな。

南極物語の検索したら、思わずダイジェストみちゃったよ。
懐かしい。人生初の映画です。二本立ての片方はガンジーだったと記憶。しらんけど。


おっと話が逸れた。抜海の先、ノシャップ岬と稚内への分岐があります。13年前はノシャップ岬へ行きましたが、今日は峠を登って稚内へ直接行くことにしました。体力温存のため。

久しぶりの坂道で喜ぶチビ太師匠

稚内駅について、早速明日のダイヤを確認。
だめだこりゃ

宿を確保し、荷物を預けてから朝ごはん


朝定食をしっかり掻き込んで、最後の30㎞に挑戦です。
駅前のひとしの店 なんと朝6時半からの営業。


当然思い出し笑いが始まりました。時刻は8時半でした。


稚内から宗谷岬まで、この日よい追い風が吹いてしました。
40㎞巡航は当たり前、20㎞区間のアベレージは32㎞という、300㎞以上走ってきたとは思えない高速巡航


ずっと海沿いも芸がないので、宗谷丘陵ヒルクライムをして宗谷岬を目指しますよ。宗谷丘陵は、日本最北端にある2万年前の氷河期に形成された丘陵地帯で、丘の襞が幾重にもつらなる牧歌的な地形。

チビ太師匠、この景色が北海道で一番印象に残ったそうです。

氷河地形を360度一望できるところはそうそうない。

自衛隊レーダーかな
丸山レーダーサイトというらしいです。

観光客誘致のために、ここでレースをやればいいのではないでしょうか。


旧海軍の観測所跡
この下に15cm榴弾砲を四門配し、宗谷海峡を睨んでいたらしい。
戦時遺構については、下記のホームページに詳しい。
もっと探検しておくべきだった…

来ることのなかったソ連軍の上陸部隊を今も警戒しているよう。


1000kmってどれくらいか、
300kmってどれくらいか、
息子の体の感覚で覚えさせられた気がする。
距離を体感するって大切w




そしてとうとう、眼下に宗谷岬をとらえました!

最後の最後で、青空に恵まれましたよ!


よっ!日本最北端のちびっ子!👏👏👏

40km沖合のサハリンですが、かすんでいてよく見えませんでした。

ここまで背中を強烈に押してくれた追い風は、この後強敵になるのがわかっていたので、帰りの20㎞向かい風を嫌って輪行袋を宗谷岬に持参していました。

旅終わり
食欲は稚内の街を
駆け巡る

ご褒美🍜
鶏+利尻昆布+帆立貝でとった出汁が染み渡りました。




稚内はロシアの玄関口でもありますので、町にロシア語が溢れています。
カフェ 北門館 


お昼寝後、サンダルペタペタ(輪行袋から🚴ばらすのかったるいし)1km歩いて稚内市場にやってきました。Baruさん紹介のうろこ亭です。
事前のリサーチはばっちり!


師匠がセレクトしたのは稚内地元グルメ、🐙たこしゃぶ定食

あぁ・・・

うろこ市丼 
丼に乗っかている刺身の大半を奪われましたw


300km超えて走ってきているので、大人の大盛でも足りません(笑)


波止場の潮騒が俺の頬をなでる・・・惚れるなよ・・・フッ

何もやることのない旅の一日の夕暮れ
最高ですね


宿泊はゲストハウス モシリパ
端っこの土地、という意味だったかな
二段ベッドで快適に過ごさせていただきました。
館内にはたくさん漫画がおいてあって、山小屋的雰囲気
玄関に止められた各県ナンバーのオートバイ見るのも楽しい

さて、🚴は袋に詰めて、明日はおかーさんが横浜から🛫飛んできて合流します。朝5時20分の始発しかないんで、はよ寝ましょう。

速い🚴


出発した旭川は関東と変わらぬ猛暑でしたが、さすがに稚内まで来ると過ごしやすい気温でした。
なんと、この一週間後、夏としては観測史上最低の気温3度を記録したそうです。


2021 北海道の夏休み 旭川~宗谷岬 親子サイクリング:Day 2 留萌~豊富 164 km

2021年08月04日 | 北海道
今日はすべてのライダー、チャリダー憧れの道
日本海オロロンラインの地平線まで続く道を北上する日

朝は4時半出発
早起きして昼過ぎには目的地に到着、ゆっくりしたい。
(実際宿のチェックインは3時からでしたけど)

