歴史観光ガイド「おしょうしなガイドの会」新人女子の勉強会梅組の6月研修会。
我妻榮(わがつまさかえ)
1897年(明治30)~1973年(昭和48)
米沢出身の民法学者。文化勲章受章者で米沢市の名誉市民。
民法学の神様的な存在で、この我妻榮記念館には今も全国から法律関係者が訪れるそうです。
我妻榮記念館は遺族から寄贈された著作、講演会の手書き原稿などほか、民事訴訟の要旨をまとめた約7000枚の判例カードなどが展示されています。
床の間・囲炉裏など、昔の暮らしを彷彿とさせる品々。
住居と繋がっている蔵には、我妻榮の遺品や写真が展示されています。
足を患っていた我妻榮が身に着けていたギブス。
体は不自由でも、釣りなど趣味は多彩だったとか。
親友岸信介との対峙
東京帝国大学法科大学では、のちに首相となる岸信介(安倍晋三前総理大臣の祖父)と主席を争い、その後も二人は米沢で一緒に釣りや温泉を楽しむなど親友として付き合いを続けていました。
しかし学者の道を全うした榮とは対照的に、岸信介は権力と野望、利権の道を突き進み、のちに「昭和の妖怪」とまで呼ばれます。
昭和35年、日米新安保条約への批准をめぐって激しい学生運動が起こり、世情が騒然とするなか、我妻榮は朝日新聞紙上に「岸信介君に与える」という手記を発表します。
「君は、定めし、いまの外交路線を強めていくことが、わが国の発展のための最も正しい道だと確信しておられるでしょう。その信念を疑いはいたしません。しかし、戦前、君は、ドイツと組んで、中国や英米を敵として大東亜戦争を断行することが、わが国の発展のための最も正しい道だと確信しておられた。それは、とんでもない誤りだったのです。(中略)君はまた同じ誤りをくり返そうとしているように、私には思われて、りつ然とします。今日、君に残された道は、ただ一つ。それは直ちに政界を退いて、魚釣りに日を送ることです。」
ときの首相かつ親友に対しても、自らの信念に基づいて厳しい反対意見を表明する榮の気骨に、ただただ敬服するばかりです。
我妻榮記念館にはこのときの朝日新聞の寄稿文も展示されています。
木製キャビネットの中身は膨大な枚数の榮本人手書きの判例カードが収められています。
膨大な枚数の判例カードから、努力と研鑽を積み重ねた我妻榮の生涯が透けてみえるようです。
この日我妻榮記念館を訪れたことにより、我妻榮という郷土の先輩の偉大な業績、明るく魅力的な人柄に触れることが出来ました。
以上、最後までご覧いただきありがとうございました。
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