
「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。
たといたくさんの物を持っていても、
人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。
(ルカによる福音書 第12章15節 )
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人間に限って言わせていただくが、(わたしはあらゆる動物の中で「人間」が一番貪欲だと思っている)、いったい「貪欲」なる欲で人間は何を見失ってしまうのか?
上記の主イエス・キリストのみことばはそのことに警戒を与えてくれる。 主の「いのち」を失っちゃいますよと言っておられる、とわたしは思う。これまた難しい問題である。 個人によって「いのち」の定義が全く違うからだ。 フツーのクリスチャンのわたしにとって「いのち」とはわたしの夫と娘だ。夫と娘の姿をした主の主王の王主イエス・キリストのことだ。そしてこの二人のわたしの大切ないのちを愛する愛のことだ。この愛はもちろん天地を創造された主よりわたしに贈られた大切な贈り物である。
だからフツーのクリスチャンのわたしにとって「いのち」は「愛」であり、「愛」とは主の主王の王主イエス・キリストよりの贈り物である。わたしはこの「いのち」のためにこそ主の復活のいのちに生かされているのである。
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たといたくさんの物を持っていても、
人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。
(ルカによる福音書 第12章15節 )
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上記の主イエス・キリストのみことばはそのことに警戒を与えてくれる。 主の「いのち」を失っちゃいますよと言っておられる、とわたしは思う。これまた難しい問題である。 個人によって「いのち」の定義が全く違うからだ。 フツーのクリスチャンのわたしにとって「いのち」とはわたしの夫と娘だ。夫と娘の姿をした主の主王の王主イエス・キリストのことだ。そしてこの二人のわたしの大切ないのちを愛する愛のことだ。この愛はもちろん天地を創造された主よりわたしに贈られた大切な贈り物である。
だからフツーのクリスチャンのわたしにとって「いのち」は「愛」であり、「愛」とは主の主王の王主イエス・キリストよりの贈り物である。わたしはこの「いのち」のためにこそ主の復活のいのちに生かされているのである。
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