とうとう案内標識に稚内の地名が出た。

天気予報は曇り予想
気温もあがらず、長距離ライド的には絶好のコンディション

今日の行程は
留萌~小平~鬼鹿~苫前~羽幌~初山別~遠別~天塩~豊富

オロロンラインを通ると必ずよるであろう道の駅
おびら鰊番屋は朝早すぎて営業外

今日は海からの真横風からスタートです。北上するにつれ、微追い風になるのがいい感じ。

明治の昔は海が真っ白になるくらいのニシンの群れがこの海岸を埋め尽くし、鰊長者なるものを多くだしたそうですが、今は昔。今の漁獲量は当時の約百分の一だそうです。


当時のニシン漁の風景
すごい漁獲量だ!地面を埋め尽くすニシン

オロロンラインは町の間隔が遠いので、補給のタイミングとコンビニ有り無しの予習が重要です。


今日の行程
一店舗/町にはあるので助かる

苫前に着きました。
この町は知る人ぞ知る、三毛別羆事件が遠き昔に発生した場所。ここからは往復40km足を延ばすと発生現場に行けます。


チビ太、原作を漫画で読んでいるので、
『絶対に行くなよ~絶対だぞ~』と警戒されていました。

この漫画、まっことトラウマになりますぜ…


 (llllll゚Д゚)ヒィィィィ
郷土資料館の前を通るだけで、看板に震え上がりました。
夜真っ暗な道にこれが浮かび上がったら事故るな
(街道から引っ込んだ道にあります)

人食い熊はあまりにも町おこしのイメージにはよろしくないので、
こんなゆるい苫前町のゆるキャラがあります。
失礼を承知で言いますと、
安易に名物ぶち込みすぎで、なんの捻りもありませんよ
デザイナーにいくら払ったんですか?というレベル。

とりあえず🐻さんキャラでかわいく全体像をつくり、名産の海産物、果物、風車産業を帽子のつばにのっけ盛しただけ。

・・・・オヤジ『夏休みの自由研究、ゆるキャラつくりにしてみたら?』
チビ太『作り方は把握した!』
という会話があったとかなかったとか。

備考: ゆるキャラのコストは、まずデザインを外注した場合の委託費。 プロのデザイナーなどに頼む場合、安いと3万円、高いと数百万円かかる場合もあるという。 だが、それ以上に大きな出費が、着ぐるみである。 
出典:『ゆるキャラ論』(ボイジャー刊)著者:犬山秋彦

・・・着ぐるみは剥製にすればいいんじゃね?


苫前町役場のセコマで100円パスタ休憩
セコマのおかげでエネルギーは常に満タンでライドできました。


苫前~羽幌~初山別間はかつて日本海側を走りし羽幌線の遺構が散見できるところ。

在りし日の羽幌線





オロロンラインというのは、対岸にある天売島に生息する海ガラス、オロロン鳥に由来するといいます。


羽幌から北、初山別までは適度のアップダウンが続きます。
足を使い切る前に登りが来る、下りの勢いで登れる丘がほとんど。
チビ太が好きな地形。

(これは写真がないので13年前のLemond号)
天文台で有名な初山別道の駅を通過、その次の遠別の先に、知る人ぞしる道があります。

それは開拓農道町道浜更岸線

オロロンラインのさらに海沿いをゆく、農道です。
地上構造物が消え、地平線とまっすぐな道しかありません。

何もない感でいうと浜頓別近くのエサヌカ線と双璧をなします。

まさに、記念写真をとりなさい、という道

バイクがめっちゃ映える!(めだたんボー使用)

バイクちっちゃ!

さて、広域農道を数キロ北上してからオロロンライン本線に合流してしばし行くと、天塩の町です。ここから今日の宿まで約30km。

天塩はシジミが名物だそうです。

昼ごはん
チビ太はニシンそばにしました

とうちゃんはヒラメの昆布〆丼定食

100km走っているから、何食べても最高の御馳走だよね

さて、コロナ禍での宿泊ということもあり、宗谷地方では外部からの流入者を大変心配しています。今日のお宿も、①素泊まりのみ②料理は持ち込みのみです。つまり、宿の近くで食材を買い込んでから投宿しなければいけません。しかし、荷物を入れるスペースはあまりなく、かつ宿から最寄りのコンビニは内陸の豊富駅近く、片道10㎞にあるそうです。

ここにきて絶景で名を轟かす海側ルートを外すわけにはいきませんから、この後20㎞お代わりすることにしました。

天塩川をこえると、前方にひときわ大きい風車の列が見えてきます。オトンルイ発電所です。

それにしても、この地域は風車が増えた。
前に来た13年前の何倍増えているだろう。
調べてみると、稚内地方の再生エネルギー利用率、90%超えているそうです。
K田さん知ってたかな?



そして、温泉とサロベツ湿原の町、豊富に到着!
豊富の温泉は石油くさくてかなり湯治に効くらしいですよ。

オトンルイ発電所から北、豊富に入ると道は一層最果て感を増します。
地平線、空、そして左手の日本海、利尻富士
それ以外はなにも見えません。

稚咲内で内陸におれ、数キロで今日の宿につきます。

あしたの城
12年ぶりにお世話になります。この日は二組でした。

サロベツ湿原ど真ん中の宿
まさに大草原の中の一軒家です


コロナ禍とあり、自炊でしたけど普段であればみんなで名物牛乳🐄鍋をつついたり、オーナーの楽しい話を聞いて夜更けまで客同士で語り合うような、素敵な宿です。

夜オーナーと話していて、最近プロアドベンチャーレーサー田中陽希 がひょっこり現れて泊まったそうです。オーナーは田中さんご存じなく、後で指摘されて知ったとか。近くの港、稚咲内からカヌーで利尻島へ渡ろうと言われたので、何も知らず全力で止めに入ったとか(笑)

