土曜日の「ひととき」に12歳の中学生の投書が載っていました。なんだか、心温まる思いがして、切り抜いておきました。そして今朝、ワイドショーで新学期をリュックで迎えるように公費で配った学校のことが取り上げられていました。
まず、12歳の女の子の投書
中学の入学式を迎えるにあたって、部屋を片付けた。ランドセルと目があった気がした。このランドセルは、姉が6年間使って、私に譲ってくれ、私も大事に6年間使ったものです。姉はとても大事に使ったのです。その姉からのものですから、私も大事に大事に使いました。
姉妹と一緒に通学してくれたランドセルと、自分のランドセルを丁寧に使って、きれいなままゆずってくれた姉に、心からありがとうを言いたい。姉のおかげで、物を大事にすることを学びました。大事に使えば、物は長持ちするということも学びました。ありがとうです。12年間壊れずにいつもそばにいてくれたランドセルにありがとうと言いたいです。「ありがとう!!」
ワイドショーでは、ランドセルの値段の高さが親の負担になっていること。また、教科書など子供には負担に思えるし、ランドセルそのものが重量があること、が問題になってきているようです。そこで考えたのが、軽いリュック型のものを使わせようという地方都市が出てきて、全ての入学児童にただで配られたのです。どちらでも自由にという説明だとのこと。
いざ、入学式。ランドセル児童が半分を越えました。リュックは過半数には至りませんでした。リュックにしない理由は、早くに、じじばばが買ってくれていましたから。小さなときから、一年生とランドセルが理想の姿で、楽しみにしていた子供の気持ちを尊重して。などの理由が多かったようです。
それ以上は深堀はされませんでしたが、夫と二人、思い出話を兼ねて朝食時の話題に。
「あなたは、ランドセル背負ったの?」
「背負ったよ」
「ふ~ん、流石が一桁世代。まだ戦争に突入していなくてランドセルはあったのね」
「私の時代は田舎のことだからかもしれないけれど、私以外はランドセルはいなかった」
「へえ~。ランドセル買ってもらったの?」
「違うの。どの兄からお下がりになったかは知らないけれど、代々黒ランドセルが与えられたの。其れが今も分からないのだけれど、ボール紙を何か薬品で固く固めたような素材で、全く型崩れのない固いものなの。見かけはいいのだけれど、ランドセル、中身をみんな出しても薄くはならないのよ。その頃、椅子の背にランドセル掛けていたでしょう。起立礼!の掛け声で立とうと思っても、ランドセルの厚みで、椅子が後ろに引けない、立てない。参ったあ」。
「それはそれとして、ランドセル派と、リュック派と二手に分かれて問題は起こらないのかしら。最近は、すぐ、自分と違う派のものはのけ者にするといういじめが起こるという話を聞くけれど・・・」
「う~ん、いじめねえ。私達が子どものころ、そんなこと思いもよらなかったからね。貧乏派だったおせっちゃんだけれど、そんな悲しい目には一度も会わなかった。豊かな今いじめねえ。悲しいね」
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