ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

教祖にあらず。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年12月14日 00時02分14秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    わたしの教えはわたし自身の教えではなく、
    わたしをつかわされたかたの教えである。

   
     (ヨハネによる福音書第7章16節 )



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 この聖句で主イエス・キリストがまず言いたいのは、「わたしを宗教の教祖とするな」ということだ。
 わたしはフツーのクリスチャンとして伝えたい。
 「わたしを教祖にするなかれ」と主イエス・キリストがおっしゃっている、と。 はっきり言わせてもらうと、主イエス・キリストは「キリスト教の教祖ではない」のだが、では、何者なのか?
 人間になった神だ。
 主なる神ご自身が人間となってくださったという信仰がフツーのクリスチャンの信仰だ。だからわたしはフツーのクリスチャンとして朝晩、主イエス・キリストのことを「主は、よろず世の先に、父より生まれたるひとりの御子、神よりの神、光よりの光、まこと神よりのまことの神、造られずして生まれ、父(天の父なる神さま)と一体なり。よろずのもの主によりて造られたり……」とお祈りしている。
 全身全霊で主イエス・キリストの愛を求めて、そしてその愛にほんの小さなことででも応える者となるために。
 いつもいかなるときも、どのような場所でも、いつもこのお祈りはわたし自身の魂の中で生きている。
 主イエス・キリストご自身として。



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