約一週間違いでした。
それにしてもカヌーとはさすがです。島までの距離は20㎞。
番組放映が楽しみです。

結局今回の旅行で、利尻富士の山頂を拝むことはかないませんでした。




この後、一度休憩して豊富の町に行き、買い出しをした関係でプラス20km追加。おかげ様でサロベツ湿原のど真ん中を走ることができました。




この日は晩御飯を二回食べて、ゆっくりして明日に備えました。
広い部屋で自分の布団で寝てすっかり疲労回復しますぜ。

ちなみにチビ太師匠この旅行でザバスプロテイン信者になりました💪

ビッグライドするとなぜか食べたくなるカップ焼きそば

湿原の生命力がすさまじく、虫がおおかった。ちょっとでも油断すると大量の虫が部屋に入ってくるので要注意。そして、夕方通り雨が降ってから、宿の周りがとてつもなく臭い!なんだこのにおいは?

・・・あたり一帯が圧倒的な牧草地帯でした。つまり、発酵が進んだ牧草のちょっと酢の成分がはいった鼻につく匂いですね。なれてしまうと北海道の大地の匂いとして気にならなくなります。

2021 北海道の夏休み 旭川~宗谷岬 親子サイクリング:Day 1 旭川~留萌 78 km

2021年08月03日 | 北海道
旭川空港到着が13時過ぎ、それから旭川駅へ
3日後から使用し始めるレンタカー屋さんにお願いして、シーコン二個預けさせていただきました。ありがとうニッポンレンタカー。

準備はそれなりに時間のかかるもの。旭川駅出発が15時になりました。今日はここから78km先の留萌を目指します。信号も少ないし、平均速度25kmで淡々といけば7時前には着きますかね。

それにしても、北の大地は盛夏とあって本土なみに暑い。路面温度は38℃を記録していました。もちろん、背中に氷を入れる氷嚢は持ってきています。二人でボトル4本、氷水にしてスタート。

旭川駅、ずいぶん近代的になりましたね。
三日後この駅に豪華一両編成で名寄から帰ってくるのですが(笑)
この後どのくらいの大冒険になるのか、皆目見当がつかない(いつものことです)チビ太師匠、不安いっぱいで「つきあってやるか」的にスタートです。

旭川をスタートし、忠別川をこえる氷点橋からサイクリングロードに入ろうとすると、この看板!🐻🐻🐻


本州のかわいいツキノワグマ🐻と違いヒグマですから遭遇したら一たまりもありません。まさに試される大地…

旭川から次の街、滝川までは国道12号
酷暑に加えて交通量多く、車が高速でぶっぱなしているのでさながら子熊を守る親🐻熊さながらに注意して走りました。まだ体力もあるので心配はいりません。チビ太も初めての北海道、広くて走りやすくて早くも気に入っています。

さっそく北海道初のセイコーマート(秩父別店)!
これから何回お世話になるのでしょうか。
横浜に戻ってきてからもセコマが恋しくなります。


定番はホットキッチン(あれば)の手作り🍙(ベーコンおかか)、100円パスタ、ソフトカツゲンです。
あれさえあれば他いらない

この日は80kmずっと向かい風🌬
ソロではないので、先頭を牽いて風除けをするのが人の役に立っているのがとてもよい。

路肩も舗装の悪いところほとんどなく、旅全般を通して路面の亀裂でひやりとすることはありませんでした(道東とか以前はひどかった)

ずっとまっすぐですぐに暇になります。

何もないまっすぐな道を走り続ける
暇つぶし能力が問われますが、親子のバカ話でアッという間に時間は経つ。


二日目は160kmを予定しているので、極力脚力セーブを言い聞かせました。
とくに消耗せず到着できたみたいです(暑さ以外は)

滝川を超え、石狩川を超えると北竜に入ります。
ここはヒマワリ🌻の町。

美葉牛の峠の手前の街角で、自動販売機で水を買って、道路わきにべたーっと二人で座り込む。これが正しい夏の過ごし方。

ちなみに北海道を走るとよく遭遇する名前がある
~別 別はアイヌ語のペッで「川」これはわかりやすい
~牛 牛はウシ、「~の群処することろ」
~内 内は内、これも「川」

美葉牛は「カラス貝・多くある・所 」

この後美葉牛峠を越えますが、あまりにもチョロい峠でしたので、峠失格判定を師匠にいただきました。

写真撮り忘れたので、13年前のLemond号の姿を

この後、日も陰ってきて夕暮れは熊🐻が活動を始める時間帯
草むらに神経を払いながら、先を急ぎました。



廃止の話が絶えない、留萌本線
旭川からこれで輪行する選択肢もありましたが、
本数が少なく自転車のほうが速かった

結局留萌の町には6時半頃には着いていました。

向かい風+猛暑にしては上出来

ホテルは「ホワイトハウス」に投宿
フロントに魚介の美味しい😋お店を紹介いただき、地元民に愛される居酒屋「将軍」を知りました。

レビューの評価も高い!
というかレビューの評価って語彙力崩壊

はたして、最高の居酒屋でした。なにより、この夜からチビ太北海道海の幸味覚覚醒物語が始まったのですから(笑)

