わが家では夫が現役のころの必需品だった日経新聞をそのまま取っています。老化の進んだ夫は、それでも朝食時に食べながら目を通します。人間の習慣というものはなかなか変わらないものですね。私はほとんど読みません。読むとしても、主婦向けの投書とか、有名人のエッセイとか、そんなものです。
日曜日朝刊は朝日新聞を読んだ後、昼食づくりまでに少し時間が空きました。そこで日経をめくったのです。
先に述べたように主婦感覚での目です。新刊本の大きな広告が目に飛び込みました。
「厨房の哲学者」。その横に、私の頭にも入ってくる強い言葉。
でも、私は本文を読んだわけではありません。ただ、広告の大きな文字が目に入っただけです。それでもなんだかメモしたくなったのです。切り取りました。そして今、ブログ記事として書いておくのです。もしお目にとまって、気に入ったら心覚えにしてください。
運命に従え。
置かれた場所で咲いてみろ。
夢など語るな。
目の前のことと格闘しろ。
そこからだ、
すべてが始まるのは。
『おかれた場所で咲いて見ろ』はどこかで読んだこともある言い回し。だが、人生の歩みの過程で大事なことかもしれない。とかく、人は、置かれた場所が恵まれているならば、それに甘えてしまいがち。困難な自分に不利な場所ならば、不運を嘆き、恵まれた人をうらやみ、努力するよりもあきらめて折り合いをつけてしまいがち。近頃の言葉で言えば、不運の壁を乗り越えてこそ、という事だろう。
『夢など語るな』。
今、日本青年の御手本とも言うべく、活躍の、大谷さん。WBCの決勝戦の前に、円陣を組んで確認を促した。「憧れるのはやめましょう」。どこか似ている。
夢を語ることは悪くはない。希望は持てるかな?でも甘さを含む。どこか他者の助けを期待して、希望的な甘さで憧れているような気がする。ただ夢想することなど、大きく、高く前進するのには覚悟が弱いような気がする。
85の婆さんは、自分では到底できないことと端から降りている。下りて、穏やかに残された日々を生きるのみと思っている。だが、それさえも捨ててしまう気持ちになることもある。そんな時、やはりこうした強さを持って励ましたくなるのである。一歩でも前進!かな。老いたごまめの歯ぎしりか。
******************
コロナワクチン(7回目)のその後。注射をした場所が、今までより早く、おや?と思うほど痛みを感じました。オヤオヤ、伊甘から熱でも…と思ったけれど、それ以上は酷くならず、無事終わりました。
置かれた場所で細々で充分満足しているこの頃です。
そんな生活です。病んだ夫を抱えた場所で・・・