なぜなら主が祝福を注いで絶え間なく豊かさを増進させたもう
のでなければ、ずべての資産は無であり、手の中にある物も
神がその時その時にその部分を我々に賜って用いることを
許したもうのでなければ、我々の物にならないことは確か
だからである。人間の傲慢はこのことを確信させられるのを
耐えがたく感じる。
(「祈りについて」カルヴァン著I・ジョン・ . . . 本文を読む
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