まずは、生ジョッキと🍎ジュースで乾杯(このころ近所のホテルで洗濯してました)

留萌に来たらこれでしょ!鰊の🍣
生はアニサキスが怖いですし、足が速いのでなかなか🍣ネタとしても鰊には巡り合えません。今まで酢飯が苦手で食わず嫌いだったチビ太師匠、この一カンを境に寿司大好き少年に変貌してしまいました。我が家の家計が…
鰊の🍣はすこし水っぽいです。でも美味しかった~っ。

刺身盛り合わせ。日本海沿いの漁港なので、今更何を説明すればよいのか、という鮮度。

蟹🦀雑炊

🐡フグ唐揚げ

身欠き鰊
細かい骨など気にせずバリバリくいます🐻

チビ太の大、大好物シシャモ
数日後頭を落としたシシャモを出されてチビ太激オコぷんぷん丸でした。

ザンギに絶えないうまさ

これだけ頼んで二人で6400円でしたよ!
奥様

たまるか!ここから松尾ジンギスカンを除き、すべての食事は海の幸中心となりました。そして、その地でしか食べられない新鮮なもの中心でね。

たくさん食べてお風呂に入り、明日も払暁と同時に出発なので今夜は早くねましょう。

結論
北海道はおいしい😋
😋おいしいので走らざるを得ない。




2021 北海道の夏休み 旭川~宗谷岬 親子サイクリング:準備編

2021年08月03日 | 北海道
10歳の夏休みは二度と来ない!というのは言い訳がましいですが
しっかり対策して(抗原検査陰性証明、二重マスク、なるべく単独行動、🐻鈴など)最北端に誘われて道北を走ってきました。8月3日のことです。

チケットなど数か月前に予約して準備万端でしたが、直前で風雲急を告げる感染状況の悪化。行くか、留まるべきか、いろいろ悩みました…

行くと決めた後も、直前で天候が二転三転、道北か道東かも飛行機が飛び立つ当日の朝まで決まらず。

ルートは結局当日の朝3時に道北の天気予報に軍配があがったので、急遽ルートを引き直し(本当は知床行く予定でした)、



ポイントは
① 10歳に無理のないよう、一日平均100km位で。
② キャンプや雑魚寝せず、ちゃんと布団で寝る。
③ 金曜日の昼の✈で現地入りするママより早く旭川現地入りする(戻る)
④ 大冒険にする
でした。

北海道、特にオロロンラインルートを取った場合、とれる宿が限られてきます。今回は特に出発が昼の三時を過ぎそうなので一日目の移動計画も現実的にならざるを得ません。

ルートは13年前の記憶を使いつつ、ほかに準備したのは

抗原定量検査による陰性証明
気休めにしかなりませんが、これがあるだけで精神的にだいぶ違いました。
北海道沖縄に渡航する乗客に、政府が無料で検査を進めています。
なかなか認知されていないみたいですけど。
飛行機搭乗の3時間前に羽田空港に行き、受診しました。

これは帰路での写真ですが、再塗装したばかりのLemond号傷つけたくなかったので、今回は安全策でお友達のシーコンを二個借りました。ちなみに国内線であれば、普通の輪行袋で大丈夫ですよ。でも、シーコンは出し入れと持ち運び超楽ですね!

そして圧倒的安心感とサイズ😂 

フェリーや電車も憧れますが、いつものように奥様マイル修行による特典で行ってまいります。

今回新しい装備は投入しませんでした(寝袋かつがないし)
直前に軽量化のためにチビ太バイクのフロントをエルゴパワー化したくらい。
あとは北海道の悪路に備えて、

Veloflex Master 23Cから

Panaracer Race D EVO 25Cにしました

基本サイクルジャージ+ビンディングが一セット、普段着とサンダルが一セット、その日の宿で洗濯して過ごすミニマリストライトパッキングで行きました。それでもオヤジの荷物は結構重かったですが、親子のペースを平準化するという意味ではよかったかな。

この度の旅行でよかったのは一つ
被写体がいることです
風景と自転車だけの写真や動画より、
人が写っていると旅の記録の印象がだいぶ変わります。

失敗談:
ロングライドの必須装備!といえば股ズレ防止のワセリン

出発前
オヤジ『お~い、ワセリンどこいった~?』
嫁さん『化粧品棚にあるよ~』
オヤジ『あ~これかこれか。借りてくよ~』
↑オヤジが持って行ったもの(奥様の大切な美容液)
↑股ズレ対策に必要なワセリン

・・・この後三日間、奥様は美容液の代わりにワセリンを顔に塗ることになるのでしょうか😅😅 😅 😅 😅 

私は美容液を宗谷岬に届けるというニューミッションを得ました。

北の夏休み August 1

2009年08月07日 | 北海道
片雲の雲に誘われて、蝦夷の地にいってきました。今年は、随行員としてNya☆Yomeも帯同、そして蝦夷地視察のみならず陸奥の国津軽の国へも足をのばしました。
記録より記憶に刻まれた色濃い7日間の足取りをここに記します。

