ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(トルストイ):神の自由意思。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2022年09月23日 00時09分23秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    ある人をほかの人と区別して好意を寄せる、愛という間違った
    名前で呼ばれている強い感情は、それに真の愛を接ぎ木して
    実をならせることのできる野生の果樹にすぎない。
    しかし、野生の果樹はもともとりんごの木ではなく、
    したがって実がならないか、あるいは甘い実の代わりに
    苦い実しかならないように、この不公平な感情もまことの    
    愛ではなく、したがって人々に善をもたらさないし、
    場合によってはかえって大きな悪を生み出すことになる。

     (「ことばの日めくり」トルストイ著 小沼文彦編訳 女子パウロ会 )


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 上記引用の主より与えられたトルストイの言葉はしばしば主より与えられた「自由意思」を殺すことに悪用される。主は一秒たりともわれわれに「祈りのみことば」をくださらないことはない。
 ある人に強い感情をもったとしたらそれは「何かあなたとその人に与えられた何か主よりの大切な意味があることなのだ」。上記引用のトルストイの言葉は正しい。しかしフツーのクリスチャンのわたしはこの言葉を悪用して「この人は好きになってはいけないが、この人はいい」という風に主よりの「自由意思」を殺すことに利用されやすい。「悪」は「愛」そのものを利用してわたしたちを「悪」へと引きずり込む。そして主への信仰を失わせる。
 わたしはいつもこの種の誘惑と戦っている。
 主へのお祈りがなければ、このフツーのクリスチャンは一秒たりとも生きてはいられない。



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