罪人のかしらなる人間としての少女ジーザスの主張。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書) 2024年04月25日 00時04分25秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド 『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきてくださった』 という言葉は、確実で、そのまま受け入れるに足るものである。 わたしは、その罪人のかしらなのである。 (テモテへの第一の手紙第一章12~17節 ) ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ いったい主なる神の御前で「わたしは罪人ではありません」と言い切ることのできる人間は存在するだ . . . 本文を読む