札幌~滝川~北竜~幌加内~三毛別~苫前~豊富


金曜日の深夜、札幌入り。翌日からレンタカーの旅の開始。


太陽に愛された町、北竜ではひまわり祭りの真っ最中




ひまわり畑の真ん中で、吹っ飛ばされる


留萌には出ず、あえて空知街道で幌加内へ向かいます。


幌加内は、蕎麦の生産量たぶん日本一


霧立国道。交通量ガソリンスタンド皆無のこの山道で、一人の勇猛果敢なチャリダーを発見。絶対に励まします!
助手席の嫁、チャリダーのオサーンに冷えたエビアンのペットボトルを渡します。喜んでくれたかな♪


苫前にきました。こんな愛らしくしちゃってますが、熊に刻まれた村でもあります。

お暇でしたらリンク先を読んで下さい。
三毛別熊事件
日本最大の野生動物事件ー三毛別羆事件


いよいよ左折。現場に向かう行き止まりの通称ベア・ロードを進みます。


ここは射止橋。熊に最初の銃弾を浴びせた場所です。


出るぞ…出るぞ…
出るぞ…

もう舗装路は終わり、砂利ダートをさらに奥に進むと、猛烈にはえやら虫が増えてきます。ものすごい森の生命力を感じる場所です。

出るぞ…






で、でたぁ―― (・∀・)


ハリボテ熊


本の現場を訪ねる旅①「熊嵐」吉村 昭 著


森の奥深く、山の中の中。本当に出そうでした。


ちょっと緊張感をほぐすため、ピカチュウを飾って逃げました。


留萌のバスは、留「萌」だけあって、萌えっ子バスなんだそうです。(・∀・)
どうです?増毛~豊富 ふさふさ街道 萌えっ子フリー切符
萌えっ子フリー切符・・・
どうなんですかっ!これ!
誰か知識人の意見を聞かせてください!!!
なんでふさふさ街道なんですか!?


Velo-city初の、萌えイラスト。
…許す

話がそれてしまった。熊の話に戻す。

羽幌の博物館に、詳しい資料が置いてあった。


こんな感じで、夕餉どきに壁を突き破っておなかをすかせた熊さんが、
ムホッホー
とやってきておじさんの頭をかじっちゃう。


体重500kgの大物、北海太郎という名の熊です。
さすが太郎ちゃん


事件を生々しく伝える当時の新聞


熊をしとめたマタギ


秘密の農道にて。遠別~天塩間。




札幌から300キロ近く、今日の目的地豊富(とよとみ)に到着。


利尻に沈む夕陽を見ながら、一日は暮れていく・・・・

宿では牛乳鍋。他のお客さんと同じ鍋をつつく。この家族的な雰囲気がとほ宿の良いところ。僕たちのテーブルには名古屋からきた父娘が一緒になりました。娘と一か月以上一緒に北海道旅行なんて、幸せ者だね、お父さん。

北の夏休み August 3

2009年08月07日 | 北海道
白金温泉~旭川(Nya☆Yome離脱)~上川~層雲峡~石北峠~留辺蘂~北見~美幌


美瑛の丘よ、さらば。
ケンとメリーの木
ポプラの木


旭川から上川まで、輪行ワープ
旭川出身で、友人の納骨式にやってきたおじさんと話しながら・・・


血液中の鉄分も急上昇♪


上川駅に到着。今回の旅はここから始まります。


北海道の峠は長く、そして緩い。果てしなく、たらたらと登りつづける。


層雲峡の奇岩名岩に挟まれて石北峠ヒルクライムの開始


ちょっと膝が痛くなってきたので、ストレッチも交えながら


トンネルを抜け、空を仰ぐと…
待望の二日ぶりの青空。大雪山にはまだ雪渓が残っています。


あともう少しで今日のピーク、石北峠


到着。頂上にはクマさんが待ち構えています。このキャラクターはかわいいですが・・・


ちびっこがこのブーフーウー三匹を見て泣いていました。


トラウマになりそうな、この笑顔!


ここから北見市。ごらんのとおり玉ねぎとラガーマンがここのシンボル。なのですが、この後通った沿線いっぱいの玉ねぎ畑が冷害のため悲惨なことになっていました。実が小さすぎるのか、その場で土から引っこ抜いて「来年のための肥料」としてその場に打ち捨てられ、腐っていました。
今年の秋の野菜は高いですよ。覚悟しましょう。


高速ダウンヒルの開始


トラクターの巡航は30km位。抜かざるを得ません。でも基本は27km上ハンドル巡航です。


留辺蘂町おんねゆ温泉あたりの農道を走っていると、「中央道路開削犠牲者慰霊碑」の看板が見えます。裏の碑文にはこの国道に関する悲劇が刻まれています。

明治の世に網走~旭川を結ぶ道路の開削に従事したのは網走刑務所の囚人千余人。厳寒と過酷な労働条件により、二百人を越える囚人が路傍に倒れ、墓標も立てられず埋葬された。平成4年、この付近の畑から白骨遺体と足枷手枷がともに出土した…

