
「神の現存」、それは「現に今、ここにある私の存在」と
切り離して考えられないものであるということ、したがって、
私の存在とは何かという最も手近で、最も共通の課題は
「神とは何か」という結論的課題もまた、すべての人々にとって
最も共通のものではなくてはならないということを暗示している
のである。
「われわれが自分自身を理解するときは世界を理解するであろう。
われわれと世界とは相互に欠くことのできない半分だから
である(ノヴァーリス)」
「奥村一郎選集 第6巻 『永遠の命』」
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あなたは「神が存在する」と思っていらっしゃるに違いない。
なぜなら、あなたは今「自分」を「自分」で感じていきているのだから。そして「神」という「存在」に興味を持ってこのブログを読んでくださっている。
このフツーのクリスチャンのつたない文章ではたして「神の存在」についてどれだけのことが書けるだろうかとわたしは正直に言って果てしない宇宙を旅している気分である。
しかしわたしは寂しくはない。
「自分」だから。
そしてこの「自分」を愛してくれる「神の存在」を感じているから。
「神」はわたしを生かしている。
あなたは「自分」で「自分の心臓を止めることが出来ますか」。
ドックンドックンと鼓動するその心臓ははたして誰が動かして、あなたを生かしているのか? それを神だとわたしは感じ、信じている。
わたしの存在が、神の存在の証明の入口である。
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↓;ぽちっ、ぽちっ、と鼓動が。

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