車だったら絶対に時速100kmで通過ですよ。

ここまで順調に進んできましたが、だんだん膝が痛くなってきました。北見の街で自転車屋さんにおいしいお店を聞き込みました。


勧められたのは、回転すしトリトン


根室の新秋刀魚


佐呂間のホタテ


子タコの軍艦。目をつぶって食べると、確かにウニの味わいがする…


稚貝(ほたて)の味噌汁


ビールを飲んでしまったのでもう漕げません。
30分ほど輪行ワープをして隣町の美幌へ。今日の宿泊はとてもレトロな雰囲気の
美幌後楽園、でした。

膝周りを入念にストレッチして就寝します。早めに寝なきゃ、と努力しましたが、SRAM DANK全31巻が本棚に転がっていました。結局全巻読破。

北の夏休み August 4

2009年08月07日 | 北海道
美幌~美幌峠~屈斜路湖~弟子屈~摩周(鉄道)~釧路~帯広(バス)~札幌


朝もはよから健康ランドを後にし、美幌峠に向かいます。が、一面灰色の雲。


登っても登っても霧は晴れず、前日いためた膝がまたも痛み始めます。走りはじめて30kmもないのに…


到着♪


絶景との誉れ高い美幌峠ですが、タイミング悪く頂上は霧の世界。
痛む膝をほぐそうと、ストレッチして起き上がったら、痛くてびっこ引いてしまいました。


この膝では前途不安、開陽台方面への進軍は諦め、早めの移動に切り替えます。


弟子屈の街にて。このコピーを考えたひと、いいセンスだ!
『君は、このまっすぐな田舎道に耐えられるか』
はい、好きで耐えにきました。


その前に、巨大豚丼で補給補給(^^)
ぽっぽ亭の豚丼です。
アァー!ジンギスカン食べてないや。


ご飯のボリュームが半端ない。しかも肉も特盛り。たっぷり補給しておいて、これからの自転車走行距離予定=ゼロ


社会党は不滅です?!


送迎がやってきました。


釧網本線、鉄ちゃんの憧れ。なんという風情。これは乗るものではなく、撮るものですね。


釧路から帯広までは鈍行列車で移動。ガラガラなので、やりたい放題。
車窓の流れもすばらしいんですけんど、眠い眠い。Zzzzz


帯広からは高速バス、ポテトライナーにて札幌へ。そしてすすきのネオン街に消えていった・・・


宿泊はネットカフェ。わびしい気もしますが、ネットの情報力はこれからの旅ルート設定に絶大な助けとなるのだ~!安いしね。一晩1200円。

北の夏休み August 5

2009年08月07日 | 北海道
札幌(バス)~函館(フェリー)~大間~大畑~恐山~大湊


朝のすすきのでぱっぱと自転車を袋詰めし、えっちらかついでバスターミナルへ。


高速バス、低料金であっというまに函館につきます。青春18切符よりお勧めかも。
有珠山は霧の中。バスの中では新田次郎「剣岳 点の記」をずっと読んでいました。


札幌からバスにのってお昼に函館に到着。そのまま津軽海峡を渡り、大間に向かいます。大間の婦人はフェリーにのって函館の美容室に行くらしいです。


津軽海峡夏景色ィィィ♪

注:ここから下北半島に入るため、現地語南部弁で記述しています。こちらの方言変換サイトを参考にしますた。


大間につきますた。とってもI★NA☆KAです。
前方で大規模な工事をしているのが見えますが、これは大間原子力発電所でしょうか。
実は、うちの義弟がここに勤めるかもしれないので、やさしい兄が、先発隊として偵察しに来たわけであります。やさしいですねはん。


いやーなにもない。ほんとに海しかない。
とりあえず恐山を目指しますが、だんだん夕方が迫ってきますた。


鉄道が走っていないはずなども、駅のばんげうなものが見えます。急ブレーキして偵察します。
階段を登って行く私を一匹の野猿が見ていますた。


白濁湯の足湯もあります。これはいい。下風呂温泉です。


なーるほど。なーるほど。
昔大間にはかなり大きめの海軍施設と海軍航空隊がありますた(と思います)。そこへの補給線を作っていたけど、戦争にばんげって物資が欠乏して中止してありゃーわけですねはん。なるほさかぶほど。

大間鉄道


廃線跡。工事は途中で終わり、物資は泰緬鉄道(あの、「戦場にかける橋」)に回されたらしいです。実際にカンチャナブリ・タマルカンの現地にいったので奇妙な縁を感じますた。


イカの街に到着^^
右折すると恐山ヒルクライムの始まりです。期待通り闇クライムになりそうです。


最初は渓流沿いを気持ちばんげく進みます。薬研(やげん)の温泉街をすぎると、交通量皆無のヒルクライムの開始。さすがに30分以上一台の車ともすれ違わないと、さすがに不安になります。


不安はつのるとぼけり。
しかし案外膝の調子はばんげく、ぐいぐいダンシングで15kg超のバイクを引っ張っていけます。おそらく夕暮れが近づいて焦っていたのでしょう。

どうやら登りきったばんげうで、下りが始まりますた。次第に硫黄の匂いが満ちてきて、近づいてきはだとを予感させます。そして、地獄谷のばんげうな風景が現出。コーナーを曲がると…


いきなり三途の川
卒塔婆がありますた。


時はすでに6時半。観光客は一人もいない。荒涼とすた雰囲気。





背筋ぞくぞく


恐山を降りはじめると、山はとっぷりと闇の帳を降ろします。タイミングばんげくライトの電池が切れ、本当に漆黒の闇クライムになりますた。


宿泊は大湊の隣、下北駅の近く。
ちょうど子供ねぷた祭りの真っ最中でした。


北の夏休み August 6

2009年08月07日 | 北海道
大湊~横浜。本当に横浜(電車)~野辺地~東青森~幸畑~田茂木野~小峠~大峠~賽の河原~馬立場~鳴沢~酸ヶ湯~青森~ねぶた


今日はまずわが故郷横浜に帰ります。


途中みかけた小学校にて。竹馬がいい味だしてます。




やっと横浜町に帰ってきました。


横浜水産


朝のラッシュがはじまる前の駅。


若者が多いので暴走行為が多発しています。残念なことです。


横浜町みなとみらい21地区を臨む。








開港記念花火大会って、もう終わってなかったっけ??


市役所です。いつもお世話になっています。


ターミナルビルです。西口CIAL側から


桜木町方面へシュッパーツ!

・・・以上。横浜点描記ですた。


実は陸奥横浜駅から輪行する際に、完全に汽車の時間を誤り、駅に着いたのは発車時刻の3分前。当然袋詰めは間に合いません。駅長さんに頼みこんで裸の自転車を入れさせていただきますた。こんなことできるのはローカル線ならでは。一番前の特等席で組み立てさせていただきます。

ですが・・・

あれ?エンド金具がない!
・・・駅に忘れちゃっったかも・・・
(次の汽車に乗せて届けてもらいますた。感謝感謝)


注:ここ野辺地が南部弁と津軽弁の境界線だ。つうわけでここから津軽弁で記述いたするはんで。現地の風情ばお楽しみしてけろじゃ(笑)


東青森につきたんずや。
小説の現場ば訪ねる旅。『八甲田山死の彷徨』新田次郎 著

幸畑の雪中行軍犠牲者の墓地だ。199人の英霊ここに眠るんずや。

まずは博物館で雪中行軍遭難事件のおさらいばするはんで。ここに来るまで小説などでかなり勉強してきたんずやが、資料ばまじえた展示でさらに思いば強くできたんずや。

八甲田雪中行軍遭難事件とは

八甲田山 雪中行軍遭難秘話(このサイトも、かなり参考になります)


明治時代の事件ば伝える錦絵


これば履いて氷点下20度の雪中ばあるけば、凍傷するのも不思議はねじゃ。この程度の装備で下士官たちは出発してあいったんわけだ。


壁いっぱい並ぶ199人の犠牲者の写真が心ば打ちんずや。ほとんどが岩手、宮城の農家の次男、三男の一平卒。彼らが真っさぎに、ばたばたと将棋の駒ば倒すように寒さに倒れていったといいだよ。


・・・


・・・




旅行前に林道太郎さんにかしていただいたフロントバッグだばって、これはほんまに便利。最初はフロントが重くなるのでダンシングがしにくく違和感がありまっけど、なれてしまえば大丈夫。荷物の取り出しもしやすく、地図も入れられるんずや。
何よりも食卓になるんずや。これは偉大♪


幸畑から田茂木野まではゆるやかな傾斜。ここから小峠~大峠も緩斜面が続くが、傾斜に行李隊の橇が遅れ始めたのもここ。

それにしても暑いんずや。気温35度、熱中行軍だ。苦しいが、第5連隊の苦しみば思いながらさぎに進む。
そろそろ後藤伍長の発見地点だ・・・


とうとう後藤伍長発見の地に到着。
賽の河原(三途の川、のこと)、最後のビバーク地点など小説にかかれた悲惨な遭難現場ば次々に通過するはんで。思いばはせながら登って行きんずや。


中の森で露営する雪中行軍隊(映画より)


いじど登り切ると、まっこ場立。ここに後藤伍長の像があるんずや。伍長は胸まで雪につかり、この銅像のように立ったまんま仮死状態で捜索隊に発見されたんずや(↓映画より)。後に凍傷にて四肢切断。


雪地蔵のように立ち、まなごだけぎょろぎょろしていたんだんず。

車だとゆっくり見れねので、苦しみながらの自転車がこのルートはベストだね・・・


これは銘文だべ。明治の元勲はみながこったら重厚な文ば書いたのか・・・
漢文の素養がなくなってあいったんこの100年ば感じんずやね。


熱中行軍。暑い暑い


温泉マニアの憧れ、酸ヶ湯にも行ったんずや。ここは最高!
何日たっても硫黄のかまりが体から抜けね。ここの千人風呂だばって、99%男湯状態。たまに勇気ある女子が入ってきまっけど、そうなると男子数百人の視線が民族移動するのがわかるんずや。


盛夏の八甲田山




この後は青森に下りてねぶた見物だ。
ちょうど今夜が一番盛り上がる夜だんずやようだ。


クルーズ船飛鳥IIも来ていだんだ。


ラッセラー  ラセラー♪


ラッセラー  ラセラー♪


ラッセラー  ラセラー♪


ラッセラー  ラセラー♪

おらも踊りの輪に加わりたくなったんずや!来年は参加まなご的で行ってみたいぞー!

北の夏休み August 7

2009年08月07日 | 北海道
本編は、北海道再突入まで津軽弁で記述されていだよ。変換は、このサイトで行いだんだ。


市内のネットカフェで夜ばあかし、払暁にしゅっぱーつ。青森駅ば越えんずや(青函連絡船の跡地だ)


こったら田舎道ばペソペソと漕ぐこと30kmで、蟹田の街に到着。途中コンビニは一軒もなし。地図もないので不安が募る募る(笑)


津軽海峡ば越えるには、ここから津軽海峡線に乗るんずや。この区間はJRでも普通列車が走っていね珍しい区間。区間限定で普通列車運賃で特急列車に乗ることができんずや。


このローカル車両は、津軽線だ。特急列車や貨物線でにぎわう本線に取り残されてしまい、一日5往復!になってあいったんんだそうだ。


JR東日本とJR北海道の境まなごであるため、運転手も入れ替えだ。


この特急車両に普通運賃で乗れんずや。お得だべ。


列車はかなりスピードば上げ(130kmくらい?)いくつものトンネルば越えいよいよ青函トンネルに突入。
この写真はその瞬間ばとらえたもの。かなり奇跡的写真・・・

ちなみにトンネルのそこにはのび太の深海海底城遺跡が広がっておるんずや。

***北海道再突入***

道産子弁の変換は、こちらでおこなたのさ。


木古内の駅に到着。ここで自転車をばらして再スタートすっしょ。


町の郊外のサラキ岬。この沖合に咸臨丸が座礁沈没したという・・・

咸臨丸とは


戊辰戦争で敗れて北海道移住を余儀なくされた仙台藩白石片倉小十郎家臣団401名を乗せた咸臨丸は、箱館を経由して小樽へ向かう途中の1871年(明治4 年)9月20日、木古内町サラキ岬沖で座礁した。泉沢の人々の救助によって乗船者は難を逃れたが、咸臨丸はその数日後に沈没した。

なお、白石家臣団のうち67人が明治4年11月、原始林が石狩川河畔まで続く最月寒の地(現在の白石中央付近)に開墾の鍬を入れそれが現在の札幌市白石区の礎となったそうだべさ。なるほど。


突き抜ける青空と追い風に背中を押されて、木古内~函館はご機嫌のルートであったべ。


海をまたがっているのはおそらくセメントの運搬に使うんだけどささパイプラインだな




函館にてムームータクシー発見!


五稜郭の上では戊辰戦争(函館戦争)の詳しい資料を研究。築城術もちょびっと学習できるべさ。歴女もたくさんたのさ。土方歳三の像の前に群がってたのさ。


さて、歴史の勉強が終わったけどささ、なんでさおなかがすいてきましたね。


函館名物のラッキーピエロのチャイニーズバーガーだべさ。このボリュームで350円。


函館では、「やきとり」で頼むと豚串が出てくるんだべさ。これホントだべさ。テストに出ます。ちなみにこのボリューム(ラム串は別会計で399円だべさ。函館に引っ越したらあっという間に体重が増えそうだべさ。(^^)

アァーイカ食ってねぇー!!


さて、函館といえば夜景ですね。標高334mの函館山、登山道は自転車では登れませんので、トホダーとなって進みます。


夕暮れが近いので、いい感じだべさ。一人誰もいない登山道をジャリジャリを道を踏みしめ進みます。


すずらん?


雲海を抜けると、頂上が見えてきたべさ。


夕焼けショーを堪能した後、観光客の波をかき分けそこで見たものは!




函館は、横浜・神戸と同じ時期に開港されただけあって、横浜と雰囲気が非常に似てるっしょ。好きになったべ。




旧イギリス領事館


熊さん博物館


宿だけどささ、今回の旅行でやっと初のライダーハウスに泊まったべ。ライムライトさん。


ダックス子犬付き♪


烏賊の町なのに、蛸つぼ状態だべさ。


あけて土曜日の朝。朝市に行ってイカールしてきたべさ。^^


朝イカ丼。

このあと床屋でさっぱりしてから10km先の函館空港まで自走。結局5日間で500kmのゆるい旅行でしたが、今回は本当にたくさんのものが見られたべさ。


最後に訪れたのはこのトラピスチーヌ修道院。どこかで聞いたことがあるな~と思ったら、トラピストクッキーの所だべさ。